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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
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第269話 「青い水と、染屋を犯人にしなかった日」

――色がついていることと、悪い物であることは同じではない――


 水路が、青かった。

 朝の光を受けた水面に、墨を一滴垂らしたような青がゆらゆら流れている。


「……ニャッ」


 茶丸が水際で止まる。

 白灯あかりは鼻を寄せかけて、すぐ引いた。


「にゃっ」


「触ったらあかんよ」


 茶太郎も水へ手を伸ばさない。

 影猫衆の仕事は、青い水の出どころを見つけるところまでだ。

 安全かどうかを猫に試させることもしない。

 そこへ川下の女たちが集まってきた。


「また染屋や!」


「昨日までこんな色してへんかった!」


「洗い物できへんやろ!」


 視線の先には、藍を扱う染屋が数軒あった。


「染屋を止めさせろ!」


 一人が叫ぶ。


 茶太郎は青い流れを見つめた。


「まだ、染屋さんが流したって決まってへんよ」


「上に染屋しかないやないか」


「色が青いから?」


「当たり前や!」


 茶太郎は首を振った。


「宿紙の字が消えたときも、最初は盗まれたと思った。でも違った」


 見た目だけで犯人を決めない。

 まず、どこから色が入ったのか確かめることになった。


 弥七やしちとかん太が水路を上る。

 茶丸と白灯は岸から流れを追う。

 茶太郎たち子どもは、危険な水へ近づかず、離れた道を歩いた。


 一つ目の染屋。

 水はまだ青い。


 二つ目。

 青い。


 三つ目を越えたところで——。


「ここやな」


 弥七が止まった。


 細い排水溝から、水路へ青い水が流れ込んでいる。

 その先にあったのは、《藍屋清兵衛》と書かれた染屋だった。


「ほら見い!」


 追ってきた町人が声を上げる。


「やっぱり染屋や!」


 だが茶太郎は、すぐ中へ入らなかった。


「まず話、聞こう」


 藍屋の主、清兵衛せいべえは五十ほどの男だった。

 太い指先も爪の際も、長年の仕事で藍色に染まっている。


「染め汁を川へ捨てたん?」


 茶太郎が尋ねる。

 清兵衛の眉が吊り上がった。


「捨てるか!」


 怒鳴られ、茶太郎の肩がびくっと跳ねた。


「藍建てした染め液は仕事道具や。使える間は使う。捨てたらこっちが銭を捨てるようなもんや!」


「ほな、あの青い水は?」


 清兵衛は黙った。


 奥から若い職人が出てきた。


「……俺です」


 昨日、大口の注文を急いで仕上げた。

 染め終えた布を大量に洗う必要があり、いつもの桶では間に合わなかった。

 そこで水路へ直接持っていき、すすいだ。


「染め液そのものやないんか」


「違います。布を洗った水です」


 町人が怒鳴る。


「青かったら一緒や!」


「一緒と決めたらあかん」


 茶太郎が言った。


「危ないかもしれへん。でも、色がついてるだけかもしれへん。ぼくらにはまだ分からへん」


 危険ではないとも言わない。

 毒だとも決めない。

 ただ一つ確かなことがあった。


「川下の人が使う水へ、何も言わんと流したら困る」


 清兵衛が息を吐いた。


「……そこは、うちが悪い」


 染屋を潰せば済む話ではない。

 仕事を止めれば、そこで働く者が食えなくなる。

 何でも流してよいことにすれば、川下が困る。


「紙屋でも同じこと起きたんや」


 茶太郎が話すと、清兵衛は驚いた。


「紙屋?」


「藁紙作ったら、黒っぽい水が残った」


「流したんか?」


「流してへん」


 お滝が作った《水の行き先帳》を見せた。

 清兵衛は長いこと、その帳面を眺めていた。


「水まで帳面につけるんか」


「分からんようになったら、誰も直されへんから」


