↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
PR
313/338

第301話 「弱った縁扉と、向こうから返された椀」

 ――閉じた扉を無理に開くより、何を伝えようとしているか確かめる――


 茶太郎たちは、翌朝早く京を発った。


 宗兵衛そうべえの蔵ではなく、宇治の秘密基地へ戻るためである。

 下京の受け場には、おすみたちが残った。


 伏見の葦屋へは、荷運びの若者が状況を伝える。

 京と伏見の仕事を、茶太郎一人が抱えて帰るわけではなかった。


「基地の扉、なくならへんよね?」


 かん太が尋ねる。


「分からへん」


 茶太郎は、レオとシロから届いた木札を握っていた。


「せやから、急ぐ。でも暗くなったら走らへん」


 六歳の茶太郎だけでは戻れない。

 弥七やしちとかん太が付き添い、果心居士かしんこじも同行する。

 茶丸と白灯あかりは、道の前後を確かめながら進んだ。


 宇治へ着いたのは、日が傾く前だった。

 秘密基地の入口では、マキトが白い印を灯して待っていた。


「おかえり」


 その声には、いつもの落ち着きがない。


「扉は?」


「まだ、ある。けど……光が減ってる」


 基地へ入る。

 床下の水路では、ナギが尾びれを揺らしていた。

 ウリハは若葉模様の壁の前を、何度も行き来している。

 レオとシロは、扉から少し離れて座っていた。


「茶太郎!」


「おそい!」


「ごめん。何があったん?」


 壁に浮かぶ若葉の輪は、以前より暗くなっていた。

 緑色だった光が、灰色に近づいている。


 とん。

 壁の向こうから音がした。


 少し間を置いて、

 とん、とん。


 ウリハが飛び上がる。


「まただ! ずっと呼んでる!」


「誰が?」


「分かんない。でも、大吉山の匂いがする!」


 茶太郎は扉へ近づこうとした。


「待って」


 シロが前へ出る。


「近づくと……光、へる」


 茶太郎が足を止める。

 確かに、若葉の輪が一度だけ大きく揺らいだ。


「開けてほしいんと違うの?」


「みんなが壁に寄るたび、光が弱くなった」


 レオが言う。


「だから、ぼくたち、離れてた」


 レオとシロは、扉を開けようとはしなかった。

 向こうから音がしても、壁を押さず、茶太郎が戻るまで見ていた。


「えらかったね」


「ぼくらも……開けたかった」


 レオは俯いた。


「でも、壊れたら、向こうへ行く道なくなる」


 茶太郎は木札を床へ置いた。


「まず、何が起きると光が減るか確かめよう」


 一人ずつ、ゆっくり扉へ近づくことになった。


 最初はマキト。

 変化なし。


 ナギ。

 わずかに揺れるが、光は減らない。


 レオ。

 変化なし。


 シロ。

 変化なし。


 そして、ウリハが近づいた瞬間——。

 若葉の輪が強く光り、その直後に暗くなった。


「ぼくのせい?」


 ウリハの耳が垂れる。


「ウリハが悪いって決まってへんよ」


 茶太郎は、すぐに否定した。


「大吉山と一番強くつながってるから、扉が応えようとしてるんかもしれへん」


 次に茶太郎が近づく。

 胸の奥から、熱が壁へ引かれる。


「開きそう……」


「開けたらあかん」


 弥七が肩へ手を置いた。


「基地の光が減っとる時に、どれだけ力を取られるか分からん」


 茶太郎は壁から離れた。

 果心が若葉模様を眺める。


「私の幻で、向こう側を見せてみましょうか」


「見えるだけ?」


「本当に向こうを見る術ではない。皆が覚えている大吉山を映すだけですな」


「ほな、今は役に立たへんね」


「ずいぶん、はっきり言いますな」


 とん。

 また音がする。


 とん、とん。

 シロが首を傾けた。


「同じ」


「何が?」


「音。ずっと、一つ。少し待って、二つ」


 誰かが力任せに叩いているのではない。

 同じ間隔を繰り返している。


「合図かもしれへん」


 レオが、床に置いてあった小さな木片を拾った。


「こっちからも、同じに返す?」


「壁を叩いたら、扉を開く力にならへんかな」


 茶太郎が心配する。


 そこでレオは、壁ではなく床を叩いた。

 こん。


 少し待って、

 こん、こん。


 一同は黙って待つ。


 やがて、向こう側から返事が来た。


