表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第一章 ~三歳の茶太郎、宇治を巡る~
PR
27/92

第24話 「大吉山のウリ坊と、皇子の伝承」

――誰かの未練を、代わりに背負わなくてもいい――


 大吉山の麓は、夕暮れの光に染まっていた。


 宇治上神社の森を抜けると、空気が変わる。


 湿った土と落葉の匂い。


 その奥に、古くて悲しい味が混じっていた。


「……水、右へ逃げてる」


 ナギが山道の先を見つめる。


「左の土、崩れそう」


 伊平じいさんが杖で確かめると、左側の地面には細い亀裂が走っていた。


「危なかったのう。こっちは避けるぞ」


 ナギが読めるのは、水の行き先だけである。


 土を直すことも、崩落を止めることもできない。


 それでも、水の偏りが分かれば危険を避けられる。


 マキトは木の幹へ、白い光を一つずつ残した。


「帰り道の印だ。長くは残らぬが、日が沈むまでは我らを導くだろう」


 希太は立ち止まらない。


 何かに呼ばれるように、山の奥へ進んでいく。


「希太、待って!」


 ゆかりが追いかける。


 やがて一行は、古い塚のように土が盛り上がった場所へ着いた。


 この山のどこかに、菟道稚郎子うじのわきいらつこが葬られた。


 宇治では、古くからそう伝えられてきた。


 橋姫はしひめが静かに語る。


「伝承では、応神天皇おうじんてんのうは菟道稚郎子へ位を継がせようとしました。しかし皇子は、兄の大鷦鷯尊おおさざきのみことこそ相応しいと考えたといいます」


「お兄さんが、仁徳天皇になった人?」


「ええ。ただし、皇子がどのように亡くなったかは、伝える書物によって異なります」


 ゆかりが塚を見つめる。


「金色の糸がある。でも、その周りに黒い糸が絡まってる」


 その瞬間、茂みが激しく揺れた。


「キュイッ!」


 縞模様の小さな影が飛び出してくる。


 丸い鼻。


 短い足。


 山の土をまとったウリ坊だった。


「かわいい……!」


 レオが目を輝かせる。


 ウリ坊は勢いよく地面を蹴った。


「キュイッ! 来るな!」


 小さな身体から、土の塊が飛び上がる。


 マキトが前へ出て、白い幕で土を受け止めた。


「下がれ。守りには入ったが、長くは保たぬ」


「ここは、ぼくが守る!」


 ウリ坊は塚の前へ立ちはだかった。


「皇子さまの山だ! 誰にも触らせない! ぼくが決める! ぼくだけで守る!」


 茶丸が地面へ前足を置く。


『皇子本人ではない。長い年月、この山へ積み重なった祈りと迷いから生まれた土霊だ』


 希太がウリ坊の前へ出た。


「にゃ……」


 ウリ坊の動きが止まった。


「その霊気……」


 土霊の瞳が大きく見開かれる。


「御猫……? 皇子さまのそばにいた、御猫の匂い……」


 希太の金色の瞳に、遠い記憶が浮かんだ。


 木造の宮。


 若い皇子の膝。


 書物をめくる音。


 そして、二度と戻らなかった温かな手。


「にゃあ……」


 希太が悲しそうに鳴く。


 ゆかりは希太をそっと抱き上げた。


「希太は、菟道稚郎子の猫だった魂を持ってる。でも、今はわたしの家族だよ」


「今は……?」


 ウリ坊の身体が揺らぐ。


「じゃあ、皇子さまは? 皇子さまは、どうしたかった? 位が欲しかった? 生きたかった? お兄さまを恨んでた?」


 黒い糸が、土霊の身体を締めつける。


「ぼくが答えを見つけなきゃ。ぼくが皇子さまの本当の心を決めなきゃ、この山を守れない!」


「決めなくていいよ」


 茶太郎が言った。


 ウリ坊が振り返る。


「どうして!」


「だって、君は皇子さまじゃないもん」


 茶太郎は、亜空間収納から文福茶釜と材料を取り出した。


「皇子さまが本当はどう思ってたか、ぼくたちには分からないよ」


「分からないままでいいの?」


「うん。分からないことを、勝手に決めたらだめだと思う」


 橋姫が小さくうなずいた。


