↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
PR
271/320

第260話 「二十年ぶりの返し紐と、海燕衆」

 ――帰るとは、昔と同じ場所へ戻ることではない――


「五艘は沈んでへん。二十年かけて、南の海から帰ろうとしてる」


 旅装の女がそう言うと、綾の家の中が静まり返った。


 弥七やしちは、すぐには信用しなかった。


「二十年も海を漂っとる船がある言うんか?」


「ちゃう」


 女は首を横に振る。


「船は何度も替わった。人も替わった。死んだ者も、南の島へ残った者もおる」


「ほな、何が帰るんや」


「道や」


 女は腰から細い組紐を取り出した。

 甕から見つかった物と同じ、赤、青、黄、白の四色。


「海燕衆は、船そのものを帰すことより先に、途切れた道を一本ずつ結び直してきた」


 女は名を、波乃なみのと名乗った。

 三十前ほど。

 日に焼けた顔の左頬には、細い傷がある。

 海燕衆の船頭の一人だという。


「二十年前、五艘が南へ出た。交易の荷も積んどったが、海が荒れたうえ、人同士の争いにも巻き込まれた」


「倭寇なん?」


 茶太郎が尋ねた。

 波乃は少し笑った。


「そう呼ぶ者もおる」


「人の物を奪った?」


「昔の海燕衆には、やった者もおる」


 誤魔化さなかった。


「商いだけで食えんとき、他の船から荷を奪うた者もいた。逆に奪われたこともある。せやから、海燕衆いう名前だけで善い者やと思わん方がええ」


 弥七が腕を組む。


「その言い方なら、少しは話を聞ける」


「信用してくれるんか?」


「逆や。信用せんまま聞くんや」


 波乃は声を上げて笑った。


「陸の者も、なかなかやな」


 彼女は四色の組紐を卓上へ置いた。


「五艘が散ったあと、残った者らは南の港や島々で暮らし始めた。そこで子が生まれ、仲間が増えた。船を造り直し、また別の港へ渡った」


「二十年もしたら、最初に乗ってた人じゃない人も多いね」


「その通りや」


「それでも海燕衆なん?」


「同じ船に乗るから仲間なんやない」


 波乃は組紐の結び目へ指を置いた。


「帰る場所を忘れんよう、同じ結び方を子へ教えた。それが海燕衆を残した」


 茶太郎は甕から出た古い組紐を見た。


 青が三つ。

 白が一つ。

 赤が二つ。

 黄色い輪。


「これも道なんだよね」


「せや」


 波乃は古紐と自分の紐を並べた。


「青は水路。白は山越え。赤は荷を預けられる場所。黄の輪は——」


「帰りを待つ場所?」


 茶太郎が言う。


 波乃の指が止まった。


「よう分かったな」


「甕が埋まってたところに、五艘を待ったって書いてあったから」


 黄色い輪は《返し場》。

 海から届いた荷や文を、次の道へ渡す場所。

 反対に、内陸から海へ戻る文を預かる場所でもあった。

 丹波の白石畑は、その一つだった。


「でも、どうして埋めたの?」


「待てんようになったからや」


 二十年前。

 海の知らせが途切れた。


 一年。

 二年。

 三年。

 返し場を守っていた者たちは、それでも待った。


 だが戦と飢えで人が散り、海へ続く道も使われなくなった。

 最後の守り手は、五艘分の帰り札と貝貨、組紐を甕へ入れた。

 いつか同じ結びを知る者が戻れば分かるよう、三枚の《潮石》を載せた。


「墓やなかったんや」


 綾が呟く。


「半分は墓やったと思う」


 波乃が静かに答える。


「帰らへん者がおると思わな、残された方も生きていけへん」


 そして懐から、小さな木札を五枚取り出した。

 一枚ずつ、端の形が違う。


 甚八じんぱちが甕から見つかった木片を持ってくる。


「まさか」


 五枚のうち一枚と、古い木片を合わせた。

 ぴたり。

 二つが一枚の札になった。

 刻まれていたのは、三本の波と海鳥。


「割符……」


「最初の一艘の返し札や」


 波乃の声がわずかに震えた。

 二十年前、丹波に残された半分。

 南の海を渡り続けた者たちが伝えてきた、もう半分。

 それが今、同じ卓上で一枚へ戻った。


 綾の家の老人が、手を合わせた。


「ほんまに、帰ってきたんやな」


「一艘分だけや」


 波乃は残る四枚を見た。


「あと四つは、返す相手も場所もまだ見つかってへん」


 茶太郎は五枚を見つめた。


