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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
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第279話 「古道の煙と、木陰の果心」

 ――昔に道だった場所が、今も道に向くとは限らない――


 古い石段が見つかったという話は、半日のうちに宇治へ広がった。


「炭山まで抜けられるなら、荷が早うなる!」


「朝日山を越えて、近江へ向かう道にも繋げられるんと違うか?」


「掘り起こそう。人手なら出す!」


 翌朝には、鍬や鋤を担いだ男たちが朝日山の麓へ集まっていた。


 湿った土から、苔むした石の角が覗いている。

 石段の間には杉の根が入り込み、細い水が銀色に光っていた。


 集まった人々から少し離れた木陰に、一人の旅僧が立っていた。


 擦り切れた墨染めの衣。

 深くかぶった笠。

 節くれ立った杖。


 大和から京へ向かう途中だというその僧を、誰も気に留めなかった。

 だが僧の方は、集まった者たちを一人ずつ見ていた。


 いや。

 正確には、その中心にいる六歳の子どもと、二匹の猫を見ていた。


「待って!」


 茶太郎は、鍬を振り上げた男を止めた。


「まだ、どこへ続いてるか確かめてへんよ」


「炭山の印があるんやろ?」


「印があることと、今も通れることは別や」


「子どもが何を怖がっとる。道は掘れば出てくる」


 男が鍬を土へ入れようとした、そのときだった。

 からん。


 昨日掛けた石の小札が、風もないのに揺れた。

 地面の奥から、ごり、と低い音が響く。

 集まった者たちの足が止まった。


「斜面はまだ動いとる」


 弥七やしちが縄の前へ立った。


「掘った土の置き場も決めず、根を切ったら、もっと崩れるぞ」


 道を掘り起こす話は、いったん止められた。


 まず古い道がどこへ続くのか、土地を知る大人同士で確かめる。

 朝日山側からは山仕事の者。

 炭山側からは炭焼きと木樵。


 互いに安全な場所まで入り、間の危険な斜面へは近づかない。

 茶丸と白灯あかりも連れていかなかった。

 影猫衆は、崩れかけた道を試す者ではない。

 茶太郎たちは麓に残り、古い話を集めることになった。


 調べ手たちが山へ入ったあと、茶丸が木陰へ顔を向けた。


『さっきから見てる奴がおる』


 木陰の旅僧は、わずかに眉を上げた。


「ほう。目だけでなく、勘もよいか」


 誰にも聞こえないほど小さな声だった。

 しかし茶丸の耳は、ぴくりと動いた。


『お前、俺の声が分かるんか』


「随分とはっきり聞こえておるぞ。口の悪そうな黒猫殿」


『怪しい坊主に言われたくない』


「まだ名も告げておらぬのに、怪しいと決めるか」


『名を隠して木陰から子どもを見てる奴は怪しい』


「これは手厳しい」


 旅僧は楽しそうに笑った。

 白灯も木陰を見つめる。


『あの人、お腹すいてる』


「白い方は、見抜くところが違うな」


 茶太郎には、二匹が何を見ているのか分からなかった。


「茶丸、誰かおるん?」


「……ニャッ」


 茶丸は答えず、旅僧から目を離さなかった。


 昼を過ぎた頃。

 炭山から、三人の男と一人の老女が下りてきた。

 男たちの着物には黒い粉が染み込み、近づくと焦げた木と煙の匂いがした。


「勝手に道を開けるつもりか」


 先頭の炭焼きが、集まった宇治の者たちを睨んだ。


「まだ開けてへんよ」


 茶太郎が答える。


「開けられるか、話を聞いてるところ」


「同じことや。宇治の荷車が入ってきたら、うちらの道は潰れる」


 荷車を通せば便利になる。

 茶太郎は、そう思っていた。

 だが炭焼きの男は、古い道が今どのように使われているかを話した。


 冬は、切った木を運ぶ。

 春は、炭窯へ土を運ぶ。

 雨のあとには、山から流れる水を小さな溝へ導く。

 石段の一部は崩れていても、その上を人が歩き、暮らしを支えてきた。


「道幅を広げる言うて杉を切られたら、窯に落とす水が変わる。荷車の轍ができたら、雨水が一気に流れてくる」


「でも、昔は荷を運んでた道なんやろ?」


 かん太が尋ねた。


 老女が首を振った。


「人の背と、細い馬でな。車の道やない」


 古い道という言葉から、茶太郎たちは広い街道を思い描いていた。

