閑話② 茶太郎がいない秘密基地 ――子供たちの知らない世界――
『第二話 狸が運んだ甘い契約』
――甘い菓子にも、苦い勘定がついてくる――
「宗次さん?」
志乃の声が、竹林の外から聞こえた。
宗次は慌てて帳面を閉じる。
「分福、火を消せ!」
「何でや! いま消したら湯がもったいない!」
「金長はん、菓子を隠して!」
「隠す場所がない。腹へ入れるしか――」
「それ以上食べたら、また寝込むで!」
秘密基地の中が急に騒がしくなる。
マキトが入口へ立った。
「志乃殿。宗次殿はここにおられる」
「マキト!」
「虚偽を告げる役目は与えられていない」
白い守護武者は、実に正直だった。
宗次が諦めて戸を開けると、志乃は腕を組んで立っていた。
「こんな夜更けに、何してるん?」
「ちょっと、茶の相談をな」
「誰と?」
「茶釜と狸と……」
宗次は途中で、自分の答えがおかしいことに気づいた。
志乃の視線が細くなる。
「それで、どうして帳面を隠したん?」
「隠してへん。閉じただけや」
「宗次さん」
「はい」
「目ぇ、泳いでるよ」
宗次は返事ができなかった。
分福が机の上で、そっと帳面へ座る。
「夫婦いうても、秘密の一つや二つ――」
「茶釜は黙っとき」
「はい」
志乃は部屋の中を見回した。
試作用の米粉、茶葉、水飴。
描きかけの店。
用途を分けた二つの銭箱。
けれど、志乃は帳面を無理に開かなかった。
「悪いこと、してへんよね?」
「してへん」
宗次は今度こそ、まっすぐ答えた。
「茶太郎のためになることを、考えとる」
「そう」
志乃はしばらく宗次を見つめ、それ以上は聞かなかった。
「ほな、あんまり遅うならんように。明日の店に差し支えるで」
「分かった」
志乃が竹林を出ていく。
三人は、その足音が聞こえなくなるまで息を止めていた。
「……気づかれたかのう」
金長が尋ねる。
「気づいとる」
宗次は肩を落とした。
「全部か?」
「全部は分からん。せやけど、隠し事しとるんは分かっとる」
分福は蓋を傾けた。
「女将はんを仲間に入れた方が早ないか?」
「まだや。店の絵を見せたら、茶太郎にも伝わるかもしれん」
「秘密いうんは、増やすほど銭がかかるなあ」
「何で銭の話になるんや」
◇
翌日。
金長は槙島城へ向かった。
背には、水飴を薄く塗った茶団子の箱をくくりつけている。
「一つも食べたらあかんで」
宗次から、そう念を押されていた。
「わしを誰やと思うておる」
城門へ着くまでに、箱の中は一つ減っていた。
「味見じゃ。毒見とも言う」
誰も聞いていないのに言い訳をする。
槙島城では、長逸が待っていた。
「金長殿。茶太郎は一緒ではないのか?」
「今日は大人の商いじゃ」
「大人……」
長逸は丸い狸と菓子箱を見比べたが、何も言わなかった。
「宗次はんからの試作品じゃ。城で働く者へ味を見てもらいたい」
「分かった。ただし、城へ納める物なら、材料と作った場所を明らかにしてもらう」
「ここに札がある」
箱には宗次の筆で、米粉、茶葉、米飴、製造日、個数が記されていた。
霊験や効能については、何も書かれていない。
「茶太郎の名もないのだな」
「これは茶太郎はんの菓子やない。茶太郎はんが見つけた味を、宗次はんらが商品として作り直したものじゃ」
長逸は札を読み、静かに頷いた。
「筋は通しているようだ」
茶団子は、まず城の台所で確認された。
香り。
固さ。
傷みの有無。
同じ箱に入った団子から幾つかを選び、味の違いも確かめる。
そのあと、城内の者たちへ少しずつ配られた。
やがて奥の座敷から、使いが戻ってくる。
「水飴を使った菓子を、もう少しいただきたいとのことです」
金長の耳が立った。
「誰が気に入った?」
「それは申せません」
「甘いものが好きな、えらい御方か?」
「申せません」
「三好の――」
長逸が金長の口を押さえた。
「城内で詮索するな」
金長は前足で長逸の手をどける。
「では、継続して買うてもらえるのか?」
「条件がある」
長逸は三つの指を立てた。
「一度に納める数を決めること。品質を落とさぬこと。戦や不作で材料が足りぬときは、無理に納めないこと」
「もっと作れと言わんのか?」
「城との約束で村や店が潰れれば、翌月から何も届かなくなる」
長逸の答えに、金長は感心したように目を丸くした。
「武士にも商いが分かる者がおるんじゃな」
「その言い方は失礼ではないか?」
「褒めたつもりじゃ」
相談の結果、城では月に決められた数だけ茶団子を買い取ることになった。
代金の一部は銭。
残りは米飴の材料、運搬用の箱、槙島から宇治までの護衛という形で支払われる。
長逸はさらに、三好家の荷が宇治方面へ向かう日に限り、宗次の品を一緒に運べるよう取り計らった。
「軍の荷を菓子のためだけに動かすことはできぬ。しかし同じ道を行くなら、空いた場所へ載せることはできる」
「道と守りが手に入った……」
金長の瞳が輝く。
「これは団子より大きいぞ」
「そこに今気づいたのか?」
◇
夜。
秘密基地へ戻った金長は、胸を張って報告した。
「継続して納める約定を取ってきたぞ!」
宗次が帳面を開く。
「数は?」
「月に三箱」
「値は?」
「銭と材料。それに、槙島の荷と一緒なら護衛つきで運んでもらえる」
「ようやった、金長はん」
「では報酬を」
宗次は試作の蒸し羊羹を一切れ渡した。
「一つだけ?」
「約束どおりや」
「城との大仕事を成し遂げたんじゃぞ!」
「味見の端もつける約束やったな」
宗次は小さな切れ端を添えた。
金長は不満そうに見つめたあと、二つを大切そうに並べて食べた。
分福は銭箱の底へ、最初の銭を落とす。
ちゃりん。
まだ、屋根瓦一枚にも届かない額だった。
それでも宗次は、宇治橋東側の店の絵を見つめた。
「最初の一歩や」
そのとき、戸口のマキトが口を開いた。
「宗次殿。茶太郎へ、この計画をいつ伝えるのだ?」
「店が形になるまで、内緒や」
「承知した」
マキトは頷いた。
「茶太郎に尋ねられても、宗次殿が夜ごと秘密基地へ来ていることは伏せておこう」
三人は同時にマキトを見た。
「マキト」
「何だ」
「それ、絶対に茶太郎の前で言うたらあかんで」
「なぜだ。いま確認しただけではないか」
白い武者には、秘密を守る才能があまりなかった。




