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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
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第254話 「晴れ雨の行列と、二人で決めた嫁入り」

 ――結ばれるとは、同じ道を歩けと命じられることではない――


 狐の里へ招かれた朝、宇治の空はよく晴れていた。


 ところが、茶太郎たちが山道へ入ると、どこからともなく細かな雨が降り始めた。

 陽は雲に隠れていない。

 木の葉に落ちる雨粒が、金色に光っている。


「ほんまに晴れたまま降っとる」


 かん太が空を仰いだ。


「狐の嫁入りやな」


 友照は嬉しそうだが、弥七やしちは足元を確かめている。


「見惚れて滑るなよ。晴れ雨でも、濡れた石は滑る」


 六歳の茶太郎だけで山へ行くことはできない。

 弥七と志乃が付き添い、かん太と友照、それに茶丸と白灯あかりが招かれていた。

 祝いの荷は、大人たちが持っている。


 中身は《茶太郎のお稲荷さん》。

 油を扱う仕事は豆腐屋の主人が行い、志乃たちが揚げた豆腐を煮て、冷ましてから米を詰めた。

 山道で傷まないよう、朝作った分だけ。

 竹籠には詰め込みすぎず、風が通るようにしてある。


 白飯入り。

 青菜入り。

 茸入り。

 袋の口の折り方を変え、木札にも印を描いた。


「狐の里へ持っていくんやから、全部お稲荷さんやな」


 かん太が言う。


「作った人の名前も忘れたらだめだよ」


 茶太郎は籠に付けた札を示した。


 豆腐屋。

 米を育てた里。

 煮炊きをした志乃たち。

 運んだ弥七。


 一つの料理を、茶太郎一人の手柄にはしなかった。


 やがて杉林が途切れ、山腹に開けた場所が現れた。

 赤い紐を張った道。

 稲穂を飾った門。

 白い小石を敷いた広場。

 道の両側には、何十匹もの狐が座っている。


 赤茶。

 白。

 灰色。

 黒い足を持つ者。

 尾が二つに分かれた者。


 皆が一斉に茶太郎たちを見た。

 白灯が茶丸の背後へ半歩だけ隠れる。


「にゃ……」


「緊張してるの?」


「にゃっ」


 していない、と言いたいらしい。

 広場の奥には、稲乃いなの穂高ほだかが立っていた。

 ただし、二人とも婚礼衣装ではない。


 稲乃は動きやすい赤い小袖。

 穂高は田へ入るときと同じ深緑の衣。


 両家の大人たちは、困ったような顔で二人を囲んでいる。


「衣を着替えへんの?」


 茶太郎が尋ねると、稲乃は腰に手を当てた。


「まだ婚儀をすると決めてへんからや」


「今日が婚儀の日やないんか?」


 かん太が目を丸くする。


「今日は、皆の前で決める日や」


 穂高が答えた。


 二人は帰ったあと、それぞれの家族と夜が明けるまで話したという。

 稲乃は、嫁いだ後も人里へ下りたいと伝えた。

 穂高は、神事を務めるだけでなく、実らない田の記録を取りたいと望んだ。


 両家は最初、首を縦に振らなかった。


「神の家の者が、泥にまみれて田を調べる必要はないと言われた」


 穂高が話す。


「うちは、嫁いだ娘が一人で歩き回れば家の面目に関わる言われた」


 稲乃が鼻を鳴らす。


「それで、どうしたの?」


「茶太郎の木札を真似た」


 二人の前には、大きな板が立てられていた。

 上には二つの道が描かれている。


 一つは、これまで通りに役目を分ける道。

 穂高が社を守り、稲乃が祭と家を守る。


 もう一つは、二人とも社と里を行き来する道。

 ただし同時に留守にせず、他の者にも役目を分ける。


 田畑で気づいたことは記録し、神事で願ったことと、人の手で直したことを混ぜずに残す。


「どちらか一つを選ぶの?」


 友照が尋ねる。


「二つ目を選びたい」


 穂高が答えた。


「せやけど、うちの家も穂高の家も、まだ心配しとる」


 稲乃が広場を見回した。


