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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
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第303話 「月の印と、三つに分かれた山の水」

 ――古い印は答えではなく、確かめる場所を教えてくれる――


「この石、動かしたらあかん」


 伊平いへいじいさんが言った。


 水に洗われた土から現れた、平たい石。

 表には、三本の水筋を抱く小さな月が刻まれている。


「持って帰ったら、秘密基地でゆっくり調べられるよ?」

 かん太が尋ねる。


「どっちを向いて埋まっとったか分からんようになる」


 石そのものだけではない。


 あった場所。

 向き。

 深さ。

 周囲の水と土。

 それらも、石が伝えているものの一部だった。


「見つけた物だけ持ち帰ったら、雨に溶けた荷札と同じになるね」

 茶太郎が言う。


「文字は残っても、どこにつながってたか分からへん」


 伊平は石の周囲へ目印の枝を立てた。


 弥七やしちが、塚と倒木からの歩数を数える。

 マキトは白い光で帰り道を示しながら、石の位置にも小さな印を残した。


「光は消えるから、人の印も要る」

 マキトが言う。


 白い光は夜道を助ける。

 だが、永く残る道標ではない。

 木の枝を三本組み、倒れにくい石を根元へ置いた。


「今日はもう日が傾く」


 弥七が空を見る。


「詳しく調べるんは明日や」


 白い猪霊と二匹の子兎を連れ、一行は安全な道を通って山を下りた。


 猪霊は秘密基地まで運ばない。

 大吉山の麓にある、山仕事の者が使う小屋で休ませることになった。

 子兎たちは母兎が見つかるまで、猪霊のそばに置かれる。


「母ちゃんも基地に来たらええのに」

 ウリハが言う。


「ここから先は、人の暮らす場所やろ」


 白い猪霊は首を振った。


「山の者には、山の休める場所がある」


「ぼくは秘密基地でも休めるよ?」


「お前は、どこでも寝られるだけや」


「それ、褒めてる?」


「褒めてへん」


 ウリハは不満そうだったが、母のそばへ藁を集めた。


 翌朝。


 茶太郎たちは再び大吉山へ入った。

 今回は、近くで山仕事をしてきた老人も同行した。


 名を源爺げんじいという。

 月の印の話を聞いた伊平が、呼んできたのだ。


「昔、似た印を見たことがある」


 源爺は、石を動かさずに屈んだ。


「月の下に、水筋が三本。山守が使うた《水抱き》の印やろ」


「水を抱く?」


「雨の水を一つの沢へ集めすぎんよう、三つへ分ける場所や」


 水を一筋に集めれば、流れは強くなる。

 土を削り、斜面を崩す。


 そこで昔の山守たちは、浅い溝を分けて水の勢いを弱めていたという。


「この石が水を分けるん?」


「石一枚では分けられへん」


 源爺が答えた。


「どこに溝を通したか、忘れんようにする印や」


 不思議な力で水を操る石ではなかった。

 人が見回り、落ち葉や枝を取り除くための道標だった。


「でも、溝は一つしか見えへんよ」


 茶太郎が周囲を見た。


 倒木に塞がれた溝。

 前日に掘った逃がし溝。

 それ以外は、落ち葉と土に覆われている。


「なくなったと決めるのは早い」


 源爺は石の三本線を見た。

 中央の線は、塚の方向。

 左右の線は、それぞれ別の斜面を向いている。


「この向きに、昔の溝があるかもしれん」


 探す者と、安全を確かめる者を分けた。

 源爺と伊平が、地面の窪みや石の並びを見る。

 弥七は、その先へ人が入ってよいか確かめる。


 ナギは土の下の水音を追う。

 マキトは帰れる道へ白い印を残す。


 茶丸と白灯あかりは、斜面の浮いた場所で立ち止まる。

 茶太郎とかん太は、大人が決めた場所から外れない。


「右……水、少しある」

 ナギが告げた。


「深いところを流れてる」


 落ち葉を薄く除けると、小石を並べた跡が現れた。

 その間には、細い窪みが続いている。


「一つ目や」

 源爺が言った。


 溝は完全に消えたのではない。

 長く見回る者がいなくなり、落ち葉と土に埋もれていた。


