↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
PR
278/318

第267話 「間違えてもいい紙と、寺の手習い」

――学ぶためには、失敗しても惜しくない場所がいる――


「字を教えることはできる。けどな——紙がないんや」


 僧の言葉に、茶太郎は首を傾げた。


 《大返し場》を見に来た僧は、近くの寺で子どもたちへ読み書きを教えていた。


 名を恵信えしんという。


 その翌朝。


 茶太郎たちは寺を訪ねていた。

 本堂脇の小部屋には、昨日の四人の子どもが座っている。

 けれど机の上に紙はなかった。

 代わりにあるのは木札と、黒く煤けた板。

 お菊が板へ炭で文字を書く。


『水』


「あ」


 慌てて袖で消す。


「横、長すぎた」


 もう一度。


『水』


 今度はうまく書けた。


「紙には書かへんの?」


 茶太郎が尋ねると、一番小さな男の子が俯いた。


「もったいない」


「間違えたらあかんから」


 別の少女も言った。


「紙に書くと消されへん」


 茶太郎は黙った。

 字を覚えるために紙がいる。

 でも紙が高いから、覚えてからでなければ紙へ書けない。


「それ、変やな」


「何が?」


「覚える前の方が、いっぱい間違うやん」


 恵信が苦笑した。


「せやから困っとる」


 大切な手紙。

 証文。

 寺の記録。


 そうした物を書く紙を、子どもの手習いで何枚も使うわけにはいかない。

 木札なら何度も使える。

 けれど筆と墨の使い方までは覚えにくかった。


 茶太郎は床へ落ちていた一本の藁を拾った。

 昨日まで、荷休め場では牛がこれを食んでいた。


「藁で紙、作れへんかな」


 恵信が目を瞬く。


「藁で?」


「紙に詳しい人に聞いてみる」


 茶太郎は、それ以上を自分で決めなかった。


 数日後。


 伏見へ戻った茶太郎の前に、一人の女職人が立っていた。


 名は、お滝。


 四十をいくらか越えた紙漉きの職人で、山城の山間で紙漉きを覚え、今は古紙の漉き返しや商家向けの粗い紙も手掛けている。


 《水輪宿紙》を作ったときにも、紙の漉き直しについて助言をくれた一人だった。


 茶太郎が稲藁を差し出す。


「これで、安い紙できる?」


 お滝は藁を一本曲げた。


 ぱき。


 乾いた音がした。


「できるか、できへんかなら——できるかもしれん」


「ほんま?」


「ただし、楮の代わりにはならん」


 お滝は茶太郎を見た。


「藁は藁や。繊維も違う。色も残る。墨も滲むかもしれへん。丈夫な証文に使おうなんて考えるな」


「使わへん」


 茶太郎は即答した。


「子どもが間違えるために使う」


「……間違えるため?」


「うん」


 お滝はしばらく黙ったあと、ふっと笑った。


「変な注文やな」


 試し作りが始まった。

 ただし、茶太郎たちは危険な工程へ近づけなかった。

 乾いた稲藁を短く切るのは大人。

 木灰から取った灰汁を扱うのも大人。

 大釜で藁を煮る場所は、厨房や井戸から離した。


「灰汁は料理の汁やないで」


 お滝が念を押す。


「目ぇにも口にも入れたらあかん。子どもは縄の内側へ来るな」


「はーい」


 茶太郎、お菊、六助が揃って返事をする。


「白灯もや」


「にゃ?」


 白灯あかりが不満そうに縄の外へ座った。


 煮た藁は、大人たちが何度も水を替えて洗った。

 黄色っぽい水が流れる。

 柔らかくなった繊維を、今度は叩く。


 どん。

 どん。

 どん。


 最初は人の手だった。

 だが甚八じんぱちが、水車で杵を上下させる仕掛けを試した。


「刃ぁ高速で回すようなんは危ない。まずは杵や。止め方も分かりやすい」


 水車が回る。


 ごとん。

 ごとん。

 ごとん。


 一定の速さで杵が落ちる。

 子どもたちは離れた場所から見ているだけだ。

 お滝は途中で何度も止め、繊維を指で確かめた。


「機械に任せたら勝手に紙になる思うなよ」


「ならへんの?」


「叩きすぎても具合が変わる。紙は最後、人が見なあかん」


 茶太郎は頷いた。


 水車は職人を要らなくする物ではない。

 重い仕事を助ける物だ。


 最後に、お滝が薄い繊維液を簀へすくった。


 水が落ちる。

 ちゃぷ。

 ちゃぷ。

 薄い膜だけが残る。

 板へ移し、乾かす。


 翌日。

 最初の一枚ができあがった。


「……黄色い」


 六助が言った。


