表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第一章 ~三歳の茶太郎、宇治を巡る~
PR
33/172

第30話 「影心迷宮・第三階層:孤独の影と、手継ぎ鍋」

 ――誰かを救うだけでは、同じ食卓には座れない――


 第二階層から戻った秘密基地には、一人分の膳が置かれていた。


 向かいの席は空いている。


 茶太郎が近づくと、膳の上に一枚の木札が現れた。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 ”一人では完成しない料理を作れ。”

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「みんなで料理すればいいんじゃない?」


 ウリハが前足を上げる。


「キュイッ! ぼく、野菜を運ぶ!」


「……ぼく、水を選ぶ」


 ナギも続いた。


 レオは少し考えてから、首を横に振る。


「でも……作ってるところを、一人で見てるだけの人がいたら……その人は、まだ一人だよ」


「見てるだけ……」


 茶太郎は、一人分の膳を見つめた。


 皆で作った料理を、孤独な者へ差し出すだけでは足りないらしい。


 その者自身が料理へ加わらなければ、「一人では完成しない料理」にはならない。


「食べる人にも、手伝ってもらう料理にしよう」


 茶太郎は《鳥の手継ぎ鍋》を考えた。


 鍋の具を一度に入れず、一人が一つずつ順番に加えていく。


 最後の具は、食べる者自身に入れてもらう。


 けれど問題があった。


「鶏は高いで」


 父・宗次そうじが言う。


「卵を産む鶏は、商屋にとっても大事な財産や。鍋のためだけに潰すわけにはいかん」


 近くの農家に、卵を産まなくなった老鶏が一羽いた。


 茶太郎たちは、茶葉の選別と畑の手伝いをする代わりに、その鶏を分けてもらうことにした。


「もらった命や。余らせたらあかん」


 志乃しのは肉だけでなく、骨と皮も分けた。


 骨は生姜、葱と一緒に煮て、鍋の汁にする。


 肉は細かく刻み、味噌と生姜を少し加えて練る。


 子どもたちは生肉へ触れず、志乃とかん太が下ごしらえを担当した。


「丸くしないの?」


 茶太郎が尋ねる。


「二本の匙で、食べるときに鍋へ摘み入れるんよ」


「じゃあ、最後の一つは、影の人に入れてもらえるね」


 具材は、それぞれ別の包みに分けた。


 ・ナギが選んだ井戸水

 ・ウリハが運んだ蕪

 ・レオが摘んだ青菜

 ・ゆかりが切った豆腐

 ・マキトが守った火種

 ・志乃が作った鳥肉の練り身

 ・茶太郎が調えた味噌仕立ての汁


 誰か一人が欠ければ、同じ鍋にはならない。

 __

 翌朝。


 茶太郎たちは再び、阿字池の底から影心の迷宮へ入った。


 第二階層の三つの卓は消え、三色の組紐だけが扉に残っている。


 茶太郎が触れると、第三の扉が開いた。


 その先には、荒れた堂があった。


 柱は朽ち、床には埃が積もっている。


 灯明は消え、外から聞こえるはずの風や鳥の声もない。


「……音がない」


 レオが小さな声で言う。


 ナギが床下へ耳を澄ませる。


「水も……一か所で回ってる。外へ行けない」


 堂の中央に、一人の僧が座っていた。


 顔は暗く、表情が見えない。


「帰れ」


 影僧は茶太郎たちを見ようともしない。


「誰かと共にいる振りなど、もう飽きた」


「あなたが、第三の影?」


「私は、権力を持つ者へ人々が重ねた孤独だ」


 影僧の周囲に、公卿たちの幻が現れる。


「仰せのとおりに」


「御意にございます」


「まことに見事な御判断」


 全員が同じ言葉で頭を下げる。


 しかし顔には、何の表情もない。


「皆、私の力を見ていた。私自身を見ていた者など、一人もおらぬ」


 次の瞬間、公卿たちは消えた。


 残された影僧の前には、豪華な膳だけが並んでいる。


「料理を置いていけ。褒美は取らせる」


「一緒に作ってほしいんだ」


 茶太郎が答える。


「なぜ私が」


「一人では完成しない料理だから」


 影僧は鼻で笑った。


「そなたらだけで作ればよい。私はここで見ている」


「それじゃ完成しないよ」


 茶太郎は、堂の中央へ鍋を置いた。


 マキトが持ってきた火種を火鉢へ移す。


「我が守ってきた火だ。茶太郎、受け取れ」


「ありがとう」


 茶太郎が鍋へ汁を注ぐ。


 ナギは水の流れを確かめた。


「……強く沸かしたら、水が苦しくなる。今くらい」


 汁が静かに温まる。


 ウリハが蕪を運んできた。


「キュイッ! 次、ぼく!」


 蕪を鍋へ入れ、その場をレオへ譲る。


