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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第二章 ~四歳の茶太郎、京の大火を知る~
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第35話 「ひこじいの試し茶と、開かない蔵」

 ――一椀の味が、百人分の食を動かす――


 森家の茶園にも、都から流れてきた灰が降っていた。


 森彦右衛門もり・ひこえもんは、茶太郎たちを屋敷の奥へ通した。

 庭に面した座敷には、煤のついた旅装の男が座っている。


 連歌師・谷宗牧たに・そうぼくだった。


 宗牧

「この子が、宇治の霊性料理人ですか」


 彦右衛門

「噂が真ならな。わしは、まだ認めた覚えはない」


 伊平いへいじいさんが眉をひそめる。


「ひこじい、意地悪しとる場合か。商屋では大勢が粥を待っとる」


「だからこそじゃ」


 彦右衛門は庭の向こうにある蔵を指した。


「蔵には米も味噌もある。だが、宇治の者が冬を越すための蓄えでもある」


「一度開ければ、都から来る者はさらに増える。情だけで配れば、三日後には皆で飢えるぞ」


 茶太郎は何も言えなかった。


 目の前の人に食べてもらうことしか、考えていなかったからだ。


 彦右衛門は三つの茶壺を並べた。


「茶太郎。ここから一つ選び、わしに茶を淹れてみい」


 一つ目は、香り高い新茶。

 二つ目は、よく乾いた普段使いの茶。

 三つ目には、灰と煙の匂いが移った茶葉が入っていた。


 伊平じいさん

「試すなら、良い茶を使わせてやらんか」


 彦右衛門

「良いものを良く淹れるだけなら、一人前の茶師なら誰でもできる」


「今、都から来た者らが抱えとるのは、傷つき、汚れた暮らしじゃ。その茶葉を捨てるか、生かすかを見せてもらう」


 ◆灰を負った茶葉


 茶太郎は三つ目の茶壺を選んだ。


 茶丸ちゃまる

『煙の匂いが強い。そのまま湢を注げば、苦味が立つ』


 茶太郎は茶葉を布へ広げ、焦げたものを一枚ずつ取り除いた。

 残った葉を冷ました湯で素早く洗い、文福茶釜の神水を少しだけ加える。


 だが、胸の熱を流そうとしたところで手を止めた。


 彦右衛門

「どうした」


「ぼくの力で、煙の匂いを消すことはできる」


「でも、それだと同じ茶をたくさん作れない」


 霊性だけに頼れば、茶太郎が倒れたときに炊き出しも止まってしまう。


 茶太郎は水を替え、湯の温度を低くした。

 短い時間だけ抽出し、渋みが出る前に茶葉を引き上げる。

 仕上げに、米から作った水飴をほんの少し溶かした。


 茶太郎

「できました。《灰ほどきの薄茶》です」


 彦右衛門が一口飲む。


「……煙の匂いは残っとるな」


「うん。全部は消してない」


「なぜじゃ」


「燃えたことまで、なかったことにはできないから」


 茶太郎

「でも、苦くて飲めないところだけを減らした。これなら、みんなも同じように作れるよ」


 宗牧は静かに椀を取り、口をつけた。


「灰の向こうに、茶の香りが残っている」


「傷ついたものを元に戻すのではなく、残ったものを明日へ渡す味ですね」


 彦右衛門は椀を置いた。

 その顔から、わずかに険しさが消えていた。


 ◆百人分の答え


「茶は悪くない。だが、蔵を開くには足りん」


 伊平じいさん

「まだ言うか」


 彦右衛門

「茶太郎。百人が三日食べるには、何が要る?」


 茶太郎は考え込んだ。


「……お米」


「それだけか?」


 茶丸(念話)

『水、薪、鍋、塩。そして運ぶ人間だ』


 茶太郎は指を折りながら答えた。


「きれいな水。火を焚く薪。大きな鍋と、椀。味噌と塩」


「それから、作る人と運ぶ人。怪我した人を寝かせる場所もいる」


 彦右衛門


「食べた者の数は、どうする」


「数える。残った米も毎日量る」


「明日、さらに百人来たら?」


 茶太郎はすぐには答えられなかった。


 やがて、顔を上げる。


「一つの商屋だけで抱えない」


「平等院や茶師さん、農家の人にも頼む。食べ物が少ないなら、同じ量で多く作れる粥にする」


「誰か一人が無理をしないように、仕事を分ける」


 彦右衛門は、初めて笑った。


「四つの童にしては、上出来じゃ」


 彼は腰から大きな鍵を外し、使用人へ投げ渡した。


「一番蔵を開けよ。米、味噌、干し菜を出せ。ただし帳面をつけ、一粒たりとも行方を曖昧にするな」


 茶太郎

「ありがとう、ひこじい!」


「まだ“ひこじい”と呼んでよいとは言うとらん」


 そう言いながら、彦右衛門は二番蔵の鍵も渡した。


 伊平じいさん

「二つも開けるんか」


「一つでは足りんのじゃろう?」


 そのとき、門の外から馬の蹄の音がした。

 平等院から来た使いが、息を切らして駆け込んでくる。


 使い


山科言継やましな・ときつぐ卿が、焼け出された者たちを伴い、平等院へ入られました!」


「怪我人が多く、薬も食も足りませぬ!」


 宗牧が立ち上がった。


「言継卿が宇治へ……」


 彦右衛門は茶太郎を見た。


「試し茶は終わりじゃ。ここからは一椀では済まぬぞ」


 茶太郎は蔵から運び出される米俵を見つめ、力強く頷いた。


「うん。今度は、みんなで作る」


 森家の蔵が開き、人と物が動き始めた。


 そして平等院では、新しい出会いが茶太郎を待っていた。

 ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


 ひこじいが試したのは、茶太郎の茶の腕だけではありません。


 米を何人へ配るのか。残量をどう量るのか。さらに避難者が増えたらどうするのか。一度の善意で終わらせず、支援を続ける仕組みまで問われました。


 茶太郎の答えは、一つの商屋だけで抱え込まないこと。人と仕事を分け、毎日の数を記録することでした。


 開いた二つの蔵から、人と物が動き始めます。


 次回は谷宗牧とともに、百椀の炊き出しへ挑みます。


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『茶太郎がゆく』
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