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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
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第300話 「井戸へ続く道と、百人目ではない縁」

 ――続く縁は、誰か一人の我慢ではなく、互いに返せる約束から生まれる――


「この土地は、わしのものとして認められた」


 宗兵衛そうべえが広げた証文には、下京の屋地が描かれていた。


 その中央を、一筋の細い道が横切っている。

 井戸へ続く道だった。


「この道は塞がん」


 宗兵衛が言う。


「昔から町の者が使ってきた。蔵を建てても、人と水桶が通れる幅を残す」


 おすみの肩から、わずかに力が抜ける。

 だが、証文には別の線も引かれていた。


 蔵を建てる場所。

 荷車を入れる場所。

 炊き出しに使っている土地の多くが、その中に含まれている。


「ほな、うちらは出ていかなあかんのですか」


「今のまま使われたら、蔵は建てられん」


 宗兵衛は、はっきり答えた。


「せやけど、全部追い出すつもりでもない」


「どういうこと?」


 茶太郎が証文を覗く。


「わしが建てる蔵には、伏見から京へ届く荷も入るんやろ」


「薬種や乾物を置ける場所が、京にも要る」


 荷運びの若者が答えた。


 伏見の葦屋で荷を受けても、京へ着いた先に預ける場所がなければ、雨の日も道端へ置くことになる。


「なら、この蔵を京の受け場にもする」


 宗兵衛は、蔵の端を指した。


「荷を預かる銭をもらう。それが、わしの商いや」


「炊き出しは?」


「蔵の裏に、火を使える場所を空ける。ただし、ただでは貸さん」


 お澄の顔が曇る。


「うちらには、地代を払える銭はありません」


「銭だけが代やない」


 宗兵衛が示したのは、伏見から来る荷だった。


 受け取った箱の数を確かめる。

 濡れや破れがないか見る。

 荷車へ渡す時に、相手の印を残す。

 炊き出し場の大人が、その仕事を交代で受け持つ。


「働いた分を、炊事場の地代と薪代の一部へ充てる」


「荷に何かあったら、うちらの責任になるんですか」


「そこは分ける」


 宗兵衛は答えた。


「預ける前から壊れとった物まで、見張る者の責めにはせん。受け取る時の状態を、わしと一緒に確かめる」


「宗兵衛さんが留守の時は?」


「代わりの者を決める」


「その人も留守やったら?」


「お前は六つのくせに、どこまで聞くんや」


「また六つ言われた!」


 宗兵衛はため息をついた。

 それでも、問いを打ち切らなかった。


 一人で荷を受け取らない。

 宗兵衛の側から一人。

 炊き出し場から一人。


 二人で数と外側の状態を確かめる。


 印が合わなければ、勝手に開けない。

 止め印を付け、伏見へ知らせる。


「伏見の葦屋と同じやね」


「同じ決まりなら、荷運びも覚え直さんでええ」


 若者が言った。


 伏見と京で別々の決まりを作れば、その境でまた間違いが起こる。

 葦屋の帳面と同じ順序を使い、違うところだけを京の帳面へ加えることになった。


 だが、まだ問題が残っている。


 蔵を建てる間、お澄たちの炊き出し場をどこへ移すのか。

 三人の旅人が泊まる場所も、あと二日しかない。


「先に蔵を建ててから考える、では遅いな」


 宗兵衛が呟く。


「ほな、蔵を建てる人に聞こう」


 茶太郎が伊助いすけを見る。

 大工の伊助は、証文の線と焼け跡を見比べた。


「蔵を一度に全部建てたら、仕事場も炊事場も塞がります」


「なら、どうする」


「井戸から遠い方の壁から建てる。先に、小さい荷置き場と雨を避けるひさしを作るんです」


 庇の下なら、荷を置ける。

 炊き出しの鍋も、火を消したあと雨から守れる。

 蔵の本体を建てる間は、交代で使うことができる。


「ただし、同じ場所で火と荷を扱ったら危ない」


 伊助は地面へ線を引いた。


 火を使う場所。

 荷を置く場所。

 人が通る場所。

 井戸へ向かう道。


 それぞれの間を空ける。


「果心さん、見えるようにできる?」


 茶太郎が尋ねた。


「できますぞ」


 果心居士かしんこじは、集まった者たちを見回した。


「これから見せるのは、まだ建っていない蔵の幻だ。実際の柱の強さや広さを保証するものではない。置き場所を見るためだけに使う」


 ちりん。


 錫杖の音とともに、焼け跡へ薄い柱が立った。


 半透明の壁。

 庇。

 荷箱。

 粥鍋。

 井戸へ水桶を運ぶ人。


 荷車が入ると、曲がり角で庇の柱へ近づきすぎる。


「ここ、ぶつかる」


 荷運びの若者が指した。


「柱を一歩下げたら?」


「屋根が短くなって、雨が吹き込む」


 伊助が答える。


「ほな、荷車を斜めに入れんと、まっすぐ止める」


「後ろの道が詰まるぞ」


 宗兵衛が言う。


 一度で決まらない。

 幻の柱を動かす。

 荷車を通す。

 人の流れを見る。

 鍋の煙が荷へ向かわないか確かめる。


 それを何度も繰り返した。

 最後に残った形は、大きくも立派でもなかった。


 荷箱を十個ほど置ける小さな受け場。

 六人まで雨を避けられる庇。