 とん。

 とん、とん。


「返ってきた!」


 ウリハが跳ねる。

 しかし、まだ相手も用件も分からない。


「音だけやと、開けてほしいんか、来てほしいんか分からへん」


 茶太郎が言う。

 シロは、壁の下を嗅いだ。


「匂い……土だけじゃない」


「何の匂い?」


「木」


 シロは鼻先を壁へ向ける。


「前に送った、お椀」


 第25話で、縁扉の試しに使った空の木椀。

 大吉山側へ送ったまま、呼び戻せなかった物だった。


「向こうの誰かが、椀で扉を叩いてるんや」


 茶太郎は膝をついた。


「でも、誰が?」


「小さい物なら、まだ通せるかもしれない」


 レオが言った。


「人を通すんじゃない。向こうの物を、少しだけ返してもらう」


「基地の力が減ってるのに?」


「扉を開けるんじゃなくて……隙間を作る」


 レオは、若葉の輪の端を指した。

 そこだけ、光が完全には消えていない。

 ウリハが離れると、少しずつ明るさを取り戻している。


「ウリハが近づくと、扉はウリハを通そうとして力を使う」


 茶太郎は気づいた。


「でも、葉っぱや椀だけなら、使う力が少ない」


「ぼく、離れてる!」


 ウリハは入口近くの藁まで下がった。


「向こうに誰かいても、今は飛び込まない!」


 茶太郎は若葉の輪へ手を当てた。

 人が通れる扉を思い浮かべない。


 大きく開こうともしない。

 木椀一つが通るだけの、小さな穴。


 胸の熱を、ほんの少しだけ渡す。

 壁に、指二本ほどの黒い隙間が開いた。


「一度だけや」


 弥七が言う。


「光が減ったら、すぐ閉じろ」


 向こう側へ、細い組紐を通した。


 先には、小さな輪を作ってある。

 レオが床を叩く。


 こん。

 こん、こん。

 しばらくすると、組紐が引かれた。


 重い。


 茶太郎一人では引かない。

 弥七が組紐を持ち、ゆっくり手繰り寄せる。


「無理に引っ張るな。引っかかったら止める」


 黒い隙間から、木椀の縁が現れた。

 椀は土に汚れ、片側が欠けている。


 それでも、第25話で送った物に間違いなかった。

 椀の中には、三つの物が入っていた。


 折れた若葉。

 黒く濡れた土。

 白い獣毛。


「これ……」


 ウリハが震える鼻を近づけた。


「母ちゃんの匂いだ」


「ウリハのお母さん?」


「うん。でも、土の匂いも変だ。山崩れのあとみたいな匂いがする」


 ナギが床下の水へ潜った。

 しばらくして戻ってくる。


「大吉山の方から来る水……昨日より少ない」


「扉の力が減ったんやなくて、土地から来る力そのものが減ってる?」


 茶太郎が尋ねる。


「たぶん。でも、ここからじゃ、どこが止まったか分からない」


 木椀の底には、爪で刻んだような三本の線があった。

 ウリハはそれを見つめる。


「山の仲間が危ない時の印だ」


「扉を開けて助けに行く?」


 かん太が尋ねた。

 茶太郎は首を振った。


「今、人が通ったら基地も山も弱る。大吉山へは、自分の足で行く」


 弥七が頷く。


「暗い山へ今から入るんは危ない。明日の朝、大人を増やして向かう」


 マキトは帰り道の白い印を用意する。

 ナギは山へ向かう水の変化を追う。

 レオとシロは秘密基地に残り、扉の光と音を見張る。


 ウリハは一緒に行きたがったが、まず母の匂いが付いた獣毛と土を大人に見せることになった。


「レオ、シロ。ここ、任せてもええ?」


「うん」


「こんどは……光のへり方も数える」


 二人が解決したわけではない。

 けれど、扉を無理に開けていれば、危険を知らせる木椀さえ受け取れなかったかもしれない。


 開けないこと。

 音を聞き分けること。

 小さく返事をすること。


 それが、次の道を残した。


 茶太郎は欠けた木椀を見つめた。

 京と伏見で、人の縁を結んできた。


 今度は——最初に縁扉がつながった大吉山で、その道の根元が崩れようとしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
面白いと思っていただけたら、ぜひブックマークや評価(★)をお願いします!
『茶太郎がゆく』
style=
目次からブックマークをお願いします
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。