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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
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第302話 「崩れた塚と、母を呼ぶ三本線」

 ――助けたい時ほど、先に崩れない道を作らなければならない――


 翌朝。


 茶太郎たちは、大吉山へ向かった。


 先頭は、山道を知る伊平いへいじいさん。

 弥七やしち果心居士かしんこじが続き、茶太郎とかん太はその間を歩く。


 茶丸と白灯あかりは、道の両側を警戒した。

 マキトは木の根や岩へ白い印を残す。

 ナギは近くを流れる水の音を追っていた。

 ウリハも一緒だった。


 母親の居場所を匂いで探すためである。


「走ったらあかんぞ」


 弥七が言う。


「分かってる!」


 そう答えた直後、ウリハは前へ飛び出しかけた。


「キュッ……」


 弥七に見られ、自分で足を止める。


「走ってない。ちょっと急いだだけ!」


「それを走る言うんや」


 以前なら笑いが起きるところだった。

 だが今日は、誰も大きく笑わなかった。


 山へ入ると、湿った土と折れた枝の匂いが強くなる。

 前日の雨は上がっている。

 それでも、葉の先から水滴が落ち続けていた。


 ぽたり。

 ぽたり。

 やがてナギが、尾びれを上げた。


「水……変」


「どこが?」


「上から来た水が、途中で消えてる。でも、下の土はいっぱい濡れてる」


 流れがなくなったのではない。

 見えない場所へ入り込んでいる。


「地面の下を流れとるんか」


 伊平が斜面を見た。


「昨日より重うなっとるな」


 足元の土には、細い割れ目ができていた。

 弥七は一行を止める。


「ここから先、同じ場所へ集まるな。子どもは斜面の下へ立つな」


 茶太郎たちは、伊平が安全を確かめた固い尾根側へ移った。

 茶丸が前足を止める。


「……ニャッ」


 白灯も、地面へ鼻を近づけた。


「にゃっ」


 その先には、倒れた木があった。

 根元ごと抜け、山側の細い溝を塞いでいる。

 本来なら雨水が流れるはずの溝だった。


「これで水が止まった?」


 茶太郎が尋ねる。


「一つは、これやろな」


 伊平が答えた。


「せやけど、木だけ動かしたらええとは限らん」


 倒木の上には、濡れた土が溜まっている。

 下から切れば、木と土が一緒に滑り出すかもしれない。


 ナギは土の下へ耳を澄ませた。


「水、木の右から土へ入ってる。その先……塚の方」


「母ちゃんも、そっち!」


 ウリハが鼻を上げる。

 だが、匂いを追って斜面へ下りようとはしなかった。


「どこから行けばええ?」


 ウリハは、弥七へ尋ねた。


「マキトの印から外れん道や」


 マキトが白い光を少し先へ置く。


「こっち。遠回りだけど、地面が固い」


 一行は尾根側から回り込んだ。


 大吉山との縁が定着した、小さな塚。

 その姿は、以前とまるで違っていた。


 土が崩れ、片側が埋まっている。

 若葉の印があった石も、半分ほど泥に沈んでいた。


「母ちゃん!」


 ウリハが叫ぶ。


 返事はない。

 茶太郎の胸が冷たくなる。


「もう一回、合図してみよう」


 ウリハは前足で、固い地面を叩いた。


 とん。


 少し待って、

 とん、とん。

 しばらく、何も聞こえなかった。


 やがて土の奥から、

 こん。

 こん、こん。


 小さな音が返ってきた。


「いる!」


 ウリハが塚へ駆け寄ろうとする。

 弥七が抱き上げた。


「下ろして! 母ちゃんがいる!」


「今そこへ乗ったら、土ごと崩れる」


「でも!」


「助けるために止めとるんや」


 ウリハは暴れた。

 それでも弥七は離さなかった。


 まず、塚へ流れ込む水を減らすことになった。

 倒木そのものは動かさない。


 その手前から、別の浅い溝を掘る。

 水を一度に落とさず、石と枝を置いて勢いを弱める。


「ナギ、水を止められる?」


「止められない。でも、どっちへ行くかは分かる」


 ナギが示す方角を、伊平と弥七が確かめる。

 新しい流れが別の斜面を崩さない場所へ、水を少しずつ逃がした。


 子どもたちは掘削へ加わらない。

 茶太郎とかん太は、必要な縄や木片を大人へ渡す場所まで運ぶ。

 その先へは出ない。


 水が減っても、すぐには塚を掘らなかった。

