第26話 「鳳凰の招きと、影心の迷宮」
――料理でなければ開かない、五つの心の扉――
翌朝、茶太郎たちは平等院へ向かった。
今回は亜空間扉を使わない。
父・宗次と、伊平じいさんも同行している。
「鳳凰に呼ばれたいうても、茶太郎はまだ小さい。大人がついて行くんは当然や」
宗次は食材の入った籠を背負っていた。
平等院の阿字池は、朝の光を静かに映している。
その水面へ、金色の波紋が広がった。
鳳凰が舞い降りる。
『よく来ました、宇治の縁を結ぶ者たちよ』
レオが茶太郎の袖を握った。
「……きんちょうする……」
「ぼくも」
茶太郎も小さく答える。
鳳凰が翼を広げると、阿字池の水面に黒い入口が現れた。
石造りの階段が、水の底へ向かって続いている。
「これが……影心の迷宮?」
『人の心に残った恐れが、場所と形を得たものです』
橋姫が水面を見つめる。
「藤原道長の記憶なのですか?」
『道長一人の心だけではありません』
鳳凰の声が静かに響く。
『道長が宇治へ残した願い。その後、この地を訪れた人々が、権勢や死、孤独への恐れを重ねてきました。それらが絡まり、五つの結び目となったのです』
茶太郎には、迷宮の奥から苦い味が感じられた。
「焦げたみたいな味……」
『第一の結び目は、失うことへの恐れです』
金色の光の中に、大きな椀が浮かぶ。
椀からは湯気が立っているが、誰も手を伸ばそうとしない。
『権勢も、財も、命も、いつかは失われる。失いたくないと握りしめるほど、心は熱く焦げついていきます』
「どうしたら、ほどけるの?」
『温かい料理を作りなさい』
「熱い料理じゃなくて?」
『熱さと温もりは異なります』
鳳凰の言葉に、茶太郎は考え込んだ。
熱すぎるものは、口へ入れられない。
豪華すぎる料理は、失うことを恐れる心を余計に強くするかもしれない。
「誰でも食べられて、食べ終わるまで温かいもの……」
茶太郎の頭に、母が寒い日に作ってくれた麺料理が浮かぶ。
「煮込み麺がいい」
宗次が尋ねる。
「うどんか?」
「うん。みんなで同じ鍋から食べられるもの」
茶丸が目を細める。
『悪くない。だが、材料を入れすぎるな』
「どうして?」
『温もりは、旨味の数では決まらぬ』
第21話で、長逸に作った粥も質素だった。
それでも、帰る場所の温かさを伝えられた。
『第一の扉が求めているのは、珍味ではありません。失っても、また作れる料理です』
鳳凰の羽根から、小さな火が生まれた。
炎は茶太郎の手の中で、橙色の印へ変わる。
『料理が完成したら、この印を持って戻りなさい。ただし、迷宮へ持ち込めるのは一つの鍋だけです』
「一つだけ……」
『誰を温めるのか。それを忘れずに作りなさい』
水面の入口が消える。
鳳凰も光の粒となって、鳳凰堂の方角へ戻っていった。
帰り道、茶太郎はずっと考えていた。
「おいしいだけじゃ、だめなんだね」
志乃が作る料理。
文福茶釜の湯。
仲間と囲んだ茶粥。
茶太郎が知っている温もりは、一人では作れないものばかりだった。
「まず、どんな材料があるか調べよう」
宗次が言う。
「買えんものや、季節外れのものを数えても仕方ない。今の宇治で手に入るもので考えるんや」
「うん。あるもので作る」
茶太郎は橙色の印を握った。
第一の試練は、迷宮へ入る前から始まっていた。




