第22話 「秘密基地の夜:ナギとマキトの役目」
――水路を読む者と、帰る道を守る者――
槇島の古城跡から戻った頃には、宇治の空はすっかり暗くなっていた。
長逸は異変を報告するため、ひと足先に槇島へ戻っている。
「知らせを届け終えたら、また粥を食べに来る」
そう言い残して。
茶太郎たちは、茶畑の奥にある秘密基地へ帰ってきた。
竹と古材で作った小さな建物。
初めは子どもたちだけの遊び場だったが、今では土地神や霊たちの力が巡る《縁の拠点》になっていた。
「……ただいま」
レオが入口で小さく言う。
シロも尻尾を振った。
「ただいま……!」
希太は、ゆかりの肩から降りると、いつもの敷物の上で丸くなった。
「にゃ……」
茶丸は基地の中央へ進み、周囲を確かめる。
『異常はない。ここは変わらず、我らの帰る場所だ』
「帰る場所……」
マキトが、その言葉を静かに繰り返した。
槇島の古戦場で武者霊から生まれ変わったばかりのマキトは、入口の前で立ち止まっていた。
「入っていいよ」
茶太郎が手招きする。
「今日から、マキトの家でもあるから」
「……かたじけない」
マキトは深く頭を下げ、基地の中へ入った。
水色の小さな魚に似たナギも、その後をふわふわと泳ぐ。
「ぼくも……ここ、いていい?」
「もちろん」
「……うれしい」
ナギの身体が、淡く青く光った。
文福茶釜が火鉢の上で湯を沸かしている。
「ぽんぽこぽん! 新しい仲間が来た日は、温かいもんを食べなあかん!」
「さっきの粥、もう一度作るね」
茶太郎は雑穀と茶の茎を取り出した。
槇島でマキトへ供えたものと同じ、質素な茶粥だった。
「こたろ、お水を入れてくれる?」
「任せて〜!」
こたろが水差しを持ち上げた、そのときだった。
「あっ」
足を滑らせ、水を床へこぼしてしまう。
「また転んだ!」
かん太が慌てて抱き起こす。
床へ広がった水は、板の隙間を通って流れていった。
ナギの目が青く光る。
「……待って」
「どうしたの?」
「水……下へ行ってない。途中で……止まってる」
ナギが床をすり抜けるように潜る。
しばらくして、床下から声がした。
「土……少しくずれてる。水の道、細くなってる」
茶丸が前足で床を叩いた。
『確かに湿りが偏っている。このままでは、雨のたびに水がたまる』
伊平じいさんが床板を一枚外す。
土の一部が崩れ、秘密基地の下を通る小さな排水路を塞いでいた。
「よう分かったな、ナギ」
「ぼく……水が苦しいと、分かる」
ナギは詰まった場所の周囲を泳ぐ。
水色の光が、細い線となって床下へ広がった。
「ここを少し掘ったら……また流れる」
伊平じいさんとかん太が土を取り除くと、たまっていた水が静かに流れ始めた。
「流れた〜!」
こたろが喜ぶ。
うじまるも感心したように髭を揺らした。
「ナマらんほど見事だべ。ナギは水を動かすだけやなく、水が進みたがってる道を読めるんだべ」
ナギは少し考え、首を横に振った。
「ぼく……大きな水、止められない。汚れた水、全部きれいにもできない」
「それでええ」
伊平じいさんが答える。
「どこが詰まっとるか分かれば、人の手で直せる。何でも一人でやる必要はないんじゃ」
「……みんなで、直す?」
「うん」
茶太郎がうなずく。
「ナギが見つけて、みんなで直すんだよ」
ナギの光が、うれしそうに揺れた。
「ぼく……水の道、見つける」
そのとき、秘密基地の入口で物音がした。
竹の葉が擦れ、何かが外を歩いている。
希太が毛を逆立てる。
「にゃ……!」
茶丸が入口へ身体を向けた。
『獣か。それとも霊か』
茶太郎たちが息を潜める中、マキトが静かに立ち上がった。
「我が確かめよう」
マキトが入口に立つと、足元から白い光が広がった。
光は戸口を囲み、一枚の薄い幕となる。
外から近づいてきた気配が、入口の前で止まった。
「入れない……?」
レオが尋ねる。
「害意ある者は、しばし戸口を越えられぬ」
マキトは答えた。
「だが、長くは保たぬ。我の役目は敵を倒すことではない。中にいる者が逃げたり、備えたりする時間を作ることだ」
やがて茂みから現れたのは、一匹の痩せた狐だった。
狐は人の気配に驚き、竹林の奥へ逃げていく。
マキトが構えを解くと、白い幕も消えた。
「狐さんだったね」
「……害意はなかったようだ」
マキトは少し恥ずかしそうに頭を下げる。
「すまぬ。目覚めたばかりで、気配の違いをまだ正確に読めぬ」
「間違えてもいいよ」
茶太郎が言う。
「何か来たって分かったから、みんな準備できたもん」
茶丸も尻尾を一度振った。
『敵を斬る力より、仲間へ危険を知らせる力の方が、拠点の守りには役立つ』
「ならば我は、この戸口を守ろう」
マキトは入口へ向き直った。
「ここから出る者が、無事に帰れるように。そして帰ってきた者が、安心して中へ入れるように」
ゆかりの目に、白と金の糸が見えた。
「ナギの糸が床の下へ、マキトの糸が入口へ伸びてる」
「二人の役目が決まったんですね」
橋姫が微笑む。
「ナギは水の道を読み、マキトは帰る道を守る。それぞれ違うからこそ、この拠点を支えられるのです」
茶太郎は胸の奥が温かくなるのを感じた。
その熱に反応するように、基地の奥の空間がわずかに揺れた。
「……今、何か光った?」
茶太郎が壁へ近づく。
そこには何もない。
けれど一瞬だけ、光でできた戸の輪郭が浮かんでいた。
ナギが壁の向こうを見つめる。
「水の道……遠くへ続いてる」
マキトも目を細めた。
「戸口の気配がある。されど、まだ開かぬ」
茶丸が茶太郎を見る。
『亜空間が、土地の縁を道として認め始めたのだろう』
「この扉、どこにつながるの?」
『今はまだ、どこにも』
茶丸は静かに答えた。
『土地を訪れ、そこに住む者と縁を結んだとき、初めて道は定まる。そして、その戸を開けられるのは茶太郎だけだ』
「ぼくだけ……」
『力ではなく、責任だ。忘れるな』
茶太郎は、まだ形のない扉へ小さな手を当てた。
「勝手には開けない。みんなが来ていいって言った場所だけにする」
壁の光が、一度だけ明るくなった。
まるで、その約束を聞き届けたかのように。
「粥、できたで〜!」
文福茶釜の声が響く。
張り詰めていた空気が、一気にほどけた。
茶太郎は全員の椀へ茶粥をよそう。
「ナギ、マキト。これからよろしくね」
「……うん。水の道、見つける」
「我は、皆の帰る道を守ろう」
レオとシロも椀を持ち上げた。
「……ともだち」
「いっしょに……まもる!」
秘密基地の夜は、静かに更けていく。
床下ではナギが見つけた水が流れ、入口にはマキトの白い光が残っていた。
そして壁の奥では、まだ開かない扉が、遠い土地との縁を待っていた。




