表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第一章 ~三歳の茶太郎、宇治を巡る~
PR
32/169

第29話 「影心迷宮・第二階層:三つの椀と家族の味」

 ――同じ味にそろえなくても、同じ食卓には座れる――


 第一階層から秘密基地へ戻った夜。


 茶太郎たちは、空になった鍋を囲んでいた。


《帰り火の煮込み麺》は、影公卿が最後の一椀まで食べたため、何も残っていない。


 けれど、味噌と生姜の香りだけが鍋に残っていた。


「全部なくなったね」


 レオが鍋を覗き込む。


「うん。でも、また作れるよ」


 茶太郎が答えたとき、第一階層で得た火が揺れた。


 橙色の炎は三つに分かれ、茶太郎の前へ三個の椀を映し出す。


 一つ目の椀には、色の濃い汁。


 二つ目には、透き通った汁。


 三つ目には、具だけが入り、汁がない。


 鳳凰の声が聞こえた。


『第二の結び目は、家族の迷いです』


「家族……」


『同じ家に暮らしていても、望む味は同じではありません。互いの違いを知らぬまま、一つにそろえようとした心が、迷宮で行き場を失っています』


「三つとも、違う料理を作るの?」


『答えは、あなた自身で見つけなさい』


 椀の幻は消え、三本の細い糸だけが残った。


 三本とも同じ場所から伸びているのに、それぞれ違う方向を向いていた。


 茶太郎は腕を組んで考える。


「家族なら、同じものが好きなんじゃないの?」


 宗次そうじが笑う。


「そんなことあらへん。父ちゃんは濃い味が好きや」


 志乃しのも言う。


「母ちゃんは、出汁が分かるくらいの薄味が好き」


「伊平じいさんは?」


「わしは山椒を利かせた味じゃな」


「みんな違う……」


 同じ家で何度も食卓を囲んできたのに、好みは違う。


「じゃあ、全部を混ぜたら真ん中の味になる?」


 茶太郎は、味噌、塩、山椒を一つの汁へ入れてみた。


 宗次が味見する。


「塩気はあるけど、味噌の香りが分からんな」


 志乃もひと口飲む。


「わたしには濃すぎるね」


 伊平じいさんは首をひねった。


「山椒も他の味に負けとる」


「真ん中にしたのに……」


「混ぜることと、合わせることは違うんや」


 志乃が三つの椀を並べた。


「同じ鍋から取り分けて、最後の味だけ、それぞれの椀で変えたらどう?」


「同じ鍋なのに、違う味にするの?」


「家族も同じやろ。同じ家で暮らしてても、一人ずつ違う人間なんやから」


 茶太郎の胸に、三本の糸が再び浮かんだ。


「そうか。同じにしなくていいんだ」


 茶太郎は《結び鍋》を作ることにした。


 鍋の中心となる汁には、昆布と干し椎茸を使う。


 具は、蕪、大根、葱、豆腐。


 誰でも食べられるよう、鍋そのものには強い味をつけない。


 代わりに、三種類の調味料を用意した。


味噌と少量の溜りを合わせた濃い味

塩と柚子で整えた軽い味

炒った胡麻と山椒をすった香りの味


 ナギが井戸水を選ぶ。


 ウリハは畑から蕪を運び、かん太が土を洗い落とす。


 ゆかりは三つの小さな調味料入れに、異なる色の組紐を結んだ。


「これなら、どの味か間違えないよ」


 茶太郎は、味を変えた三つの椀を並べる。


 元になった鍋は一つ。


 けれど、椀の味はそれぞれ違う。


「名前は《三つ椀の結び鍋》」


 茶丸ちゃまるが汁の香りを確かめる。


『今度は、味を無理に一つへ閉じ込めていないな』


「うん。どれが好きか、ちゃんと聞く料理にする」


 翌朝。


 茶太郎たちは結び鍋を亜空間収納へ入れ、再び阿字池から影心の迷宮へ入った。


 第一階層の寝殿には、もう炎がない。


 奥に現れた扉へ、茶太郎が第一の火を触れさせる。


 扉が静かに開いた。


 その先には、冷たい回廊が続いていた。


 回廊を抜けると、三つの食卓が現れる。


 一つには豪華な膳。


 一つには質素な飯と汁。


 もう一つには、空の器だけが置かれていた。


 三人の影が、それぞれ違う卓へ座っている。


 父の影。


 母の影。


 子の影。


 三人は家族の姿をしているが、顔はない。


 橋姫はしひめが影を見つめる。


「道長公の家族そのものではありません」


「違うの?」