「ごわごわや」


 お菊が触る。


「薄いとこもある」


 茶太郎も光へ透かしてみた。

 厚いところと薄いところが、まだらになっている。

 上等な紙と並べれば、比べるまでもない。


 お滝は腕を組んだ。


「売り物にならんな」


「書いてみてもええ?」


「好きにし」


 寺へ持っていった。


 恵信が墨を磨る。

 お菊が恐る恐る筆を取った。

 紙へ墨を置く。


『道』


「あっ」


 じわっ。


 墨が繊維へ広がった。


「太った!」


「字が太った!」


 子どもたちが笑う。


「せやから言うたやろ」


 お滝は頭を抱えた。


「こんなん上等な書状には——」


「もう一枚ちょうだい!」


 お菊が言った。


 お滝が止まる。


「今の、失敗やぞ」


「せやからや」


 次の一枚。


『道』


 また少し滲んだ。


 三枚目。


 今度は墨を筆に含ませすぎないよう気をつけた。


『道』


「あ!」


 さっきより読みやすい。


「できた!」


 お菊が笑った。

 横にいた男の子も筆を取る。


 一枚目で間違える。

 二枚目でも間違える。

 三枚目でようやく形になった。


 誰も叱らなかった。


 誰も、

「紙がもったいない」

 と言わなかった。


 お滝は、その様子をずっと見ていた。

 そして最初の失敗作を一枚持ち上げる。


「なるほどな」


「何が?」


「これは上等な紙の代わりやない」


 お滝は、紙を軽く振った。


「上等な紙へ書けるようになるまで、何べんでも間違うための紙や」


 茶太郎が笑った。


「うん!」


 その紙は、《水輪藁紙すいりんわらがみ》と名付けられた。


 使い道も最初から決めた。

 寺の手習い。

 計算の練習。

 返し茶屋の一日の仮控え。

 荷の数を確かめるための下書き。

 大事な証文や長く残す帳面には使わない。

 薬を直接包まない。

 雨に濡れる荷札にも使わない。

 残すべき記録は、確認してから丈夫な紙へ書き移す。


「ええ紙の仕事、取らへんのやな」


 お滝が確かめる。


「取らへん」


「安いからいうて、何にでも使わせへん?」


「うん」


「ほな、手伝ったる」


 お滝が笑った。


 それから一月も経たないうちに——とは、ならなかった。

 まず作ったのは、ごく少量。

 四人の子どもが使う分だけだった。


 破れ方。

 墨の滲み方。

 乾いたときの反り。

 何回筆を置けば毛羽立つか。

 失敗も全部残した。


 農家から藁を買うときも、家畜の餌や敷藁まで奪わない量にした。

 ただ同然でもらおうとはしなかった。


「藁にも持ち主おるもんな」


 茶太郎が言う。


「そこ分かっとるなら上出来や」


 お滝が答える。


 寺では、四人だった子どもが七人になった。

 その中には、荷休め場で働く親の子もいた。

 親が荷を運んでいる間だけ、寺で字を習う。

 小さな子は年上の子が見守る。


 火も刃物も使わない。

 教えられる子が、習い始めた子へ教える。


 茶太郎は、その光景を縁側から見ていた。

 一枚の黄色い紙へ、何度も何度も間違った文字が並んでいる。


 きれいではない。

 でも、その紙には——失敗した数だけ、覚えた跡が残っていた。


「ええ紙やなあ」


 茶太郎が呟く。


「上等ではないで」


 お滝が言う。


「うん。でも、ええ紙」


 そのときだった。


「茶太郎」


 お滝の声が変わった。


 紙漉き場の裏を指している。

 藁を煮たあとに残った、濃く濁った水。

 洗いに使った大量の水。

 作る紙を増やせば、それも増える。


「紙が安うできたからいうて、喜んでばっかりおったらあかん」


「どうしたん?」


 お滝は濁った水を見下ろした。


「これや」


 川の方角を見る。


「これを何も考えんと川へ流し始めたら——」


 茶太郎の顔から笑みが消えた。


「紙より先に、水を駄目にするで」


 間違えてもいい紙はできた。

 けれど、その紙を増やす前に——。


 今度は、失敗した水をどこへ返すか考えなければならなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
面白いと思っていただけたら、ぜひブックマークや評価(★)をお願いします!
『茶太郎がゆく』
style=
目次からブックマークをお願いします
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。