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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
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第294話 「松永の問いと、仕えない幻」

 ――力の値打ちは、誰に命じられたかではなく、誰を傷つけるかで決まる――

 

 松永家の使者に連れられ、茶太郎たちは下京の一角にある屋敷へ入った。


 焼け跡へ急ごしらえした屋敷だった。

 新しい柱からは木の香りがする。

 その一方で、庭の隅には黒く焦げた礎石が残されていた。


「隠さへんのやね」


 茶太郎が礎石を見つめる。


「何をだ」


 果心居士かしんこじが尋ねた。


「ここが一度、焼けたこと」


 焦げ跡を土で覆えば、見えなくすることはできる。

 だが、この屋敷の主はそうしなかった。


 弥七やしちとかん太は茶太郎のそばに座り、茶丸と白灯あかりは縁側の下を調べている。


 やがて、奥の障子が開いた。

 入ってきた男は、まだ三十にも届かぬように見えた。


 細身の身体。

 黒い小袖。

 腰に刀はあるが、それより先に目が動く。


 茶太郎。

 果心。

 弥七。

 猫たち。

 庭の出入口。

 その場にあるものを、順に測っている目だった。


「松永殿」


 使者が頭を下げる。


「果心居士と、宇治の茶太郎をお連れしました」


 男——松永は、使者から文を受け取った。


『外法僧、人を追わず。

 幻にて道を見せ、町衆自ら動く』


 読み終えると、果心を見た。


「命に従わなかったそうだな」


「人を退かせる、という命には従いましたぞ」


「言葉の隙を使う者は嫌いではない」


 松永は、わずかに笑った。


「だが、騎馬の幻を見せれば早かった。なぜ使わなかった」


「馬と子どもが傷つく恐れがあった」


 答えたのは茶太郎だった。

 松永の視線が移る。


「私は果心に聞いている」


 茶太郎は口を閉じた。

 果心は、少し間を置いた。


「最初は、騎馬武者を出すつもりでした」


「ほう」


「この子に止められた。幻でも、見た者の恐れは本物になる、と」


「それで考えを変えたのか」


「……変えました」


 果心は言い訳をしなかった。


 有名な武将に仕えたい。

 自分の術を認めさせたい。

 その願いを叶えるなら、命じられた通り人々を怖がらせる方が早かった。


 それでも果心は、違う術の使い方を選んだ。


 松永は三つの椀を運ばせた。

 蓋が閉じられ、中身は見えない。


「果心。この椀を、すべて米で満たしてみせよ」


「本物の米は増やせませんぞ」


「幻でよい」


 果心が錫杖を鳴らす。


 ちりん。


 三つの蓋が開いた。


 白い飯。

 麦飯。

 粟の粥。


 温かな湯気まで立ち上っている。


「わあ……」


 茶太郎の腹が、小さく鳴った。


 松永は箸を取り、白い飯をつまもうとした。

 箸は何も挟まず、椀の底へ当たる。

 こつん。


「見えても、腹は満たせぬ」


「当然ですな」


「だが、飢えた者を集めることはできる」


 松永は椀の幻を見つめた。


「米があると思わせて呼び寄せる。道を空けさせる。敵を誘う。味方の数を多く見せる。城が燃えているように見せる」


「できます」


 果心は答えた。


「ならば、私に仕えよ」


 屋敷の空気が止まった。


 果心の指が、錫杖を強く握る。

 長く求めてきた言葉だった。


 名のある武将に仕える。

 自分の術が、世を動かす力として認められる。


「禄も居場所も与える」


 松永は続けた。


「ただし、術を使う相手と時は、私が決める」


 果心の目が揺れた。


「松永殿が、飢えた者へ米の幻を見せよと命じたなら?」


「従え」


「偽の道を見せ、崖へ向かわせよと言われても?」


「必要ならな」


「それで人が死んでも?」


 松永は即座に答えなかった。


「術を持つ者が、使った後の責めまで選べると思うか」


「思いません」


 果心は静かに言った。


「だからこそ、誰の命なら従うかを選びたい」


