第273話 「止められた薬荷と、木沢長政の問い」
――道を守る力が、道を塞ぐ力へ変わるとき――
薬の荷は、日が暮れてから八幡へ着いた。
本来なら、昼過ぎには届くはずだった。
赤い組紐を付けた小箱を受け取った医師は、その場で封を確かめると、待っていた男とともに坂を下っていった。
「間に合ったん?」
茶太郎が尋ねる。
「まだ分からん」
弥七やしちは首を横に振った。
「薬が着いたことと、病人が助かることは別や。あとは医師が診る」
茶太郎は唇を結んだ。
薬を運んできた荷車は、伏見で一度。
石清水八幡宮の領内へ入る前に一度。
木沢方の改め所でもう一度、止められていた。
封を開けた者はいない。
中身を奪った者もいない。
ただ、それぞれが自分の札を確かめ、銭を求め、順番を待たせた。
その結果、昼の荷が夜になった。
「盗まれへんでも、届かへんことがあるんやな」
かん太が呟いた。
「うん」
茶太郎は《水輪藁紙》へ、止まった場所を描いた。
伏見。
八幡の入口。
木沢方の柵。
文字だけでは足りないため、日の高さも絵にする。
朝日は半分。
昼は真上。
夕方は山へ沈みかけた丸。
荷運び人から聞いた時刻を、千代の代わりに弥七が書き添えた。
「待たされた荷、全部調べるんか?」
「全部は無理やから、昨日と今日の分だけ」
「それで何が分かる?」
「同じことが、何回起きたか」
二日の間に、止められた荷車は十四台。
八幡宮の札を持っていた荷は九台。
そのうち木沢方でも銭を払ったものは七台。
薬や食を示す組紐を付けた荷は三台。
最も長く止まった荷は、半日近く動けなかった。
茶太郎は、銭の額だけでなく、待っている間に使った馬の飼葉と、人が飲んだ水の量も書いた。
「止めたら、荷だけやなくて人も馬も食べるんや」
茶太郎が言う。
「その分、運ぶ人が損する」
「損したら、次から値へ乗せる」
弥七が答えた。
「最後に払うんは、その荷を要る人や」
翌朝。
石清水八幡宮の宿坊の一室に、関係する者が集められた。
善法寺家の者。
八幡宮の神人。
荷運び人。
木沢方の役人。
茶太郎は弥七の隣へ座り、帳面を膝に載せている。
六歳の子どもが一人で申し立てをする場ではない。
誰がどこまで荷を改めるのか。
誰が銭を受け取るのか。
それを決めるのは、大人たちだった。
だが、どれだけ荷が止まったかを記したのは茶太郎だった。
「木沢方の新しい改めを、ただちに退けられよ」
神人の一人が言った。
「八幡宮の札を軽んじることは、社家を軽んじることに等しい」
木沢方の役人が反論する。
「社領の外まで八幡の札一枚で通すおつもりか。武具や間者が紛れておれば、誰が責めを負う?」
「荷を二度三度と止め、同じ銭を取ることが守りか!」
「札の名が違えば、役目も違う」
声が大きくなる。
茶太郎は、膝の上の紙を見つめた。
どちらにも理由がある。
八幡宮には、八幡宮の守るものがある。
木沢方には、道と領地を守るという言い分がある。
けれど、その間で薬が止まった。
廊下から、重い足音が聞こえた。
室内の声が消える。
現れた男は、三十を越えたほどに見えた。
細身だが、歩くたびに周囲の空気が押し分けられる。
よく整えられた髭。
鋭い目。
派手な装いではないのに、誰より先に目へ入った。
木沢左京亮長政きざわ・さきょうのすけ・ながまさ。
河内の飯盛山城を押さえ、山城南部へも力を伸ばす守護代だった。
「続けよ」
長政は上座へ座らなかった。
木沢方の役人の前へ立ち、二枚の札を見下ろす。
「俺が来たからと、言葉を変える必要はない」
誰も、すぐには口を開かなかった。
長政の視線が茶太郎の帳面で止まる。
「それは何だ」
「止まった荷の数です」
「見せよ」
茶太郎が立ち上がろうとすると、弥七が帳面を受け取った。
子どもを長政の前へ一人で出さず、弥七が紙を運ぶ。
長政は受け取ると、絵と数字を黙って追った。
「十四台」
「二日分だけです」
「八幡の札を持つ荷が九。木沢方へも銭を払った荷が七。薬と食が三」
長政が読み上げる。
「これを作って、何を求める」
「薬を止めんといてほしいです」
「では、薬と書けば何でも通すのか?」
問いが、刃のように返ってきた。
「箱の中に矢尻を詰め、薬と記した者がいたら?」
茶太郎は答えられなかった。
長政はさらに尋ねる。
「病人へ届ける文に、城の人数を書いた間者がおれば?」
