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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
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第255話 「土を料理する三つの寝床」

 ――土へ返す物にも、場所と時と順番がある――


 白狐の御祖みおやが示した三つの輪は、婚儀が終わっても消えなかった。


 一つ目の輪には、落ち葉と刈り草。

 二つ目には、黒くほぐれた土。

 三つ目には、青々とした稲。


「この通りに混ぜたら、田が元気になるん?」


 稲乃いなのが尋ねる。


「絵だけ真似ても実らぬ」


 御祖は尾を揺らした。


「人が飯を食うように、土も物を受け取る。だが、人の食い残しをそのまま土へ押し込めばよいわけではない」


 茶太郎は、痩せた田で見つけた白い根を思い出した。

 古い藁と泥が腐りきらずに固まり、水を黒く濁らせていた。


「土の中で、まだ食べられる形になってなかったんだ」


「そうや。火を通さぬ豆が腹を苦しめることがあるように、若すぎる草や糞は、土の中で熱を持ち、作物の根を傷めることがある」


 かん太が顔をしかめる。


「糞も使うんか?」


「使える物もある。せやけど、何でも一緒にしたらあかん」


 御祖が前足を動かすと、地面に新しい印が浮かんだ。


 井戸。

 川。

 炊事場。


 その三つから、離れた場所に大きな四角が描かれる。


「土の寝床は、水を飲む場所や飯を作る場所から離す。流れ出した物が井戸や川へ入らぬところを選ぶ」


 弥七やしちが周囲を見回した。


「雨水が谷へ落ちる場所も避けなあかんな」


「人の厠から出た物は?」


 志乃が尋ねる。


「初めは混ぜぬ方がよい」


 御祖は即答した。


「扱いを誤れば病を運ぶ。まずは落ち葉、藁、種を付ける前の草、木を燃やしたあとの灰を少し。それに、敷き藁と混じった家畜の糞を別に寝かせて試せ」


「灰をたくさん入れたら?」


「土を傷める。薬味と同じや。少しで足りる」


 茶太郎は木札へ記した。


 何でも集めない。

 井戸、川、炊事場から離す。

 人の厠の物は混ぜない。

 病気の獣の糞や、正体の分からない物も入れない。

 灰は少量。

 子どもだけでは扱わない。


「決まりばっかりやな」


 稲乃が言う。


「お稲荷さんを作ったときも、決まりの方が長かったよ」


「うまかったから許す」


 御祖は一つ目の輪へ入った。


「まず、三つの寝床を作れ」


 一つ目は、乾いた物を多く入れる寝床。

 落ち葉、刻んだ藁、枯れ草。


 二つ目は、それらへ少量の青い草や家畜の敷き藁を挟む寝床。


 三つ目は、何も加えない土。


 比べるための場所だった。


「三つ目にも何か入れへんと、かわいそうやない?」


 友照が尋ねる。


「何もしない場所がなければ、変わった理由が分からないよ」


 茶太郎が答える。


「雨が多かっただけかもしれない。苗が強かっただけかもしれないから」


 御祖の黄金の瞳が細くなった。


「そなたは、神の言葉まで疑うのか」


「疑うんじゃなくて、どの田でも同じになるか確かめたいんです」


「よい」


 白狐は満足そうに尾を振った。


「信じることと、確かめることは争わぬ」


 狐の里と人の里から大人たちが集められた。

 土づくりの場所を決めるのは、実際に水の流れを知る里人である。


 弥七たちは雨の日の流れを聞き、井戸より低く、川へ直接流れ込まない緩やかな斜面を選んだ。

 寝床の周囲には、流れ出した水を受ける浅い溝を掘る。


 重い土や刃物を扱うのは大人の仕事。

 茶太郎たちは離れた場所で、入れた物と量を木札へ記した。


 最初の寝床へ、乾いた落ち葉を敷く。

 その上へ刻んだ藁。

 さらに土を薄くかぶせる。


 水は握って雫が落ち続けない程度。

 濡らしすぎず、乾かしすぎない。


 二つ目には、乾いた物の間へ青い草と、十分に分けて保管されていた家畜の敷き藁を少し挟んだ。

 最後に雨除けの屋根を掛ける。

 密閉はしない。


「息が要るんやな」


 穂高ほだかが言う。


「土の寝床にも空気の通り道が要る」