「全部掘り返そう!」

 かん太が言う。


「一度に開けたらあかん」

 伊平が止めた。


「下に誰かおるかもしれん。水が急に流れたら危ない」


 溝の下流を先に確かめる。


 人家はない。

 山道とも交わらない。

 それでも、水が直接斜面を削らないよう、出口へ石と枝を置いた。

 その後で、上流の落ち葉を少しずつ取り除く。


 ちょろ。

 ちょろちょろ。


 細い水が戻った。


「流れた!」


「まだ喜ぶんは早い」


 源爺は水の濁りを見る。

 土を削っていないか。

 途中で溢れていないか。

 何度も確かめながら進む。


 二本目の溝は、さらに見つけにくかった。

 木の根が持ち上がり、石の並びが崩れている。


 ナギが耳を澄ませた。


「水はない。でも、土の下に空いた道がある」


 弥七が細い棒を差し込む。

 深く入る場所と、すぐ土に当たる場所があった。


「昔の溝が潰れとるな」


 掘り直す前に、上から水が来るか確かめる。

 水がなければ、溝だけ直しても意味がない。

 石の印をたどって上へ進むと、竹と枝を組んだ古い仕切りが見つかった。


 半分は腐っている。

 その奥に溜まった土が、水の入口を塞いでいた。


「この仕切り、何のため?」


「落ち葉を止めるためやろ」

 源爺が答えた。


「せやけど、溜まった物を取り除かんかったら、今度は水まで止める」


 役に立っていた仕組みも、見回らなければ新しい危険になる。

 腐った竹を一度に外さず、上に溜まった土を少しずつ取り除く。

 新しい竹へ替えるのは、後日になった。


 仮に枝を組み直し、水だけ通る隙間を作る。

 ぽたり。

 やがて、二本目にも水が戻った。


「これで三つ?」


 茶太郎が指を折る。


「塚へ行ってた中央の水と、今見つけた二つ」


「中央は、今のままでは多すぎる」

 源爺が言った。


「左右へ戻った分を見てから、塚へ流す量を決める」


 すべての水を塚から遠ざければよいわけではない。

 土地の草木にも、縁扉にも、少しの水は必要だった。


 多すぎれば崩れる。

 なくなれば乾く。


「水も荷と同じやね」


 茶太郎が言う。


「一か所にいっぱい送ったら、受ける方が困る」


「水は返書を寄こしてくれへんけどな」


 伊平が笑う。

 その時、ナギが三本目の線の先を見た。


「待って。水の音、そっちへ行ってない」


「溝は見つかったやろ?」


「途中で曲がってる」


 ナギは、山の中腹を指した。


 本来の溝は、月の印から南へ下る。

 だが水音は、途中から東へ逸れていた。


 一行は安全な尾根側から回り込む。

 そこには、新しく掘られた細い水路があった。

 古い溝を土で塞ぎ、別の方向へ水を引いている。


「昔の山守が変えたんかな」

 茶太郎が尋ねる。


 源爺は、切られた竹の断面を指でなぞった。


「いや。これは新しい」


 水路の先には、小さく切り開かれた土地があった。

 若い茶の木が、十数本植えられている。

 根元の土は濡れていた。


「茶畑へ水を引いたんや」


 伊平の声が低くなる。

 誰かが茶の木を育てるため、古い水筋を付け替えた。

 その結果、残る水が塚側へ偏り、倒木で行き場を失った可能性がある。


「悪い人がやったん?」

 かん太が尋ねる。


「まだ分からへん」

 茶太郎は首を振った。


「山が崩れるって知らんかったかもしれへん」


 茶畑の脇には、小さな瓢箪と使い古した鍬が置かれていた。

 誰かが今も、ここへ通っている。


 茶太郎たちは水路を壊さず、その場を離れた。

 勝手に戻せば、茶の木が枯れるかもしれない。


 だが、このままなら次の雨で塚が再び崩れる恐れがある。


「まず、作った人を探そう」

 茶太郎が言った。


「山の水を守る人と、茶の木を育てたい人。両方の話を聞く」


 月の印が教えてくれたのは、犯人の名ではなかった。

 三つの水筋のうち、一つが——誰かの暮らしへ結び替えられていたことだった。

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『茶太郎がゆく』
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