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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
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第266話 「集まりすぎた茶屋と、牛馬の休む庭」

2026年08月22日 10,000pv達成。

ここまでお読み頂きありがとうございます。

本日は多めに投稿させていただきます。

 ――便利になった場所ほど、抱え込みすぎてはいけない――


 二軒目の《返し茶屋》の前で、牛が鳴いた。


「モォォォ……」


 その鼻息が、朝の白い空気へ広がる。


 荷車は三台。

 道を行きたい旅人が四人。

 飯を待つ荷運びが五人。

 さらに井戸では、お妙が桶を下ろしていた。


 ぎい。

 からからから。

 水を汲む音に混じって、牛の蹄が土を掻く。


「庄六! そこ停めたら道塞がる!」


「分かっとる! 前が動かんのや!」


「うちの客まで入れへんやろ!」


 おつねの怒鳴り声が飛ぶ。

 昨日まで静かだった街道の茶屋が、一日で別の場所になっていた。


 原因は、木札だった。

 水がある。

 飯がある。

 牛を休ませられる。


 その三つが一目で分かるようになった途端、荷車が寄るようになったのだ。


「茶太郎」


 かん太が腕を組む。


「大成功やな」


「……失敗してるやん」


「分かっとるならええ」


 茶太郎は頬を膨らませた。


 そこへ、


「危ない!」


 弥七やしちが声を上げた。


 一頭の牛が、後ろから来た荷車の音に驚いた。

 ぐっと首を振る。

 手綱を持つ男が踏ん張ったが、車輪が茶屋の縁台へ近づく。


「お菊、下がれ!」


 お妙が娘を抱き寄せた。


 荷車引きたちが前へ回り、牛を落ち着かせる。

 大事には至らなかった。

 けれど、縁台に置いてあった湯呑みが一つ落ちた。


 ぱりん。

 その乾いた音に、茶太郎は身体を固くした。


 もし、そこに人がいたら。

 もし、煮立った鍋へ当たっていたら。


 返し茶屋を作ったせいで、誰かが怪我をしていたかもしれない。


「牛を入れんようにする?」


 お菊が聞いた。

 茶太郎は、すぐには答えなかった。

 牛馬を断れば、荷車は休めない。

 だからといって、茶屋の前へ全部集めれば危ない。


「……分けよう」


「何を?」


「人が食べるところと、荷車が休むところ」


 弥七が頷いた。


「どこへ分ける?」


 そこからだった。

 勝手に空き地を使うわけにはいかない。


 一行は庄六たち荷運びと村の者へ尋ねて回った。

 少し北に、収穫の時期以外はあまり使われていない広い庭があった。

 持ち主は喜兵衛きへえという百姓だった。


「荷車を置かせてくれ?」


 喜兵衛は渋い顔をした。


「ただで庭踏まれて、牛の糞まで置いていかれたらかなわん」


「ただでは頼まへん」


 弥七が答える。


「銭取ってええの?」


 茶太郎が尋ねると、喜兵衛は逆に目を丸くした。


「取ってええなら話は別や」


 そこで、大人たちが決まりを考えた。


 荷車は一度に四台まで。

 牛馬は大人が繋ぎ、子どもは手綱を扱わない。

 水は人の飲み水と、牛馬用の桶を分ける。

 糞は放置せず、決めた場所へ集める。

 茶屋の厨房へ牛馬を近づけない。

 宿泊場所にはしない。

 庭の持ち主が「今日は使わせられない」と言えば、その日は閉める。


「ずっと返し場にするんと違うん?」


 お菊が聞いた。


「喜兵衛さんの庭やもん」


 茶太郎は答えた。


「稲の仕事で要る日は、そっちが先」


 返し場ができたからといって、元からあった暮らしを押し退けてはいけない。

 まず三日だけ試すことになった。


 入口には、荷車の絵を描いた木札が掛かった。


 《荷休め場》。


 最初の荷車が入る。

 ぎし。

 車輪が土を踏む。


 二台目。

 三台目。


 茶屋の前から、大きな車輪と牛の身体が消えていく。

 代わりに人だけが歩いて茶屋へやってきた。


「お妙! 握り飯二つ!」


「菜の汁も!」


「急がんでもええ、牛は向こうで休んどる!」


 おつねが竈の前で笑った。


「昨日より客多いのに、昨日より静かや」


 茶太郎も気づいた。

 聞こえる音が違う。

 昨日は車輪の軋みと牛の声と怒鳴り声が混ざっていた。


 今日は、椀を置く音。

 湯を注ぐ音。

 飯を食べる者の笑い声。

 炒り麦の香りも、牛馬の匂いに負けず店先まで届く。


「分けた方が、近くなったみたいや」


「変なこと言うな」


 かん太が笑った。


「でも、分かる気ぃするわ」


 三日後。


 帳面を開いた。

 茶屋の客は増えていた。

 割れた器は、あの日以降ゼロ。

 荷車が道を塞いだ回数もゼロ。

 喜兵衛には荷休めの銭が残った。


 さらに、集めた牛馬の糞をどうするかという話になった。


「畑へ入れたらええやろ?」


 庄六が言う。

 茶太郎は首を横に振った。


「そのまま、すぐには入れへん」


 狐の御祖から教わったことを思い出す。

 新しい物には、強すぎる物もある。


「使うなら大人が分けて、ちゃんと寝かせてから。病気っぽい牛の物は混ぜへん」


「そこでも寝かせるんか」


「土も急がしたらあかんもん」


 喜兵衛が面白そうに笑った。


「ほな、それも試してみるか」


 返し茶屋から、荷休め場へ。

 荷休め場から、畑へ。

 捨てていた物まで、新しい役目へ繋がり始めた。


 ただし、茶太郎は一つだけ大きな印を帳面へ残した。


『荷休め場は、どの茶屋にも要るわけではない』


 道が細い場所。

 水が少ない場所。

 牛馬を安全に繋げない場所。


 そこへ無理に大きな拠点を作れば、かえって危ない。


「小さい茶屋と、大きい茶屋を分けるんやな」


 弥七が言った。


「うん。役目が違うから」


 茶太郎は二種類の木札を並べた。


 一つは、飯と水と道案内をする小さな《返し茶屋》。

 もう一つは、荷車や牛馬も休められる《大返し場》。


 大きいから偉いわけではない。

 小さいから役に立たないわけでもない。

 道に合った大きさであればいい。


 その日の夕暮れ。


 西の空が茜色へ染まり、荷休め場の牛たちがゆっくり草を噛んでいた。


 からん。


 どこかで寺の鐘が鳴る。

 すると、白灯あかりが耳を立てた。


「にゃ?」


 街道の向こうから、一人の僧が歩いてきた。

 その後ろには——四人の子どもがついている。

 手には、それぞれ木札と炭。


「水輪の茶太郎いうんは、そなたか?」


「ぼく?」


 僧は頷いた。


「この子らから聞いた。道の札を、子どもでも描けるようにしているそうやな」


 お菊が得意そうに胸を張る。


「うちも描いたで」


「実は寺にも、字を習いたい子が増えておる」


 僧は手にした木札を見せた。


「親が働いている昼の間だけでも、この子らを寺で見ながら——道の札や帳面に使う字を教えられんやろか」


 茶太郎は目を瞬いた。

 茶屋が道を休ませる場所なら。


 寺は——。

 働く親と、学びたい子どもを結ぶ場所になれるのかもしれない。


 《返し茶屋》から始まった道は、今度は子どもたちの居場所へ繋がろうとしていた。


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『茶太郎がゆく』
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