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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
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第265話 「二軒目の返し茶屋と、三つの約束」

――大きな店を作るのではない。今ある店に、次へ渡す役目を足す――


 翌朝、茶太郎たちは一台の荷車について堺を出た。

 前を行く牛の首で、鈴がちりん、ちりんと鳴る。


 朝露を吸った土の匂い。

 車輪が轍を踏むたび、湿った泥が低く鳴った。

 海の潮気は、歩くほど薄くなっていく。


「ほんまに小さい茶屋やで」


 昨日、《返し茶屋》の木札を欲しがった荷車引きの庄六しょうろくが言った。


「小さくてもええよ」


「荷車二台で道いっぱいになる」


「二台停められるんやろ?」


「まあな」


「ほな、一台より多い」


「お前、妙に前向きやな」


 茶太郎は笑った。


 千早ちはやは海燕衆の仕事へ戻った。

 二つ目の返し路が本当に繋がったのか、別の船から確かめるためだ。

 海結姫も港へ残った。


『海は海の者が見る。茶太郎は陸を見たらいい』


 別れ際、そう言っていた。


 茶太郎に付き添うのは弥七やしちとかん太。

 茶丸と白灯あかりは、荷車から少し離れて道の両脇を歩いている。


 やがて、榎の木陰に小さな茶屋が見えた。

 茅葺きの屋根。

 軒には干した大根。

 土間からは、炒った麦の香ばしい匂いが流れてくる。


「おかえり、庄六!」


 十歳ほどの少女が飛び出してきた。


「ただいまやない。客連れてきたんや」


「また腹減らした荷運び?」


「今日は、ちっこい商人や」


「誰が商人やねん」


 茶太郎が頬を膨らませる。

 少女は茶太郎を上から下まで見た。


「……ちっこ」


「堺でも言われた!」


 奥から笑い声がした。

 店を営んでいたのは、おつねという五十過ぎの女と、その娘のお妙だった。

 お妙は夫を病で亡くし、娘のお菊と三人で茶屋を続けているという。


「返し茶屋?」


 おつねは眉を寄せた。


「立派なこと言われても、うちには無理やで」


「立派にせんでええよ」


 茶太郎はすぐに答えた。


「今、できることだけ教えて」


「できること?」


「飲める水はある?」


「裏の井戸や。毎日うちらも飲んどる」


「煮炊きは?」


「見たら分かるやろ」


 竈から、湯気が立っている。


「食べ物は?」


「麦飯のおむすび、菜っ葉の汁、漬物。それと炒り麦の湯」


「寝られる?」


「病人を泊める場所まではない。軒下で座るくらいや」


「お医者さんは?」


「半里ほど先の村や。でも、いつもおるとは限らん」


「荷車は?」


「二台。牛なら裏で水飲ませられる」


「文は預かれる?」


 そこで、おつねは首を横に振った。


「それは怖い」


「なんで?」


「大事な文をなくしたら、うちの責めになるやろ」


 茶太郎は頷いた。


「ほな、預からんでええ」


「え?」


「できへんことに、できる印を付けたらあかんもん」


 お浜の店と同じ形にする必要はない。


 水のある店。

 飯の食べられる店。

 牛馬を休ませられる店。

 文を預かれる店。


 それぞれ違っていい。

 茶太郎は木札へ、水桶と飯椀と牛の絵を描いた。

 医師には、「いつもいる」印を付けない。


 代わりに、

『場所を知っている』

 という別の印にした。


 お菊が横から覗き込む。


「字ぃ読めん人でも分かるな」


「うん」


「ほな、うち描いてええ?」


「描ける?」


「茶太郎より上手いで」


「まだ描いてへんやん!」


 お菊は炭を取り、水桶の絵を描いた。

 確かに上手かった。


「……負けた」


「勝った」


 白灯が木札の端へ前足を乗せた。


「にゃ」


「白灯は描いてへんからな」


 昼になると、荷車が一台入ってきた。

 男二人が腰を下ろす。


「飯、すぐ出るか?」