 土の動きが止まるまで待つ。

 白い小石を割れ目の両側へ置き、ずれていないか確かめる。


「急がへんの?」


 ウリハが震える声で聞く。


「急いで崩したら、もっと時間がかかる」


 伊平が答えた。


「中から音が返るうちは、場所を確かめながら進む」


 ウリハは何度も合図を送った。


 とん。

 とん、とん。


 そのたびに、土の奥から弱い返事がある。


 昼を過ぎた頃。


 小石が動いていないことを確かめ、ようやく掘る場所が決まった。


 正面からではない。

 塚の少し横。

 木の根が土を支えている場所から、狭い穴を作る。


 弥七と伊平が交代で掘る。

 果心は土を運び、入口の外へ離して置く。

 掘った土を足元へ積めば、逃げ道を塞いでしまうからだ。


「音、近い!」


 ウリハが叫ぶ。

 白灯が穴の入口で鼻を動かした。


「にゃっ」


「生き物の匂いがする」


 茶丸も耳を立てる。


「……ニャッ」


 土の奥から、荒い息遣いが聞こえた。


「ここからは手で掘る」


 弥七が道具を置いた。

 刃先で中の者を傷つけないためだ。


 湿った土を少しずつ取り除く。

 最初に現れたのは、欠けた木椀を叩いていた枝だった。

 その奥に、白い毛が見える。


「母ちゃん!」


 ウリハが叫んだ。


「ウリハ……?」


 かすかな声が返る。


 白い毛並みの大きな猪霊が、身体を丸めていた。

 腹の下には、二匹の小さな野兎がいる。

 崩れた土から、子兎たちを守っていたのだ。


「今、穴を広げる。まだ動かんといてくれ」


 弥七が声をかける。


 猪霊は頷いた。

 先に子兎を布へ包み、一匹ずつ外へ出す。


 次に猪霊の周囲を広げる。

 後ろ脚に枝が挟まっていたため、無理に引っ張らない。

 枝を支え、身体へ重さが掛からないことを確かめてから切った。


 最後に、白い猪霊が穴から出てくる。


「母ちゃん!」


 ウリハが駆け寄る。

 今度は、誰も止めなかった。

 白い猪霊は土だらけの鼻先を、ウリハの額へ押し当てた。


「帰らん子やと思ってた」


「ちゃんと帰るつもりやった!」


「いつ?」


「えっと……そのうち!」


 白い猪霊が、ウリハの頭を鼻先で転がす。


「今、助かったばっかりやのに!」


「助かったから叱れるんや」


 茶太郎たちは、猪霊の脚をすぐ治ったとは決めなかった。


 傷を洗うのは大人。

 歩かせず、木の枝と布で作った担架へ乗せる。

 子兎たちも、親を探すまで別の籠で守ることになった。


「なんで塚の中にいたん?」


 茶太郎が尋ねる。


「雨が強うなって、子兎が穴へ逃げ込んだんや」


 猪霊が答える。


「出そうとした時に土が落ちた。若葉の扉が近くにあったから、前に届いた椀を叩いた」


「扉を通ろうとしたんやないの?」


「この身体で通れるわけないやろ。向こうに誰かおるなら、音くらい届くかと思うた」


 縁扉が弱ったのは、誰かが無理に開こうとしたからではなかった。

 塚の周りへ流れ込んだ水が、土地の力を奪っていたのだ。


 水を逃がしたあと、塚の若葉印には少しだけ光が戻った。

 しかし、以前の明るさではない。


「直った?」


 ウリハが尋ねる。


「まだや」


 茶太郎は首を振った。


「今日は人を助けただけ。雨が降った時、また水が溜まらへんか確かめなあかん」


 倒木をどうするか。

 新しく掘った溝を残してよいか。

 塚の土を何で支えるか。


 それは、山を知る者たちと後日決める。

 帳面には、


『猪霊一体、子兎二匹を救出。

 塚の水、今は減る。

 若葉の光、少し戻る。

 雨の日は未確認』


 と記した。


 帰り道。

 ウリハは母の担架の横を歩いた。


「秘密基地、見に来る?」


「生き物は扉を通れへんのやろ」


「山道から来たらええ!」


「脚が治ってからや」


「ほな、絶対治して!」


「治すんは休む身体や。お前が命令することやない」


「母ちゃん、厳しい!」


 マキトの白い印が、夕暮れの山道を照らす。

 そのとき、先頭の茶丸が立ち止まった。


「……ニャッ」


 新しく水を逃がした溝の先。

 流れに洗われた土の中から、平たい石が一枚現れていた。


 表には、若葉ではない印が刻まれている。

 三本の水筋を抱く——小さな月の印だった。


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『茶太郎がゆく』
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