「……青菜、入れる」


 レオの次は、ゆかり。


「豆腐を入れるね。崩さないように、そっと」


 具が加わるたび、冷えていた堂へ少しずつ音が戻ってきた。


 煮える水の音。


 器が触れ合う音。


 仲間が場所を譲り合う声。


 影僧は、黙ったまま鍋を見ている。


「できたではないか」


「まだだよ」


 茶太郎は、鳥肉の練り身が入った椀を影僧の前へ置いた。


「最後は、これを入れて」


「断る」


「どうして?」


「手を出せば、失敗するかもしれぬ。味を損ねれば、そなたらは私を責めるだろう」


「責めないよ」


「口では何とでも言える」


 影僧は顔を背けた。


「私は、誰にも頼らぬ。誰も私を頼らせぬ。そうしていれば、裏切られることもない」


 茶太郎は二本の木匙を持った。


 一人で練り身をすくおうとするが、椀が動いてうまく取れない。


「……できない」


 影僧は反応しない。


「椀を押さえて」


「仲間に頼め」


「あなたにお願いしてるの」


 影僧が、初めて茶太郎を見た。


「私に?」


「うん。一人じゃできないから、助けて」


 堂の静けさの中で、その言葉だけが残った。


 命令ではない。


 慰めでもない。


 茶太郎は、影僧へ役目を渡したのだ。


「私が失敗してもよいのか」


「落としたら、もう一回すくえばいいよ」


 影僧は迷いながら、椀へ手を添えた。


 茶太郎が二本の匙で練り身をすくう。


「鍋へ入れて」


「私が入れるのか」


「最後の一つは、あなたの分だから」


 影僧は匙を受け取り、練り身を鍋へ落とした。


 ぽちゃん、と小さな音がする。


 その瞬間、止まっていた水が流れ始めた。


 堂の外から、風の音が聞こえる。


「……私が加えたものも、この料理の一部となるのか」


「うん。これで完成」


 影僧は鍋を見つめた。


「施しを受けるのではなく……私も作ったのか」


「一緒に作ったんだよ」


 全員が鍋を囲む。


 影僧のためだけに用意した上座はない。


 茶太郎たちと同じ場所へ、影僧の椀が置かれた。


 鍋の汁には、鶏の旨味と味噌の香りが溶けている。


 影僧は、自分で入れた鳥肉を口へ運んだ。


「少し、形がいびつだ」


「ぼくのも丸くないよ」


 ウリハが自分の椀を見せる。


「私の豆腐も、少し崩れちゃった」


 ゆかりも笑った。


 影僧の口元が、わずかに緩む。


「失敗しても、同じ鍋に残るのだな」


「失敗したら、みんなで食べ方を考えるんだよ」


 影僧の姿から、黒い影が剝がれ落ちていく。


「孤独とは、誰もいないことではなかった」


「違うの?」


「誰にも頼まず、誰からも頼まれぬ場所へ、自らを閉じ込めることだったのかもしれぬ」


 茶太郎は断言せず、静かに答えた。


「一人でいたい日もあるよ。でも、手伝ってほしいときは、言っていいと思う」


「ああ……そうか」


 影僧は目を閉じる。


「助けてほしいと、私は言えなかった」


「今度は言える?」


 影僧はしばらく黙り、それから茶太郎へ椀を差し出した。


「もう少し、汁をよそってくれぬか」


「うん!」


 茶太郎が汁をよそう。


 影僧はそれを両手で受け取った。


 堂に朝の光が差し込み、朽ちていた柱へ元の色が戻っていく。


 鳳凰の声が響いた。


『第三の結び目はほどけました』


『孤独をほどくのは、大勢で囲むことだけではありません。助けを求め、誰かの願いを引き受けることです』


 影僧は淡い光となり、鍋の湯気へ溶けていった。


 その奥に、第四の扉が現れる。


 扉には、消えかけた灯明と、冷えた料理が描かれていた。


「次は……火が消えそう」


 茶太郎が呟く。


 鳳凰の声が、遠くから答える。


『第四の結び目は、死への迷い』


『止まらない時の中で、何を料理として残すのか。秘密基地へ戻り、考えなさい』


 第四の扉は開かなかった。


 茶太郎たちは空になった鍋を片づけ、帰路へ向かう。


 堂を出る直前、影僧の声がかすかに聞こえた。


「手伝ってくれて……ありがとう」


 茶太郎は振り返り、誰もいなくなった堂へ答えた。


「ぼくも、手伝ってもらったよ」


 再び静けさが訪れる。


 けれどそれは、もう孤独の静けさではなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
面白いと思っていただけたら、ぜひブックマークや評価(★)をお願いします!
『茶太郎がゆく』
style=
目次からブックマークをお願いします
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