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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
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閑話③ 茶太郎がいない秘密基地 ――子供たちの知らない世界――

 『第三話 父ちゃんの知らないふり』

 

 ――秘密は、隠す者より見守る者の方が先に気づく――


 それから、宗次は月に何度か秘密基地へ通うようになった。


 店を閉める。

 茶箱を確かめる。

 志乃と茶太郎が寝たあと、帳面を懐へ入れて家を出る。


 秘密基地では、分福と金長が待っていた。


「今日は幕府側の茶会へ出す菓子を決めるで」


 分福が帳面を開く。


「ひこじい――森彦右衛門はんを通じて、まずは小さな茶会へ試しに納める。評判が良ければ、季節ごとの一手納めを狙う」


「一手納め、というのは?」


 金長が団子を口へ入れながら尋ねる。


「決められた茶会の菓子を、うちがまとめて用意する約束や。他の店を追い出すんやない。数、値、責任を引き受ける代わりに、次も先に声をかけてもらう」


「つまり、毎回試作品が出る?」


「お前はそればっかりやな」


 試す品は三つに絞られた。


 水飴を薄く塗った焼き茶団子。

 茶葉を練り込んだ蒸し羊羹。

 保存しやすい炒り米と茶の小菓子。


 茶太郎が霊や傷ついた者のために作った料理は、対象から外した。

 人の心へ働きかける霊性料理を、金を取って売ることはしない。


 売るのは、味と材料を確かめ、宗次と志乃が普通の料理として作り直せるものだけだった。


「志乃はん、もう仲間みたいなもんやないか」


 分福が言う。


「材料の減り方を見たら、気づくやろ」


「まだ聞かれてへん」


「聞かれへんのやない。聞かずに待ってくれとるんじゃ」


 金長の言葉に、宗次は黙り込んだ。


 ◇


 その頃、志乃は店の奥で減った米粉を量っていた。


「宗次さん」


「なんや?」


「近頃、帰りが遅いねぇ」


 宗次の肩が跳ねる。


「寄合や」


「どこの?」


「茶の……」


「茶の、何?」


「茶の今後を考える寄合や」


 宗次の目が右へ動き、左へ動き、最後に天井を見た。


 志乃は静かに微笑んだ。


「そう。忙しいんやねぇ」


「お、おう」


「夜道には気をつけてね」


 それ以上、志乃は聞かなかった。

 けれど宗次が出かけたあと、小さな布袋を一つ棚へ置いた。

 中には、試作へ使えるよう細かくした上等な米粉が入っている。


 翌朝、それを見つけた宗次は何も言えなかった。

 志乃も何も言わない。


 夫婦は互いに知らないふりをしたまま、同じ計画を支え始めていた。


 ◇


 秘密を危うくしたのは、やはりマキトだった。


 ある日の昼。


 茶太郎が秘密基地で茶葉を整理していると、マキトが入口の板を直していた。


「マキト。そこ、壊れてたの?」


「宗次殿が昨夜、銭箱へ足をぶつけた際に外れた」


 茶太郎の手が止まった。


「父ちゃんが?」


「うむ」


「昨夜、ここに来たの?」


 マキトは動きを止めた。

 白い顔が、見る見る強張っていく。


「……今の言葉は忘れてほしい」


「どうして?」


「宗次殿が夜ごと秘密基地へ来ていることは、茶太郎へ伏せる約束なのだ」


「夜ごと来てるんだ……」


 秘密を二つ続けて漏らしていた。

 マキトは槍を置き、茶太郎の前へ正座する。


「すまぬ。戸口を守ることはできても、言葉の戸口を守るのは難しい」


「父ちゃん、何してるの?」


「それは言えぬ」


 今度だけは、マキトも口を閉ざした。


「危ないこと?」


「違う」


「誰かを困らせてる?」


「それも違う」


「じゃあ、父ちゃんが話してくれるまで待つ」


 茶太郎はそれ以上尋ねなかった。


 その日の夕食。


 茶太郎は宗次の顔を何度も見た。


「父ちゃん」


「な、なんや?」


「最近、夜に出かけてる?」


 宗次の箸が止まった。

 志乃も味噌汁の椀を持ったまま、夫を見る。


「たまにや。茶の相談があってな」


「ふうん」


「どうした?」


「何でもない」


 茶太郎は素直に頷き、夕食へ戻った。


 宗次は胸を撫で下ろす。

 その横で、志乃が小さく呟いた。


「目、泳いでるよ」


 ◇


 計画は、ゆっくり進んだ。


 三好家へ納める菓子は、決めた数を越えなかった。

 森彦右衛門を通じて茶会へ出した蒸し羊羹は評判となり、次の季節にも声がかかった。

 公家の茶席からも注文が来たが、宗次は一度に受けすぎなかった。


 材料が足りなければ断る。

 働く者へ先に取り分を渡す。

 茶太郎の名も、霊験も使わない。


 残った銭だけを、秘密基地の奥にある箱へ入れた。


 ちゃりん。

 ちゃりん。


 最初は箱の底で寂しく鳴っていた銭が、年を重ねるごとに重い音へ変わっていく。


 宇治橋東側の土地についても、宗次は急いで買おうとはしなかった。


 道の流れ。

 川が増水したときの高さ。

 荷車が止まれる広さ。

 茶葉と水を安全に置ける場所。


 一つずつ調べ、土地の者へ話を通し、将来借りられるよう小さな約束を結んでいった。


「まだ店は建てへんのか?」


 金長が尋ねる。


「茶太郎が自分で選べる年になるまで待つ」


「驚かせたいんやろ?」


「驚かせたい。せやけど、押しつけたないんや」


 宗次は店の絵を見つめた。


「料理人になるか、茶を売るか、別の道へ行くか。決めるんは茶太郎や。店が要らんと言うたら、別の形で使えるように銭と土地だけ残す」


 分福は珍しく、冗談を言わなかった。


「ええ父ちゃんやな」


「急にどうした」


「せやけど商いは甘いだけやないで。これから先、失敗することも、銭が減ることもある」


「分かっとる」


「それでも続ける?」


「自分、不器用やから、やめられまへんな」


 宗次が答える。


 分福は、にやりと笑った。

 宗次も、同じように笑う。


 少し離れた場所で、金長が試作品の皿を自分の方へ寄せていた。


「金長はん。それ三つ目やで」


「未来への投資じゃ」


「ただの食べすぎや」


 秘密基地に、大人たちの笑い声が響いた。


 ◇


 茶太郎は、その計画を知らないまま成長した。


 ただ時折、不思議に思うことはあった。


 父の店には、三好家の荷札がついた箱が届く。

 森彦右衛門が来るたび、宗次と小声で帳面を確かめる。

 志乃は菓子の配合を記した紙を、誰にも見せず大切にしまう。


 秘密基地の分福は、ときどき銭の数を数えながら笑っている。

 マキトは何か言いかけるたび、自分の口を両手で塞いだ。


 けれど茶太郎は、誰かを困らせる味を感じなかった。


 父や母から伝わるのは、少しの緊張と、温かな甘さだけだった。

 だから、話してくれる日まで待つことにした。


 やがて元服を迎える頃。


 秘密基地の奥に置かれた銭箱は、一人の若者が店と屋敷を構え、新しい仕事を始めるための財へ育っていくことになる。


 その銭が、父と茶釜と食いしん坊の狸による、夜な夜なの密談から始まったことを――。


 茶太郎は、まだ知らない。


宗次と茶釜の悪だくみは続きます。


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『茶太郎がゆく』
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