「せやから、今日から一年だけ試す。うまくいかへんかったら、失敗したところを皆で直す」


 老いた狐の一人が進み出た。


「婚儀を試し事にするなど、聞いたことがない」


「夫婦になることを試すんやない」


 稲乃は言い返した。


「役目の分け方を試すんや」


 穂高も一歩前へ出る。


「私たちは互いをまだ知らない。だから、知ったふりをして誓わない」


「では、何を誓う」


 問われた二人は顔を見合わせた。

 先に答えたのは穂高だった。


「困ったとき、黙って消えない」


「逃げたくなったら、逃げる前に言う」


 稲乃が続ける。


「相手の役目を勝手に決めない」


「田で分からないことを、神威だけで直ったことにしない」


「うちの方が先に言おう思てたのに」


「なら最後は譲る」


「最初から譲った顔するな」


 二人が睨み合う。

 だが、どちらからともなく笑った。


 白い狐——御祖みおやが、広場の中央へ姿を現した。


「二人で決めた言葉なら、それが今日の誓いでよい」


 反対していた老狐も、しばらくして頭を下げた。


「一年後、必ず皆へ報告を」


「約束する」


 穂高と稲乃は、二人で一本の赤紐を持った。

 紐の中央へ稲穂を結ぶ。

 互いの身体を縛るのではない。

 二人の間に、手を離せば落ちる程度の緩さで渡した。


 鈴が鳴る。


 広場にいた狐たちが一斉に立ち上がった。

 晴れ雨の中、行列が動き始める。

 先頭は白狐。

 続いて鈴を持つ子狐たち。

 その後ろを、赤紐を持った稲乃と穂高が歩く。


 稲乃は裾を踏みそうになり、婚礼衣装を断ってよかったと笑った。

 穂高は濡れた石で滑りかけ、稲乃に腕をつかまれた。


「先に足元を見い」


「そなたこそ前を向け」


 行列は田へ続く道を一周し、再び広場へ戻った。

 そこで志乃が祝いの籠を開く。


 《茶太郎のお稲荷さん》が並ぶと、子狐たちの目が一斉に輝いた。


「押したらあかんよ。一人一つずつ」


 茶太郎が言っても、狐たちはじりじりと前へ出る。

 茶丸と白灯が籠の左右へ座った。


「……ニャッ」


「にゃあ!」


 影猫衆の一声で、狐の列がぴたりと整う。


「猫に並ばされる狐って、どうなんやろ」


 友照が囁いた。


 稲乃は白飯入りを一つ取り、穂高へ渡した。


「これが、うちが帰るきっかけになった飯や」


「そなたが盗んだ握り飯から生まれたと聞いた」


「盗んでへん。供え物やと思うたんや」


「秘密基地は社ではないだろう」


「何で知っとる!」


「婆さまから聞いた」


 稲乃は老女を振り返った。

 老女は素知らぬ顔で茸入りを食べていた。


 祝いの席に、笑い声が広がる。

 食事が終わる頃、御祖が茶太郎の前へ座った。


「二人を帰し、言葉を結ばせた礼をせねばならぬ」


「ぼく一人がしたことじゃないです」


「知っておる。ゆえに、そなた一人へ宝を与えるのではない」


 白狐は、痩せた田の方角を見た。


「田を作る者、土を運ぶ者、草を集める者、記す者。皆で試せる知恵を渡そう」


 御祖が前足で地面を一度叩く。

 広場の土に、三つの輪が浮かび上がった。


 一つ目には、乾いた草と落ち葉。

 二つ目には、黒くほぐれた土。

 三つ目には、青い稲。


「土には、すぐ食える物と、寝かせねば毒になる物がある」


 茶太郎は膝をつき、三つの輪を見つめた。


「土を休ませて、食べられる形へ変えるの?」


「料理と同じや」


 御祖の黄金の瞳が細くなる。


「ただし、土の鍋は大きく、煮えるまでが長い」


 晴れ雨が止んだ。

 三つの輪だけが、淡い光を残している。


 狐の婚儀でもらった祝い返しは、金銀でも霊薬でもなかった。

 実らない田を、もう一度育てるための《土の料理》だった。


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『茶太郎がゆく』
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