第238話 「二つの急報と、狙われた働き場」
――離れた災いが、同じ場所を見ていることもある――
摂津から届いた文には、火の印。
下京から届いた文には、病の印。
茶太郎は二枚を《縁扉》の別々の場所へ掛けた。
「同時に来たからって、同じ人を向かわせたらあかん」
《先手札》で決めた通り、それぞれの土地に近い者が動いた。
摂津では伊丹の使番と火消し役。
下京では医師と、清い水を運べる荷衆。
詳しい返事を待つ間にも、その場で始めてよいことは始まっている。
摂津の火事では、近くの家から人を離す。
井戸までの道を空ける。
燃えている蔵へ、子どもや役目のない者を近づけない。
下京の病では、具合の悪い者を静かな場所へ移す。
口にした水と食べ物を捨てず、別に保管する。
井戸や水甕を勝手に洗い流さず、医師が調べられるよう残す。
茶太郎は宇治に留まり、千代と一緒に必要な物を書き出した。
「下京へは、煮沸するための薪と鍋。それから粥にする米」
「摂津へは?」
「火が消えたあとに使う縄と雨覆い。でも、燃えてる間は送らない。荷車が道を塞いだら困るから」
六助が首を傾げた。
「助ける物でも、早う送りすぎたら邪魔になるんやな」
「うん。急ぐことと、何でも送ることは違うんだ」
最初に返事が届いたのは、下京だった。
病人は七人。
いずれも、焼け跡に設けられた小さな仕事場で働く女たちだった。
古布を洗い、糸へ戻せる物と、詰め物にする物を分ける。
大人たちに交じって、仕事の割り振りと帳面を預かる少女がいた。
名は、お藤。
お藤からの文には、震えた字でこう記されていた。
『朝の薄粥を食べた者は多い。
倒れた七人だけが、裏手の水甕から水を飲んだ。
同じ粥を食べた子どもたちに異変なし。
医師の許しが出るまで、その水には触れさせていない』
「粥を捨てへんかったんやな」
千代が言った。
「食べ物のせいやって決めつけなかったんだ」
茶太郎は少しだけ胸を撫で下ろした。
原因はまだ分からない。
だが、何を口にしたかが残っていれば、医師は調べられる。
やがて医師から追い文が届いた。
『七人は吐き気と腹痛。
今のところ命に関わる兆しなし。
問題の水甕は使用を止めた。
井戸水そのものに異変があるか、別の器と比べて確かめる』
茶太郎は、病の札を裏返さなかった。
治ったと決めるには、まだ早い。
「お藤さんへ、仕事を休んでも銭がなくならないよう、三日分の米を送れないかな」
友照が帳面を開いた。
「全部をただで出し続けるんは無理や。でも、繕い所の備えから三日分なら出せる。あとで使い道も記録する」
「お願い」
働けない者へ食べ物を送る。
けれど、それだけでは仕事場は続かない。
茶太郎は、回復するまでの賃銭を誰がどう支えるか、縁扉の「返事を待つ場所」へ新しい札を掛けた。
次に、摂津から伊丹の使番が戻った。
「火は消えた。けが人もおらん」
その言葉に皆が息をついたが、使番の表情は険しかった。
「燃えたんは、街道脇の空き蔵や。中には筵が少しあっただけやった」
「空の蔵?」
「せや。しかも火が出る前、見慣れん男が『中に油樽がある、近づいたら爆ぜる』と言い回っとったらしい」
実際には、油樽など一つもなかった。
嘘を信じた人々は、十分に離れて避難した。
それは正しい。
だが火を怖がった荷車が街道の入口で止まり、後ろから来た荷まで動けなくなった。
「何を運んでた荷やったん?」
弥七が尋ねる。
「下京へ向かう米と布。それから、丹波へ回す桑の苗や」
その場にいた日置雪が顔を上げた。
「桑の苗?」
「はい。雪殿の故郷に近い村へ送る荷です。内藤家に縁のある者が土地を貸し、幕府方の口添えで通行を認めてもらったと聞いております」
雪は文を受け取り、差出人の印を確かめた。
「間違いない。戦で夫を亡くした女や、田畑を失った家が、桑を育てるための苗や」
桑を育てる。
蚕を飼う。
糸を取り、布へつなぐ。
すぐに銭になる仕事ではない。
それでも畑と働き手が結ばれれば、焼け跡の女たちへ長く続く仕事を渡せるかもしれなかった。
お藤の仕事場で選別した古布も、新しい糸を扱うための敷物や包みへ使う予定だった。
「下京の病と、摂津の火……」
千代が二枚の文を見比べる。
「どっちも、女の人らの仕事につながっとる」
「偶然かもしれへん」
弥七はすぐに同じ敵だとは決めなかった。
「せやけど、調べる価値はある」
そこへ、縁扉の外から羽音がした。
降り立ったのは、丹波方面を飛ぶ青鳩だった。
脚の文は、日置雪の故郷から送られている。
『桑畑にする土地へ、幕府が村を奪うという噂あり。
夜のうちに境の杭が抜かれた。
苗を受け取れば、内藤家へ土地を差し出したと見なす者が出ている』
雪の目が鋭くなった。
「そんな取り決めはない」
桑の苗を道で止める。
働き場の水を使えなくする。
幕府と内藤家が土地を奪うという噂を流す。
まだ、三つが同じ者の仕業だという証はない。
だが、それぞれの先には同じものがあった。
女たちが自分で働き、村が自分の土地を守りながら、新しい糸を育てる計画。
茶太郎は、火と病の札の間へ、桑の葉を描いた札を置いた。
「助けを止めたいんじゃない」
「ほな、何を止めたいんや?」
六助の問いに、茶太郎はすぐには答えなかった。
代わりに、三枚の文が示す道を指でたどった。
下京。
摂津。
丹波。
「この三つが、つながることを止めたいんだ」
その頃、丹波の山里では、一人の少女が桑の苗を待っていた。
名は、綾。
お藤が幼い頃、同じ桑の実で手を紫に染めて遊んだ、たった一人の幼馴染だった。