 それは、仕官を断る言葉だった。

 茶太郎は驚いて果心を見た。


 松永家の使者も息を呑む。

 松永だけは、表情を変えなかった。


「名のある者に仕えたかったのではないのか」


「今も仕えたいですぞ」


「ならば、なぜ断る」


「仕えれば、私の名も上がると思っていました」


 果心は、空っぽの椀を見た。


「だが、借りた名が大きくなっても、私の術の中身が空なら——この椀と同じです」


 果心が錫杖を鳴らす。


 三つの椀から、飯の幻が消えた。

 残ったのは、何も入っていない器だけだった。


「今の私では、命じられた術を断れなくなるかもしれぬ。ゆえに、まだ仕えられません」


 松永は果心を見つめた。


 怒っているのか。

 面白がっているのか。

 茶太郎には分からない。

 長い沈黙のあと、松永は使者へ命じた。


「本物の粥を持ってこい」


「はっ」


「空の椀を見せたまま客を帰せば、松永は幻しか振る舞えぬ男だと思われる」


 間もなく、麦と粟を炊いた粥が運ばれた。

 派手な料理ではない。

 だが、生姜の香りが立ち、刻んだ大根葉が入っている。


 茶太郎は一匙食べた。


「温かい」


「それは幻ではない」


 松永が言う。


「六つの子にも、その違いは分かるか」


「うん。食べたら分かる」


「人は、食べるまで待たぬことがある」


 松永の目が細くなる。


「見えたものを信じ、聞いた噂を信じ、恐れたまま刃を抜く。果心の術がなくても、人は毎日、勝手に幻を作っておる」


 茶太郎は粥の匙を止めた。


「ほな、その幻を消す術もいるね」


「消せると思うか」


「一人では無理やと思う」


 茶太郎は、下京の道を思い出した。


「でも、見えてるものを別々に話したら、間違ってるところが分かるかもしれへん」


 荷車を引く者。

 井戸を使う者。

 材木を扱う者。

 それぞれに見える危険は違っていた。


 だから、持ち寄る必要があった。


 松永は初めて、茶太郎を六歳の子としてではなく、一人の相手として見た。


「なるほど。伏見で果心の身元を証した方法も、それか」


「全部を知ってる人がおらんかったから」


「名のある一人の証文より、名のない者たちの話を重ねた」


「うん」


「面倒なやり方だ」


「松永さんは、面倒なん嫌い?」


 使者の顔が青くなった。


 果心が咳き込み、弥七が片手で顔を覆う。

 松永は、しばらく茶太郎を見た。


「嫌いだ」


「そっか」


「だが、面倒を避けた者が、あとでより大きな面倒を抱えることは知っている」


 松永は一枚の絵図を広げた。


 下京の焼け跡が描かれている。

 前日に道を整えた場所もあった。

 その横の土地へ、黒い印が付けられている。


「この地の持ち主が戻ってきた」


「持ち主?」


「あの者たちが材木を置き、粥を炊いている焼け跡だ。勝手に使われたとして、すべて追い出せと訴えてきた」


 お澄たちは、空いているように見える土地にも持ち主がいると言っていた。

 だから道から遠くへ移れなかった。


 ところが今度は、彼らが使っていた場所にも権利を主張する者が現れた。


「その人、本当の持ち主なん?」


 茶太郎が尋ねる。


「それを示す証文が、二枚ある」


 松永は、よく似た二枚の文を置いた。

 どちらにも同じ土地の名が書かれている。

 持ち主の名だけが違っていた。


「片方が偽物?」


「あるいは、どちらも本物だ」


「どういうこと?」


「売った者と、預けた者。寺と町衆。火事の前と後。土地には、長く残った縁が幾重にも絡む」


 松永は二枚の証文を茶太郎の前へ滑らせた。


「果心の幻で片方を偽物に見せれば、話は早い」


「それはせえへん」


「ならば、京で結んだ人の縁とやらで確かめてみよ」


 松永は薄く笑った。


「どちらが正しいかではない。誰に、どこまでの権利があるのかをな」


 道を空けた次に現れたのは——その道の隣にある、誰かの帰る場所だった。


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『茶太郎がゆく』
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