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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
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第247話 「止められた水と、会っていなかった二つの村」

 ――水が来ないとき、上流を敵だと決めてはいけない――


『桑の苗を植えた三つの村で、一斉に水路が閉じられた。

 水を戻す代わりに、幕府との縁を切れと言われている』


 丹波からの文を読んだ日置雪へき・ゆきは、すぐに村へ戻ろうとした。

 だが、茶太郎が文の一行を指した。


「誰に言われたの?」


「誰って……水を止めた者やろ」


「上流の村の人が言ったって、書いてないよ」


 文には、黒い頭巾の使いが来て条件を伝えたとある。

 使いは上流の水守から預かった言葉だと名乗っただけだった。

 水門を閉じた者と、条件を伝えた者が同じかどうかは分からない。


「また、名前だけ借りとるかもしれへんな」


 弥七やしちが言った。

 雪は出発を一刻だけ遅らせた。


 その間に、青羽便あおばねびんで四通の文を送る。

 三通は、水を止められた村へ。

 残る一通は、水門を預かる上流の樫村へ。

 下流へは、飲み水と田畑の水を分けて数えるよう伝えた。


 井戸の水を、慌てて桑苗へ使い切らない。

 人と家畜の飲み水を先に残す。


 古い溜め池や支流の水も、飲めると決めつけない。

 桑苗に使う場合も、その土地を知る大人が水の状態を確かめる。


 子どもは水門や深い水路へ近づけない。

 そして上流へ押しかけない。


 まず、なぜ水門を閉じたのか返事を求める。


「桑の苗は枯れへん?」


 六助が尋ねた。


「枯れるかもしれへん」


 雪は答えた。


「せやけど、苗のために人の飲み水をなくしたらあかん」


 全てを同じように守ることはできない。

 先に守るものを決め、その理由を記録する。


 茶太郎は、下流三村へ送る干し飯と味噌の数を帳面へ書いた。

 水が少ない土地へ、煮炊きに多くの水を使う食事を送っても負担になる。

 そのまま少しずつ食べられる干し飯と、湯が使える場所だけで溶く味噌玉を分けた。


「水まで伏見から運ぶん?」


「全部は運べないよ。遠いし、重いから」


 運べる量の水だけで村全体を支えようとすれば、荷車も道も足りなくなる。

 伏見から送るのは、病人や乳飲み子のために使う、出所の分かる水に限った。

 残りは村ごとに安全な井戸を確かめ、誰へどれだけ分けるかを決めてもらう。


 茶太郎が丹波へ向かうことは認められなかった。

 水路を巡って争いになる恐れがある。


 日置雪と内藤家に縁のある使者、弥七たち大人が先に向かう。


 茶太郎は伏見の《縁扉えんぴ》に残り、届く返事と送る物を整理する役目になった。


 最初の返事は、下流の村から届いた。


『人の飲み水、二日分。

 家畜の分、一日分。

 桑苗の根へ、古池の水を少量使用。

 古池の水は飲ませず。

 水門へは誰も向かわせていない』


 二通目には、村の女たちが見つけた古い細水路のことが書かれていた。

 かつて洗い物に使った流れで、今は土に埋もれている。


 大人たちが安全を確かめて土を除けば、桑苗の根を湿らせる程度の水は得られそうだった。

 ただし、崩れやすい場所へ子どもは入れない。


 三通目は、桑の苗を一部掘り上げ、根を濡れ藁で包んで日陰へ戻したという知らせだった。

 植えた全てを守ろうとせず、水が戻るまで必要な本数だけを残す判断をしたのだ。


「ぼくらが行かなくても、始めてる」


 友照が言った。


「先手札があるからやな」


「札が植え直したんじゃないよ」


 茶太郎は首を振った。


「村の人が考えて決めたんだ」


 遅れて、上流の樫村から返事が届いた。


『下流三村が、幕府の口添えを理由に水を独占すると通告。

 今年の水路直しへ人も銭も出さぬという。

 水守の決まりに従い、分水門を閉じた。

 幕府と内藤家の印がある文を受け取っている』


「水を独占する?」


 雪の声が低くなる。


「下流の村は、そんなこと言うてへん」


 樫村にも偽の文が届いていた。


 下流へは、