 井戸へ続く細い道。


 火を使う場所は、土壁で荷から隔てる。


「寝床は?」


 おさとが尋ねる。


「蔵へ人は泊めへん」


 宗兵衛が即答した。


「荷と人を同じ場所へ入れたら、火も盗難も疑いが増える」


「ほな、三日後は……」


 娘が母の袖を握る。

 すると、西光寺の了円りょうえんが口を開いた。


「寺の古材置き場を、もう七日だけ貸せます」


「前は三日だけって」


「古材をこちらの庇へ移せるなら、堂を空けられます」


 宗兵衛が了円を見る。


「わしの土地へ、寺の古材を置くんか」


「庇を建てる材にも使えます。使った分は、寺が貸した材として記録する」


「ただでもらえるんやないの?」


「使える物を、勝手にもらってはなりません」


 茶太郎が頷いた。


 残った材は寺へ返す。

 使った材は数を記す。

 返せない分は、蔵が荷を預かった銭から少しずつ返す。

 寺が無償で背負う形にはしない。


 七日の間に、旅人たちは次の寝床を探す。

 仕事が続く者には、賃金から無理なく払える場所を紹介する。

 仕事がない者を、寝床代だけが増える場所へ入れない。


「誰が紹介するん?」


 茶太郎が尋ねる。


「うちで受ける」


 お澄が答えた。


「でも、私一人では無理や」


 宗兵衛。

 西光寺。

 荷運びの若者。

 炊き出し場。


 四つの場所が、それぞれ知っている空き仕事と寝床を木札へ残すことになった。


 仕事を出す者が、賃金と日数を書く。

 寝床を貸す者が、代と泊まれる日数を書く。

 子どもと一緒に泊まれるかも、先に示す。


 確かめられていない話は、札にしない。


「京の《結び場》やな」


 伊助が言った。


「結び場?」


「人と仕事と寝床を、無理のないところだけ結ぶ場所」


 お澄は少し考え、首を振った。


「名前を付けるんは、続けられてからにしよう」


「ええ名前やのに」


「名前が先に大きくなったら、何でもできる場所やと思われる」


 茶太郎は、秘密基地の縁扉を思い出した。


 葉一枚なら通せる。

 小さな椀なら送れる。

 だが、人や大量の食べ物を運ぼうとすれば、基地や土地が弱ってしまう。


 人の縁も同じだった。

 結べる量には限りがある。

 限りを知らずに広げれば、守るはずの場所が壊れる。


「今できることを書こう」


 茶太郎が言った。

 お澄は木札へ刻んだ。


『仕事と寝床を探す手伝い。

 今日、確かめられた分だけ』


 翌日から、庇造りが始まった。


 伊助が柱を測る。

 弥助やすけが土壁を塗る。

 おふじとお里が、働く者の粥を炊く。

 おつねは子どもたちと、木札へ付ける藁紐を選り分ける。

 宗兵衛は材と銭の数を記し、了円は寺から出した古材を帳面へ残す。


 茶太郎たち子どもは、工事の中へ入らない。

 茶丸と白灯あかりも、落ちる木屑や道具を避けて離れた場所から見守った。


 三日後。


 最初の柱が立った。


 七日後。


 小さな庇ができた。

 伏見から届いた乾物の箱が、その下へ置かれる。


 受け取るのは宗兵衛とお澄。

 二人で印と数を確かめる。


「海燕、三箱」


「葦屋から三箱」


「京で三箱、受け取り」


 宗兵衛の蔵印。

 お澄の椀印。

 二つが帳面へ並んだ。


 その日の夕方には、旅人三人の次の寝床も決まった。


 弥助は、土壁の仕事を請けた家の離れへ。

 お藤は、炊事を手伝う代わりに老夫婦の家へ。

 お里と娘は、西光寺の近くにある未亡人の家へ、三十日だけ。


 どれも、永く住める約束ではない。

 合わなければ途中でやめられることも、先に決めた。


 帳面には、


『京の受け場、完成』


 とは書かなかった。


『庇、七日間倒れず。

 荷三箱、濡れなし。

 井戸道、塞がらず。

 三人の寝床、今のところ決まる』


 と記した。


「三百話やのに、ずいぶん控えめですな」


 果心が帳面を覗く。


「三百話?」


 茶太郎が首を傾げる。


「いや、こちらの話ですぞ」


 夕暮れの下京に、粥の湯気が上がる。

 その横を、水桶を持った人が通る。


 庇の下には伏見から来た荷。

 軒には、葦と椀の印。

 道は、一本の大きな力でつながったのではない。


 海で札を替えた船人。

 荷を止めた船宿。

 車を引く若者。

 土地を買った商人。

 古材を貸した寺。

 鍋を守る女。

 家を建てる職人。

 子どもを見守る老人。


 一つ一つの小さな約束が、伏見から京まで届いていた。


 その夜。


 宇治の秘密基地に残っていたレオとシロから、シオが一枚の木札を運んできた。

 札には、不器用な二つの絵が刻まれている。


 白い犬。

 小さな獅子。

 その間に——若葉の扉が描かれていた。


『きちの とびら。

 ひかりが へってる。

 でも、だれかが むこうから たたいてる』


 茶太郎の笑顔が消えた。


 大吉山へ続く縁扉は、生き物を通せるほど育っていない。

 それなのに今——扉の向こう側から、何者かが秘密基地を呼んでいた。


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『茶太郎がゆく』
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