 けれど、土の下から現れた石段は、人が一人ずつ通るほどの幅しかない。

 曲がりも急で、荷車が向きを変えられる場所はなかった。


「昔できたことを、大きくしてやったらあかんのやな」


 茶太郎が呟いた。


「道が耐えられる重さを越える」


 炭焼きの男は、まだ険しい顔をしている。


「それに、道を開けたら役人が来る。炭をいくつ焼いた、いくら売ったと数え始める。次には役銭や」


 道を結ぶことは、便利さだけを運んでくるのではない。

 支配する者の目。

 商人の値付け。

 山の木を欲しがる者。

 それらも一緒に入ってくる。


「水輪は炭の数を取らへん」


「今は、やろ」


 茶太郎は答えられなかった。


 男山と山崎でも、誰の道にするかで争いが起きた。


 ここで水輪の印を掲げれば、炭山の者には新しい支配の旗に見えるかもしれない。

 木陰の旅僧が、炭焼きの男を見つめる。


「怒りではないな」


 また、小さな独り言だった。


『何がや』


 茶丸が尋ねた。


「あの男は、道を取られることだけを恐れておるのではない。自分たちの暮らしを、数だけで決められることを怖がっておる」


『茶太郎に言わんのか』


「言わずとも、あの童は近くまで辿り着きそうじゃ」


『ほな黙っとけ』


「本当に口が悪いのう」


 夕方、双方の調べ手が戻ってきた。

 古道は途中で二つに分かれていた。


 一方は炭山へ続く急な運び道。

 もう一方は尾根へ上がり、途中で完全に崩れている。


「荷車は無理や」


 山仕事の男が報告した。


「馬も、荷を付けて通すなら道を直さなあかん。けど、根を切れば斜面が持つか分からん」


「ほな、使えへん道なん?」


 茶太郎が尋ねると、炭山の老女が石段へ屈んだ。

 苔を指で払い、小さなくぼみを示す。


「ここへ昔、灯を置いた」


「灯?」


「山で怪我人が出たときや。尾根の灯が見えたら、麓から迎えが上がった。煙を上げることもあった」


 荷を運ぶには細すぎる。

 だが、知らせを送るには使えるかもしれない。

 茶太郎はすぐに決めなかった。


「炭山の人が嫌やったら、使わへん」


「道を欲しがっとったんと違うんか」


「欲しいよ。でも、住んでる人の道を取ったら、繋いだことにならへん」


 長い沈黙のあと、炭焼きの男が尾根を見上げた。


「人も荷も、勝手に入れん。それが守れるなら、知らせだけ試してもええ」


 決まりは、炭山の者が先に出した。

 古道を街道とは呼ばない。

 荷車を通さない。

 炭、木、水場の数を勝手に記録しない。

 外から来た者は、炭山の案内なしに山へ入らない。


 急病や山火事、道の崩れを知らせる灯と煙だけ、七日間試す。

 水輪が持つのは、灯を見た時刻と、次へ伝えた時刻だけ。


「また七日?」


 かん太が笑う。


「一日で成功って書いたら、あとで困るやろ」


 茶太郎が答えると、炭焼きの男の頬がわずかに緩んだ。


「なるほど」


 木陰から声がした。

 皆が振り返る。

 旅僧が、ようやく日の当たる場所へ出てきた。


「道を開かず、知らせだけ通す。欲しいものより、残すべきものを先に選んだか」


「誰や?」


 弥七が茶太郎たちの前へ出る。


「大和から京へ向かう、名もなき旅僧よ」


『嘘や』


 茶丸が即座に言った。


「名はある」


『ずっと俺らを見てた』


「それも本当じゃ」


 旅僧が茶丸へ答えた。

 茶太郎の目が大きくなる。


「茶丸の言葉、分かるん?」


「分かるとも。先ほどから散々、怪しい坊主と呼ばれておる」


『実際、怪しい』


「今も言うたぞ」


「ほんまに話してる!」


 白灯が旅僧の足元へ近づく。


『お腹すいてる人』


「そなたは、それを皆へ知らせるでない」


 かん太が口を開けたまま、猫と旅僧を見比べた。

 弥七は警戒を解かなかった。


「名を名乗れ」


 旅僧は少しだけ考え、笠を上げた。

 日に焼けた頬と、年齢の読めない目が現れる。


「果心」


「果心……居士?」


 炭山の老女が息を呑んだ。


「興福寺を逐われた外法僧やいう、あの?」


「噂は、本人より先に歩くものじゃな」


 果心居士は否定も肯定もしなかった。


 日が沈む前。

 朝日山の見張り場で、小さな試し火が焚かれた。


 火を扱うのは山仕事に慣れた大人だけ。

 周りの枯れ葉を除き、水桶を置き、風向きを確かめる。