「家族とはこうあるべきだという恐れが、父、母、子の姿を借りているのです」


 父の影が口を開く。


「家長が決めた味を、皆が食えばよい」


 母の影が答える。


「それでは誰も、本当に好きな味を言えません」


 子の影は、空の椀を抱えたまま俯いている。


「ぼくのことは、誰も聞かない」


 三つの食卓から冷気が広がった。


 ナギが身体を震わせる。


「……水、三つに分かれてる。どれも動かない」


 鳳凰の声が響く。


『第二の試練は、三人を同じ卓へ座らせることです』


 茶太郎は結び鍋を取り出した。


「一緒に食べよう」


 しかし父の影は動かない。


「同じ料理を食えば、同じ心になれると申すか」


「ううん」


 茶太郎は首を横に振る。


「同じ心にはならなくていいよ」


 三人の影が、初めて茶太郎を見る。


「父さんは、どんな味が好き?」


「家長が好みを口にする必要はない」


「でも、聞かないと分からない」


「……濃い味だ。疲れたときに、力が戻るような」


 茶太郎は、味噌と溜りを入れた椀へ鍋の汁を注ぐ。


「母さんは?」


「わたくしは……香りの軽いものを。濃い味は少し苦手です」


 塩と柚子で整えた椀へ、蕪と豆腐を多めに入れる。


「子どもは?」


 子の影は、すぐに答えなかった。


「何が好きか……分からない」


「じゃあ、一緒に探そう」


 茶太郎は胡麻と山椒の椀を差し出す。


「少し食べて、違ったら別の味にしよう」


「途中で変えてもいいの?」


「いいよ。食べてみないと分からないもん」


 子の影が、初めて空の椀を手放した。


 三人は中央の卓へ移り、同じ鍋を囲んだ。


 父は濃い味。


 母は柚子の香る薄味。


 子は胡麻の椀から食べ始め、途中で母の柚子も少し加えた。


「父上の汁は、どのような味ですか」


 子が尋ねる。


「少し濃すぎたかもしれぬ。そなたの胡麻も入れてみたい」


「では、交換しますか?」


 父と子が、小皿へ少しずつ汁を分ける。


 母もそれを見て微笑んだ。


「わたくしにも、胡麻を少しください」


 三人の味は、最後まで同じにはならなかった。


 それでも、会話が生まれた。


「同じ味に、そろわなくてもよかったのだな」


 父の影が呟く。


「家族ならば、同じものを望むべきだと思っていた」


 母の影が答える。


「違うからこそ、尋ねることができるのです」


 子の影も椀を抱えた。


「聞いてもらえたら、ぼくも話せる」


 茶太郎は三人を見つめる。


「家族の味って、一つの味じゃないんだね」


「では、何なのだ」


「どんな味が好きって、聞けることだと思う」


 冷え切っていた空間に、鍋の湯気が広がった。


 三つに分かれていた水の流れが中央へ集まり、再び先へ流れ始める。


 三人の影は、それぞれ違う色の光となった。


 赤、白、黄。


 三つの光は混ざって一色になるのではなく、組紐のように並んで天へ昇っていった。


 鳳凰の声が響く。


『第二の結び目はほどけました』


『調和とは、違いを消すことではありません。違いを言葉にし、それでも同じ卓へ戻れることです』


 結び鍋は空になった。


 その奥に、第三の扉が現れる。


 扉の前には、一人分の膳だけが置かれていた。


 向かいの席は空いている。


「次は……一人なの?」


 レオが寂しそうに尋ねる。


『第三の結び目は、孤独』


 鳳凰の声が遠ざかる。


『一人では完成しない料理を見つけなさい』


 扉は開かなかった。


 茶丸が秘密基地へ続く帰路を振り返る。


『答えを急ぐな。今日も一度帰るぞ』


「うん」


 茶太郎は空になった鍋を抱えた。


 家族の味を一つにすることはできない。


 けれど、互いの好みを尋ねながら、同じ食卓を囲むことはできる。


 三つの椀に残った異なる香りが、帰り道を優しく満たしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
面白いと思っていただけたら、ぜひブックマークや評価(★)をお願いします!
『茶太郎がゆく』
style=
目次からブックマークをお願いします
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