第234話 「淀の背負い箱と、集めてはいけない五つ」
――力は、集めれば強くなるとは限らない――
淀の船着き場へ着いた山伏姿の男は、すぐ舟を降りなかった。
荷を運ぶ人足。
米を買い付ける商人。
旅の僧。
川魚を入れた桶を担ぐ女。
往来する人々を、舟の中から長く眺めている。
「追われてると分かっとるな」
弥七は、船着き場から離れた茶店の陰で様子を見ていた。
隣には善丸。
少し離れた屋根の上には茶丸。
白灯は川沿いの路地を見張っている。
茶太郎は船着き場へ近づけなかった。
淀の寺坊へ入り、かん太とともに《縁扉》の小さな写しを広げている。
人の多い船着き場で捕り物になれば、六歳の子がいるだけで大人の動きを狭めてしまう。
「でも、欠片が近くにあるなら、《霊性味覚》で分かるかもしれない」
茶太郎が言うと、善丸は首を横に振った。
「分かるかもしれぬことと、近づいてよいことは別だ」
善丸が預かる黒い石の欠片も、寺坊へは持ち込まなかった。
盗まれた欠片と呼び合い、居場所を知られる可能性がある。
寺の外にある石蔵へ収め、二人の五鬼守が見張っている。
人も物も、一か所へ集めなかった。
◇
山伏姿の男は、日が傾いてから舟を降りた。
背負い箱には紫の紐。
だが弥七たちは、すぐ男を取り囲まなかった。
箱の中身を知らずに捕らえれば、運び手だけを押さえ、受け取る者を逃がしてしまう。
茶丸が屋根伝いに追う。
白灯は先回りし、路地の出口へ座る。
二匹は男へ近づかず、曲がった道を一つずつ覚えた。
男が入ったのは、船着き場の外れにある古い荷改め小屋だった。
かつて川荷の数を確かめた場所だが、今はほとんど使われていない。
表の戸には鍵がない。
裏には小舟を着けられる狭い水路がある。
「受け取る者は、川から来る」
弥七は伊丹と淀の町組へ知らせた。
表を塞がない。
水路を先に見張る。
周囲の家には、騒ぎになるかもしれないと大人だけへ伝え、子どもを近づけないよう頼んだ。
夜になると、一艘の小舟が水路へ入った。
乗っていたのは二人。
一人は船頭。
もう一人は、灰色の頭巾を深くかぶった男だった。
頭巾の男が小屋へ入る。
「箱はあるか」
「ある」
「五本の刻みは?」
「削られていた」
「構わぬ。石があればよい」
弥七たちは、そこで初めて姿を現した。
「何に使う石や?」
頭巾の男が振り返る。
懐へ手を入れたが、刃を抜く前に淀の町組が出口へ立った。
伊丹の家人は、背負い箱と男たちの間へ入る。
善丸が告げた。
「五鬼守の預かり物だ。返してもらう」
「山に眠らせて、何になる」
頭巾の男は、ゆっくり頭巾を外した。
年は四十ほど。
額には鉱石を砕いた粉が染み込み、爪の間も黒い。
「私は石見の玄斎。山の中を読み、鉱脈を探してきた者だ」
「多田の風穴を塞いだのも、お前か」
「人を殺すつもりはなかった」
「倒れると分かる粉を撒いたんやろ」
「守り手を坑道から出したかっただけだ」
玄斎は悪びれずに答えた。
「五鬼の石を五つ揃えれば、山の脈が開く。金、銀、銅、鉄、水。その眠る場所を示すと、古い書にあった」
「それで種籾まで盗んだのか」
「あれは手伝った者への払いだ。種だろうが米だろうが、売れば同じ銭になる」
善丸の顔から表情が消えた。
「来年の命を、今日の払いにしたのか」
「来年を守るには、今日の力が要る。鉱山を得れば、城も道も豊かになる」
伊丹親興が種籾を守ろうとしたのも。
甚八が金物を選別したのも。
伏見が新しい道具を必要としているのも。
玄斎は知っていた。
だからこそ、五鬼の欠片を集めれば、必要な鉱石を先に見つけられると考えた。