 茶太郎たちは離れた麓から見守った。


 薄紫の夕空へ、一筋の煙が上がる。

 しばらくして、遠い山あいから別の煙が返った。


「炭山や」


 老女が言った。


 二つの煙は触れ合わない。

 けれど、互いがそこにいることは分かった。


 果心は煙を見上げながら、茶太郎へ尋ねた。


「そなた、なぜあの男が道を拒んだか分かっておったのか」


「炭山を取られると思ったからやろ?」


「それだけではない。数を取られ、値を付けられ、自分たちで決める力まで失うことを恐れておった」


 茶太郎は炭焼きの男を見る。

 男は何も言わなかったが、固く握っていた手をゆっくり開いた。


「果心さん、人の心が読めるん?」


「心そのものは読めぬ。目、息、声、指先。それらが、口より正直なことがあるだけじゃ」


「ほな、間違うこともある?」


「もちろん」


「それなら、確かめなあかんな」


「拙僧の言葉を疑うのか」


「違うよ。間違っても直せるようにするん」


 果心は一瞬、言葉を失った。

 やがて、面白そうに笑う。


「噂よりも、随分と扱いにくい童じゃ」


 その夜。

 炭山から戻った男が、一つの知らせを持ってきた。


「古道の奥で、水音が変わった」


「水音?」


「いつもはせん場所で、岩の下から響いとる。龍が壺の方や」


 志津川の上流。

 昔から、龍が棲むと語られてきた深い壺。


 忘れられた道を見つけた直後に、山の水まで流れを変え始めていた。

 男は水音のことを話しながら、何度も背後を振り返った。


 果心の目が細くなる。


「この者は、水音だけを恐れておるのではない」


 男の肩が跳ねた。


「何を見た?」


 弥七が尋ねる。


「見てへん」


 男は首を振った。


「せやけど、戻る途中、ずっと誰かに歩調を合わせられとる気がした。止まったら、向こうも止まった」


 果心が茶丸を見る。


『山の匂いに混じって、知らん水の匂いがする』


 茶丸は男の脚絆へ鼻を寄せた。

 白灯も近づく。


『石の下みたいな匂い』


「二匹とも同じことを申しておる」


 果心が皆へ伝えた。

 弥七はすぐに決めた。


「暗いうちは行かん。明るくなってから、炭山の案内と山仕事の者を先に立てる。子どもは危ない斜面へ近づけへん」


「拙僧も行こう」


 果心が言った。


「なんで?」


 茶太郎が尋ねる。


「京へ向かうつもりであったが、そなたらをもう少し見てみたくなった」


「見てるだけ?」


「必要なら、心の揺れを教える。猫の言葉も伝えよう。少しばかり、人の目を欺くこともできる」


「騙すん?」


「騙した方が、誰も傷つかぬこともある」


「でも、騙したままにしたら、あとで困る人がおるかもしれへん」


「ならば、そなたが止めればよい」


 果心は杖を肩へ担いだ。


「名高い武将へ仕えるつもりで京へ向かっておったが、六つの童に仕えるのも一興かもしれぬ」


「仕えんでええよ」


 茶太郎は答えた。


「一緒に歩こ」


 翌朝。


 一行は炭山の者に案内され、安全が確かめられた見張り場まで入った。

 危険な斜面には、弥七と山仕事の大人だけが近づく。


 茶太郎とかん太は縄の内側へ入らず、平らな場所で待った。

 茶丸と白灯も、人より先へは出ない。


 ごうん。

 岩の下から、腹へ響くような水音が聞こえた。


 以前とは違う場所へ、水が回り込んでいる。


『奥へ行ったらあかん』


 茶丸が言った。


『土の匂いが新しい』


 白灯も続ける。

 果心が二匹の言葉を伝えた。


「猫の勘だけで決めへん」


 茶太郎が言う。


「うむ。だが、止まって確かめる理由にはなる」


 弥七たちは岩へ印をつけ、水音を聞いた場所と時刻を記録した。


 龍がいるとも、崩れるとも決めない。

 雨の量と水音の変化を調べるまで、龍が壺へ近づく道は閉じることになった。


 宇治へ戻る山道。

 茶太郎たちの後ろを、果心居士が歩いていた。


 黒猫と白い猫の声を聞き、人の心の揺れを見る、不思議な旅僧。

 まだ誰も、彼をすべて信用してはいない。


 果心もまた、すべてを語ってはいなかった。

 それでも、同じ道を歩き始めることはできる。


 道を結ぶとは、最初から信じ切ることではない。

 疑いながらも、戻って確かめられる距離を残すことだった。


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