「麦のおむすびなら」


「それでええ」


 お妙が竹皮を開く。


 麦を混ぜた飯へ少量の味噌を塗った小さな握り飯。

 塩気のある漬物。

 温かい菜の汁。


 豪華な物は何もない。

 けれど歩き続けた男たちは、湯気へ顔を近づけた瞬間、ほっと肩を落とした。


「うまっ」


 茶太郎の腹も鳴った。

 ぐう。


 お菊が振り返る。


「ちっこい商人も食べる?」


「……食べる」


 噛むと、麦がぷちりと歯に当たった。

 味噌の香りが鼻へ抜ける。

 汁には菜の青い香りと、ほんの少しの苦味が残っている。


 派手ではない。

 毎日食べても困らない味だった。


「これ、ええなあ」


 茶太郎が呟く。


「何が?」


「待たへん。高すぎへん。ちゃんとうまい」


 おつねが笑った。


「茶屋なんて、そんなもんや」


 茶太郎は箸を止めた。


「それ、大事やと思う」


 旅の途中で使う場所なら、特別な御馳走より、何度でも寄れることの方が大切だ。

 銭が掛かりすぎれば続かない。

 注文してから長く待てば、荷が遅れる。

 安くてもまずければ、誰も戻ってこない。


「安い。うまい。早い」


 茶太郎が指を一本ずつ折った。


「三つや」


「欲張りやな」


 弥七が言う。


「全部できん日は?」


 お妙が尋ねた。


「できへんって言えばええよ」


 茶太郎は答えた。


「無理して売ったら、次の日なくなるから」


 その言葉に、おつねが一番大きく頷いた。

 こうして二軒目の《返し茶屋》には、三つの約束が加わった。


 安くできる物を。

 うまく作れる物を。

 早く出せる分だけ。

 品がなくなれば、売り切れの札を出す。

 夜まで無理に働かない。

 子どもだけで火を扱わない。

 お菊の仕事は、木札の印を描くことと、客へ水場を教えることまで。


「うちにも仕事あるんや」


「あるで」


 お妙が娘の頭を撫でた。


「竈は触ったらあかんけどな」


「分かってる!」


 そのとき。

 屋根の上から、羽音がした。


 ばさっ。

 一羽の青灰色の鳥が、軒先へ降りる。


「シオ!」


 茶太郎が立ち上がった。

 アオバトのシオだった。

 脚には、小さな文が結ばれている。


 茶太郎が触る前に、弥七が受け取り、送り印を確かめた。

 伏見からだった。


『堺より返し場の話、届く。

 水輪側でも、道中の茶屋を調べ始める。

 店を増やす前に、続けられる店か確かめよ。』


 友照たちらしい文だった。

 茶太郎は、できたばかりの木札を見上げた。


「増やせ、やないんやね」


「せやな」


 弥七が笑う。


「続くか確かめろ、や」


 シオには塩気のない穀粒と水が出された。

 人には麦飯。

 牛には水と休み場所。


 それぞれ必要な物が違う。

 だから一つに揃えない。


 茶太郎は新しい返し茶屋の札へ、小さな青い鳥の印を一つだけ加えた。

 ここなら、シオたちも羽を休められる。

 ただし——まだ《青羽便》の正式な継ぎ場ではない。

 何日か使い、無理が出ないか確かめてからだ。


「三軒目も探すん?」


 お菊が尋ねた。


「まだ」


「なんで?」


「二軒目が壊れへんか、先に見る」


 茶太郎は答えた。


 道を広げるのは、数を増やすことではない。

 次へ渡せる場所を、一つずつ確かめることだ。


 だが、その日の夕方。

 庄六が荷車の帳面を見ながら、不思議そうな声を上げた。


「茶太郎」


「なに?」


「ここで休んだ荷車な——今日だけで六台や」


「二台しか停められへんのに?」


「せや」


 茶太郎は外へ出た。

 街道には、順番を待つ荷車が二台。

 その後ろには牛。

 さらに、旅人が三人。


 二軒目の《返し茶屋》は——。


 増やすより先に、早くも「人が集まりすぎる」という新しい問題を抱え始めていた。


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『茶太郎がゆく』
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