「古い力を使わず眠らせる方が罪だ」
「その話は、捕らえたあと立会人の前で聞く」
伊丹の家人が告げた。
玄斎は背負い箱へ飛びついた。
だが運び手の男が、先に箱を押し返した。
「聞いてないぞ」
「何をだ」
「人が倒れる粉や、種籾を盗んだ話や! 俺は箱を淀へ運べば銭になると言われただけだ!」
運び手が箱から離れたため、町組が間へ入ることができた。
玄斎は取り押さえられた。
運び手もその場で自由にはされなかったが、玄斎と同じ罪だとは決めつけない。
誰から頼まれ、何を知り、どこまで関わったかを別々に聞くことになった。
背負い箱も、すぐには開けなかった。
毒のある粉や、別の仕掛けが入っている可能性がある。
明るくなるのを待ち、善丸、鉱石を知る職人、淀の町組が立ち会って調べることになった。
◇
翌朝、箱の縄が切られた。
蓋の内側に仕掛けはない。
白い粉の袋も入っていない。
乾いた苔と布の間から、黒い石の欠片が現れた。
五本の刻みは、刃物で削られている。
だが石そのものは割れていなかった。
善丸は触れる前に、欠片の形を帳面へ写させた。
次に布越しに持ち上げ、五鬼守の札と照らし合わせる。
「岩名が守っていた物に間違いない」
盗まれた欠片は、取り戻された。
だが、すぐ善丸の欠片と同じ箱へ入れなかった。
二つの石は、離れた石蔵へそれぞれ収める。
「揃えないの?」
報告を聞いた茶太郎が尋ねた。
「玄斎さんは、五つ集めたら山の場所が分かるって」
「古い伝えの読み違いだ」
善丸は答えた。
「五つが示すのは、金銀の場所ではない。山から人が持ち出してよい物と、残さなければならない物。その境目を、五つの土地で別々に見張るためのものだ」
一人の守り手。
一つの城。
一つの蔵。
一つの欠片。
どれかが奪われても、残りが異変を知らせられる。
五つを集めてしまえば、一度に全てを失う。
「役小角様は、強い物を一つ残したのではない」
善丸は言った。
「強すぎる力へ頼らぬよう、守る役目を分けたのだ」
そのとき、石蔵の方角から低い響きが伝わった。
地面が揺れたのではない。
壁も柱も動いていない。
茶太郎の《霊性味覚》にだけ、焦がした山椒と清い水を合わせたような味が広がる。
目を閉じると、白い霧の中に一本の杖が見えた。
杖を握る、痩せた人影。
『集めるな』
声は短かった。
『結べ』
次の瞬間、霧も味も消えた。
茶太郎は、聞こえた言葉をそのまま伝えた。
役小角の霊だとは、まだ決めつけない。
欠片に残った思いかもしれない。
五鬼守が繰り返してきた言葉を、《霊性味覚》が受け取っただけかもしれない。
善丸も、すぐ拝まなかった。
「五つを一つへ集めるのではなく、五つの場所を知らせで結べ。そういう意味かもしれぬ」
茶太郎は《縁扉》を思い浮かべた。
物を集めるのではない。
人を従わせるのでもない。
離れたまま、知らせを届け合えるようにする。
「五鬼守も青羽便につなげよう」
茶太郎は言った。
「欠片を動かさなくても、無事かどうか分かるように」
善丸は頷いた。
「五鬼の道と、水輪の道。互いを支配せず、異変だけを伝える。それなら結べる」
役小角の欠片は、多田へ戻されることになった。
今度は一人に預けない。
五鬼守。
土地の者。
伊丹氏。
三者が保管場所を確かめ、異変があれば別々の道から知らせる。
玄斎は欠片を集め、山の富を一つの手へ握ろうとした。
けれど古い守りが残した答えは、その反対だった。
集めるな。
結べ。
その二つの言葉は、六歳の茶太郎がこれから作る道の、最初の柱になろうとしていた。