 そこで染屋でも、小さな試みを始めることになった。

 染めた布を、いきなり水路へ持ち込まない。

 まず染屋の桶で洗う。

 一番濃いすすぎ水は別に取る。

 次の布の最初のすすぎに使えるか、職人が確かめる。


 沈んだ藍の滓も、勝手に川へ流さない。

 桶が一杯になり、処理する場所がなくなったら——。


「仕事を止める」


 若い職人が渋い顔をした。


「納め日があるんですが」


 清兵衛が睨んだ。


「昨日みたいに川へ捨てて間に合わせる納め日なら、最初から受けるな」


「……はい」


 茶太郎が清兵衛を見た。


「怒らへんの?」


「怒っとるわ!」


「そっち?」


「仕事が増えたら、後始末も仕事のうちや。そこ忘れたこいつに怒っとる」


 町人たちとも決まりを作った。

 色のついた水を見つけても、いきなり店へ押しかけない。

 まず場所と時を記録する。

 上流へ辿るのは大人。

 正体不明の水へ子どもは触らない。

 飲み水や食品を扱う水場へ異変があれば、使用を止めて知らせる。


 そして仕事場側も、

『今日、どんな水を出したか』

 を木札へ残す。


 紙屋には、紙の印。

 染屋には、藍の葉の印。


 誰かを縛るための札ではない。

 何か起きたとき、原因まで戻れるようにする札だった。


 数日後。


 茶太郎は同じ水路を訪れた。


 さらさら。

 石の間を透明な水が走っている。


 茶丸が岸を歩く。


 白灯は水面を覗き込み、泳ぐ小魚に尻尾を揺らした。


「捕ったらあかんよ」


「にゃ……」


 清兵衛が後ろから笑う。


「そいつ、水より魚しか見てへんやないか」


 まだ、これで水が安全になったと決めることはできない。


 雨の日。

 注文が重なった日。

 職人が変わった日。


 続けてみなければ分からない。

 だから《水の行き先帳》にも、


『成功』


 とは書かなかった。


『青い流れ、今のところ再び見えず』


 とだけ記した。


「ええんや」


 茶太郎が言う。


「何が?」


「水が透明やから安全、って決めつけるのも違うやろ?」


 清兵衛が少し笑った。


「お前、六つのくせに疑り深いな」


「また六つ言われた!」


 そのとき、空から羽音が降ってきた。


 ばさっ。


「シオ!」


 青灰色のアオバトが、軒へ止まった。

 脚には小さな文。

 弥七が外して、送り印を確かめる。


「堺や」


「千早さん?」


 文には海燕の印があった。


 短い。


『別の船が同じ返し路を確認。

 二つ目、繋がった。

 次は海やない。

 陸の受け場を頼む。 千早』


 茶太郎の目が大きくなる。


 二十年前に途切れた五つの返し路。

 その二つ目が、別の船によって確かめられた。


 海の向こうから、人と荷と文が来る。

 でも茶太郎は海へ行かない。


「ぼくらの仕事や」


 茶太郎は水路から街道へ目を向けた。


 堺から伏見へ。

 伏見から宇治へ。

 そして、その先へ。


 返し茶屋。

 大返し場。

 寺の手習い。

 青羽便。


 一つ一つは小さい。

 けれど、結べば道になる。


「シオ、帰ったら返事お願いできる?」


「くるっ」


 シオには、塩気のない穀粒と水が出された。


 茶太郎は《水輪藁紙》を一枚取った。

 筆を持つ。

 少し滲んだ。

 それでも構わない。


『海は海燕衆へ。

 陸は、こっちで結ぶ。

 まず堺から伏見まで、休める場所を確かめます』


 その下へ、水輪の印を描く。

 川を守る仕事と。

 海から届く道を結ぶ仕事。

 二つは別々に見えて——同じだった。


 誰か一人に任せるのではなく。

 次の人へ、安全に渡せるようにする。


 茶太郎の新しい仕事は、海ではなく——畿内の道の上で始まろうとしていた。


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『茶太郎がゆく』
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