 御祖が答えた。


「熱を確かめ、臭いが強すぎれば広げ、偏りがあれば大人が返す。ただし熱いところへ、子どもが手を入れてはならぬ」


 翌日、寝床の中央へ差し込んだ細い木の棒が温かくなった。

 三日後には、白い湯気がわずかに立った。


 かん太が驚いて近づこうとする。


「火ぃついとるんか?」


「触ったらあかん」


 弥七が肩をつかんだ。

 大人が長い道具で中を確かめる。


 火はない。

 だが、草や落ち葉が変わる途中で熱を持っている。

 強い臭いが出た二つ目の寝床は、青い草を入れすぎていた。


 御祖は答えを教えなかった。


「どうする」


 穂高が考える。


「乾いた藁を足して、広げる。水が多い場所は端へ移す」


「やってみよ」


 稲乃も袖をまくった。

 大人たちが藁を加え、空気が通るように積み直す。


 数日後、刺激の強い臭いは弱くなった。

 寝床の中では、葉の形が崩れ始めていた。

 茶太郎は毎日、色、臭い、温かさ、湿り方を記録した。


 ひと月。

 ふた月。


 春の終わりに作った寝床が、夏の入口を迎える頃。

 中身は黒くほぐれ、最初に入れた草の形がほとんど分からなくなった。


 御祖が尋ねる。


「食える土になったと思うか」


 茶太郎は一握りを取ろうとしたが、志乃に止められた。


「まず大人が確かめてから」


「うん」


 大人が臭いと熱を確かめる。

 強い腐敗臭はない。

 熱も周囲の土とほとんど変わらない。

 異物がないことを見てから、茶太郎は布越しに少量を受け取った。


 その瞬間。

 舌で味わっていないのに、土の中の気配が広がった。

 乾いた甘さ。

 雨上がりの苦み。

 まだ形を変えきっていない草の青さ。


 それぞれが、料理の味のように重なっている。


「……聞こえる」


「何が?」


 稲乃が耳を近づける。


「声じゃない。土が、もう食べられるって……味で分かる」


 茶太郎の胸の奥で、《霊性味覚》が静かに震えた。

 これまで感じ取ってきたのは、食べ物と霊の乱れだった。

 今は、作物を育てる土の熟れ具合が、淡い味として伝わってくる。


 新しい力は、空から豊かな土を降らせなかった。

 寝かせる時間を縮めもしない。

 ただ、まだ早い物と、次へ進める物の境目を、茶太郎へ知らせた。


 茶太郎は帳面に新しい名を書いた。


 《土味見つちみ》。


 そして、その下へ大きく付け加える。


『力だけで決めない。熱、臭い、色と、育ち方も比べる』


「せっかく力が開いたのに、信用せえへんの?」


 稲乃が尋ねる。


「ぼくが間違えることもあるから」


「神の教えも確かめ、己の力も確かめるか」


 御祖は目を細めた。


「それでこそ、長く使える知恵になる」


 完成した土は、痩せた田の全てへ入れなかった。

 田の端を四つに分ける。


 何も入れない場所。

 一つ目の寝床の土を少量入れる場所。

 二つ目の寝床の土を少量入れる場所。

 量を変えた場所。


 苗の数、水の深さ、葉の色を、里人と穂高が記録する。


「これで、すぐ豊作になる?」


 友照が期待を込めて尋ねた。


「まだ分からない」


 茶太郎は答えた。


「土がよくても、水が漏れたままなら育たない。畦も直して、同じ苗を植えて、最後まで見ないと」


 稲乃と穂高は、二人で畦の修繕札を掲げた。

 婚儀で結んだ赤紐は、札が風に飛ばされないよう使われている。

 役目を飾る紐から、田を守る紐へ。


 その夕方、青羽便のシオが一枚の文を運んできた。


 伏見からだった。


『繕い所に、腐らせた草を売る男が現れた。


 狐の秘法と称し、今夜中に畑へ入れろと言っている』


 茶太郎は黒く熟れた土と、届いた文を見比べた。

 新しい知恵が生まれれば、それを待てない者が現れる。

 そして時には、待たない者を狙って、偽物を売る者も現れる。


「伏見へ戻ろう」


 《土味見》が最初に見分けることになったのは、豊かな土ではない。

 神の名を借りた、早すぎる土だった。


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『茶太郎がゆく』
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