「伝承は、人が過去を忘れないために残したものです。しかし、伝承が本人の心をすべて語るわけではありません」


 ウリ坊の足元から、力が抜けていく。


「でも……答えがなかったら、ぼくは何を守ればいいの?」


「山を守ればいいよ」


 茶太郎は栗を刻み、雑穀と一緒に煮始めた。


「昔の人の気持ちを決めるんじゃなくて、今ここにある木や土や、ここへ来る人を守るの」


 湯気とともに、栗の甘い香りが広がった。


 ウリ坊の鼻が動く。


「……いい匂い」


「一緒に食べよう」


「ぼくは山の守り手だぞ。食べ物なんかで——」


 腹から大きな音が鳴った。


 ウリ坊は黙り込んだ。


 こたろが笑う。


「お腹すいてる〜!」


「うるさい!」


 茶太郎は栗入りの雑穀粥を、小さな椀へよそった。


「これは、山からもらった栗で作ったんだよ。だから、山にも一緒に食べてもらう」


 最初のひと匙を、塚の前へ供える。


 次の椀を、ウリ坊の前へ置いた。


「いただきますって言うんだよ」


「……いただきます」


 ウリ坊が粥を口にする。


 栗の甘さと雑穀の香ばしさが、黒い糸の奥へ染み込んでいった。


「温かい……」


 ウリ坊の瞳から、土色の涙がこぼれる。


「ぼく……ずっと怖かった。皇子さまの気持ちを忘れたら、ぼくも消えると思ってた」


「忘れなくていいよ。でも、代わりに苦しまなくていい」


 茶太郎はウリ坊と目を合わせた。


「君には、君の名前がいるね」


「ぼくの……名前?」


「ウリハ」


「ウリハ……?」


「ウリ坊の《ウリ》と、山に生える《葉》。昔の悲しい気持ちだけじゃなくて、新しい葉っぱを守れるように」


 土霊の身体が、柔らかな緑の光に包まれた。


 背中の縞模様は若葉の模様へ変わり、足元から小さな芽が顔を出す。


「ぼくは……ウリハ」


 ウリハは塚を振り返った。


「皇子さまの本当の心は、ぼくには分からない。でも、皇子さまがいたことは忘れない」


 希太が近づき、ウリハの鼻へ自分の鼻を触れた。


「にゃ」


「御猫……ううん、希太。おかえり」


 ゆかりの目に映っていた黒い糸が消え、金色の糸だけが残った。


 ナギが地面へ触れる。


「水……山の中を、また流れ始めた」


 ウリハは前足で土を掻いた。


「ぼく、土の緩みが分かる。木の根が苦しい場所も分かる。でも、山全部を一度に直すことはできない」


「見つけてくれたら、みんなで直すよ」


 茶太郎が答える。


「うん。ぼくは山の道を見張る!」


 そのとき、茶太郎の胸の奥が温かくなった。


 目の前の空間に、秘密基地で見たものと同じ扉の輪郭が浮かぶ。


「これ……基地の扉だ」


 茶太郎が手を伸ばすと、扉は手のひらほどの小さな窓になった。


 向こう側には、秘密基地の壁が見える。


 ウリハは足元の若葉を一枚拾った。


「この山と友達になった印。向こうへ送って」


 茶太郎が葉を小窓へ入れる。


 若葉は光の向こうへ消え、秘密基地の床へ静かに落ちた。


 それ以上、扉は大きくならなかった。


『今は物を一つ通すのが限界だ』


 茶丸が告げる。


『人が通れる道になるには、さらに土地との縁を育てねばならぬ』


「急がないよ」


 茶太郎は小窓を閉じた。


「最初の道は、ちゃんと歩いて帰る」


 マキトが白い印の残る山道へ向き直る。


「ならば我が、皆の帰り道を守ろう」


 夕暮れの大吉山を、優しい風が吹き抜けた。


 こうして第四の揺れは、《山の縁》を守るウリハとして生まれ変わった。


 そして秘密基地には、初めて外の土地と結ばれた、小さな扉の印が残った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
面白いと思っていただけたら、ぜひブックマークや評価(★)をお願いします!
『茶太郎がゆく』
style=
目次からブックマークをお願いします
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