「海燕衆は、何を運んでるの?」


「何でも、とは言わへん」


 波乃は答えた。


「薬になる木の皮。染め物。香り物。乾かした果実。貝。時には鉄や銅。向こうへは布、刃物、器、紙なんかを運ぶ」


「人も?」


 弥七が鋭く尋ねた。

 波乃の顔から笑みが消えた。


「海には、人まで売り買いする者がおる」


「海燕衆は?」


「今の頭領は、人を荷に数えた船を仲間とは認めへん」


「今の頭領?」


 茶太郎が顔を上げる。


「女や」


 波乃は少し誇らしそうに言った。


「海へ出たら男も女も関係ない。波を読めん頭領から先に沈む」


「名前は?」


「まだ言えん」


「何で?」


「そなたらを信用しきってへんからや」


 今度は弥七が笑った。


「それでええ」


 互いに、まだ信用しない。

 だからこそ、最初から全部を預けない。


 茶太郎は《青羽便》を思い出した。


「海燕衆は、丹波の返し場をまた使いたいの?」


「できればな。せやけど、昔の約定を理由に勝手に戻すつもりはない」


「今ここに住んでる人の場所だもんね」


「せや」


 波乃は綾へ頭を下げた。


「白石畑を返し場に戻すかは、この村が決めてくれ」


 綾はすぐに答えなかった。


「海の荷が来るようになったら、桑畑だけの話やなくなる。村の皆と相談する」


「それでええ」


「武器や、誰から奪うたか分からん荷は預からへん」


「ええ」


「人も預からへん」


「遭難した人は?」


 茶太郎が尋ねた。

 綾は少し考えた。


「助ける人と、売り買いする人は別や」


「それ、札に書こう」


 こうして、返し場を再び開くための条件が作られ始めた。


 荷主が分からない物は受けない。

 奪った疑いのある荷は止める。

 武器を隠して運ばない。

 人を商品として扱わない。

 病人や遭難者は荷と分け、まず人として助ける。


 海燕衆の印だけで中身を信用しない。

 そして、村が断れば道を変える。


「決まりが多いなあ」


 波乃が苦笑する。


「海は決まりが少ないん?」


 茶太郎が尋ねる。


「逆や」


 波乃は笑った。


「破ったら死ぬ決まりが多い」


 その言葉で、茶太郎は少しだけ海燕衆を理解した。


 夕方。

 波乃が庭へ出ると、シオが屋根へ降りてきた。


「ぽぽっ」


 波乃が目を丸くする。


「鳩で文を運んどるんか」


「全部じゃないよ。巫女さんも商人さんも忍びも運ぶ」


「海燕衆の文も運べるか?」


「いきなり南の海までは無理」


「そらそうや」


「でも、海から陸へ上がったあとの道なら、つなげるかもしれない」


 海燕衆の海路。

 青羽便の陸路。


 二つを直接一つにはしない。

 海辺に《返し場》を置き、そこで人が確かめてから次へ渡す。


「集めるんやなく、結ぶんか」


 波乃が呟いた。

 茶太郎は頷いた。


「一本切れても、全部止まらないようにしたい」


 波乃はしばらく茶太郎を見つめた。

 それから懐の奥から、もう一つだけ包みを出した。


「なら、これを見せてもええかもしれん」


 中には、親指ほどの白い貝殻が入っていた。

 表面へ、波と一本の長い髪を持つ少女が刻まれている。


「誰?」


「海燕衆の頭領が、命の恩人から預かった印や」


「命の恩人?」


 波乃は頷いた。


「海で道を失った船を、潮の流れへ戻した姫がおる」


 茶丸が貝へ鼻を近づけ、目を細める。


「……ニャッ」


 茶太郎にも、かすかな水の気配が伝わってきた。


「人じゃない?」


「さあな」


 波乃は貝を包み直した。


「海燕衆では、《海結姫みゆひめ》と呼んどる」


 そして茶太郎へ、一枚の小さな割符を差し出した。


「これは、頭領から預かってきた」


 そこには短く刻まれていた。


『水輪の茶太郎へ。

 海を結ぶ前に、一度、海を見に来い』


 宇治から伏見へ。

 伏見から丹波へ。


 南へ広がってきた水輪の先に、今度は本物の海が現れようとしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
面白いと思っていただけたら、ぜひブックマークや評価(★)をお願いします!
『茶太郎がゆく』
style=
目次からブックマークをお願いします
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。