『水を戻してほしければ、幕府との縁を切れ』


 上流へは、

『幕府の後ろ盾を得たため、水路直しの負担はせず、水だけ受け取る』


 正反対の言葉が伝えられていた。


 上流は幕府の横暴へ抗うために、水門を閉じた。

 下流は幕府との縁を切らせるため、水を止められたと思っている。


 双方とも、相手が先に約束を破ったと信じていた。

 雪たちは、二つの村の中間にある古寺で話し合いを開いた。


 上流からは、水守の弥兵衛やへえ

 下流からは、三村の庄屋とあや


 内藤家の使者は立ち会うが、村の代わりに決めない。

 武器は寺の外へ置く。

 子どもは連れてこない。

 まず双方が受け取った文を、机の左右へ置いた。


「うちらが水を独り占めするいう文、誰が渡した?」


 綾が尋ねる。


「黒頭巾の男や。内藤家の使い札を持っとった」


 弥兵衛が答える。


「こっちへ来た男も黒頭巾やった。水を戻す条件を伝えに来た」


 文の紙も、黒い一本を撚った縄も同じだった。

 しかし、どちらにも相手の村人が書いた印はない。

 代わりに押されていたのは、使い終えた通行印だった。


「また、道を通す印を約束の印に見せとる」


 雪が言った。

 弥兵衛は黙り込んだ。


「ほな、下流は水路直しへ人を出すんやな?」


「出す」


 三村の庄屋が答えた。


「桑畑へ水を多めに欲しいときは、勝手に門を開けず相談する。幕府の名で押し通すこともせん」


「樫村も、水を止める前に二つの道から確かめを送って」


 綾が求めた。


「今回みたいに、文一枚で全部閉じられたら困る」


 古い水の取り決めが開かれた。

 どの村が何日、水路直しへ出るか。

 雨が少ないとき、どの田から水を減らすか。

 人の飲み水へ使う井戸を、誰が守るか。


 決まりは昔からあった。

 だが、それを知る者が減り、文の控えも上流にしか残っていなかった。


「一枚しかないから、相手の言葉を確かめられへんかったんやな」


 弥兵衛は古文書を見つめた。

 新しい取り決めは、上流と下流だけで持たないことになった。


 樫村。

 下流三村。

 水路沿いの古寺。


 それぞれに同じ控えを置く。

 水を増減させた日は、木札へ刻み、翌日までに双方が確かめる。


 緊急に門を閉じる必要があるときは、人や家畜を守るため先に閉じてもよい。

 ただし、その理由を二つの道から知らせる。


「水を戻す」


 弥兵衛が決めた。

 水門を動かすのは、扱いに慣れた大人たちだけだった。

 綾や雪も、水の勢いが変わる場所から離れて待つ。


 重い門を霊の力で動かすことはできない。

 縄と梃子を使い、傷みを確かめながら、少しずつ開く。

 閉じられていた水が、一気に流れ込まないよう調整する。


 やがて細い流れが、下流へ戻り始めた。

 桑畑へ届くには、まだ時間がかかる。

 それでも上流と下流が、互いを敵と呼ぶ理由はなくなった。


 伏見へ戻った知らせには、こう記されていた。


『水、少量ずつ再開。

 争いなし。

 桑苗十三本、植え直しが必要。

 人と家畜に異変なし』


 茶太郎は「争いなし」の文字へ丸を付けた。


 全ての苗は守れなかった。

 だが人は傷つかず、水の決まりは以前より確かになった。


 その夜、捕らえられた錦屋利右衛門にしきや・りえもんが、初めて雇い主について口を開いた。


「名は知らん。顔も見てへん」


「どうやって指示を受けた?」


「丹波の水の取り決めを預かる男が、文を持ってきた」


 古寺に置かれていた水の古文書を、自由に見られる者。

 上流と下流の道を知り、どこへ違う文を届ければ争いになるか分かる者。

 弥兵衛が古い名簿を確かめると、一人だけ姿の見えない男がいた。


 かつて四つの村を回り、水の日を伝えていた元水守。

 名は、久世源右衛門くぜ・げんえもん


 日置雪は、その名を聞いて息を呑んだ。


「源右衛門は、私の父に仕えていた人です」


 敵は外から丹波へ入り込んだ者ではなかった。

 雪の故郷の道と決まりを、誰よりよく知る人物だった。


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『茶太郎がゆく』
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