「……分かりません」
「道を結ぶとは、善人だけを通すことではない」
「はい」
茶太郎は俯いた。
木沢方が荷を止める理由も、嘘ではなかった。
「長政殿」
善法寺家の男が口を挟む。
「子どもを言い負かすために来られたのか」
「まさか」
長政は帳面を閉じた。
「この子が数えたのは、我ら大人が見ぬふりをした損だ。ならば俺は、この子が見ておらぬ危険を数えてやったまで」
茶太郎は顔を上げた。
「どっちも、数えたらええんですか」
「何?」
「止めたことで助かった荷と、止めたことで困った荷。両方」
長政の目がわずかに細くなる。
「止めたことで助かった荷とは何だ」
「縄が切れかけてたとか、送り先が違ってたとか。ほんまに怪しい物が見つかったとか」
「なるほど」
「何も見つからへんかったのに、長く止めた荷も書く」
「木沢方の失敗まで、木沢方の帳面へ書けと申すか」
「失敗を書かへんかったら、次も同じになるから」
室内の何人かが息を呑んだ。
だが長政は怒らなかった。
口元だけで、薄く笑った。
「六つの子は、怖いものを知らぬらしい」
「怖いです」
茶太郎はすぐ答えた。
「さっきから、お腹痛いもん」
かん太が吹き出しかけ、慌てて口を押さえた。
長政の笑みが、ほんの少し深くなる。
「怖くても言うか」
「薬、遅れたから」
長政は二枚の札を畳の上へ置いた。
「では分けよ」
商いの荷。
急ぐ薬や救援の荷。
送り先も中身も明らかでない荷。
三つを同じ列に並べるから、道が詰まる。
茶太郎の帳面を見ながら、暫定の決まりが作られた。
薬と救援の荷は、赤い組紐だけでは通さない。
送り元と受取人の印を、木札の表と裏へ刻む。
封を壊さず、二つの印が合うかを先に確かめる。
荷の数と通過した時刻を記録し、詳しい薬の名や病人の事情までは街道の札へ書かない。
商いの荷は、これまでの関銭と座の決まりに従う。
ただし同じ場所で、同じ名目の銭を二度取らない。
正体の分からない荷は、道の真ん中で開かない。
人と馬を列から外し、大人二人以上で別の場所へ運んで調べる。
子どもは改めに加わらない。
「これで全て通せるとは思うな」
長政が言った。
「争いが起これば、道は閉じる。命令一つで止めることもある」
「そのときは、閉じたって次の場所へ知らせてください」
「なぜだ」
「知らんまま来たら、道に荷が溜まるから」
長政はしばらく茶太郎を見た。
「そなたの願いは、道を自由にすることではないのだな」
「はい。通れへんときも、次にどうしたらええか分かる道にしたいです」
七日の間だけ、新しい分け方を試すことになった。
木沢方は改めた理由と時間を残す。
八幡宮側も、送り印を付けた者と荷の数を残す。
七日後、双方の帳面を比べる。
どちらか一方の記録だけで、成功とは決めない。
話し合いが終わったとき、庭から蹄の音がした。
こつ。
こつ。
傷の手当てを終えた白妙が、馬丁に引かれて歩いている。
背には何も載せていない。
茶丸は白妙の隣を歩き、ときどき白い前脚を見上げていた。
白妙が立ち止まり、首を下げる。
茶丸は鼻先へ自分の額を寄せた。
「八幡の白馬に、宇治の黒猫か」
長政が縁側から眺める。
「これは誰の旗印だ?」
「旗印やありません」
茶太郎が答える。
「仲良うなっただけです」
「誰のものでもない、と?」
「白妙は八幡宮の大事な神馬です。茶丸は茶丸です」
「面白い」
長政は笑った。
「だが覚えておけ。便利な道も、見事な印も、最後には力ある者が欲しがる」
庭の風が、白妙の鬣を揺らす。
茶丸の黒い毛も、同じ方へなびいた。
「誰か一人の物になったら」
茶太郎は二匹を見ながら言った。
「道やなくて、門になります」
長政の笑みが消えた。
怒ったのか。
考えているのか。
茶太郎には分からない。
長政は立ち上がり、木沢方の札を一枚だけ懐へ入れた。
石清水八幡宮の札は、畳の上へ残す。
「七日後、その門を誰が開け、誰が閉めたか見せてもらおう」
その日の夕方。
最初の赤い組紐の荷が、新しい決まりで改め所を通った。
封は開かれなかった。
送り印と受取印。
箱の数。
通った時刻。
大人二人が確かめ、帳面へ残す。
薬荷は、まだ明るいうちに八幡を出た。
けれど、七日の試しが終わるより早く。
山崎へ向かう川筋で、木沢方とは別の兵が荷を止めた。
旗にあったのは、三好の印だった。




