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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
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第229話 「鬼の印と、盗まれた守り名」

 ――恐ろしい印が、恐ろしい者のものとは限らない――


 預かり小屋で見つかった木札は、伊丹城へ運ばれた。


 二本の角。

 大きく開いた口。

 人とも鬼ともつかない顔。


 茶丸と白灯あかりが毛を逆立てたため、城の者たちは木札を鬼の呪いだと疑った。


「焼いた方がよいのでは」


 家人の一人が言った。


「城へ災いを持ち込むやもしれませぬ」


「焼かない」


 伊丹親興いたみ・ちかおきは即座に退けた。


「正体の分からぬ物へ素手で触れるな。だが、分からぬからと燃やせば、誰が何のために置いたかも調べられなくなる」


 木札は布に包み、人の出入りする部屋から離して保管された。


 茶太郎にも触らせない。

 茶丸たちは運ばず、匂いと気配を覚えるだけにした。


 その日の午後、城下へ一人の歩き巫女が来た。


 名を葛女かずらめという。


 山寺や市、村の鎮守を巡り、祈りの言葉を伝える一方、道の崩れ、病の流行、米の値、行方の分からない者について聞き集めていた。


 伊丹氏の家人が、鬼の木札について尋ねる。

 葛女は布越しに形を確かめると、眉を寄せた。


「これは五鬼ごきの守り印に似ております」


「五匹の鬼か?」


「数の五に、鬼と書きます。役小角えんの・おづぬに従ったと伝わる前鬼ぜんき後鬼ごき。その末を名乗り、山道や行場を守ってきた者たちがおります」


 部屋の空気が変わった。


「では、やはり鬼の仕業か」


「まだ決められませぬ」


 葛女は自分の荷から、古びた小さな札を取り出した。

 そこにも角を持つ顔が刻まれている。

 だが、預かり小屋の札とは違っていた。


 口は大きく開いているものの、人を食らう顔ではない。

 左右へ向けて息を吐き、近づく災いを追い払う形だった。

 裏には、五つの浅い刻みがある。


「本来は、飢えた者へ渡す穀物や、来年蒔く種を守るための印です」


 葛女が説明した。


「この印がある荷を、道中で勝手に徴発してはならない。食べる米と種籾を混ぜてはならない。昔は、そのような約束に使われたと聞いております」


 茶太郎は、預かり小屋の木札を思い出した。


「見つけた方には、五つの刻みがなかった」


「顔も逆です」


 葛女が言った。


「守る息を吐く口ではなく、穀物を呑み込む口に彫り直されている」


 誰かが五鬼の名を使い、偽物の印を作った。

 種籾を盗んだうえで、鬼の仕業だと思わせるために。


「どうして茶丸たちは怖がったんだろう」


 茶太郎が尋ねる。

 葛女は、すぐに霊のためだとは答えなかった。


「古い札を焼き写した木には、油や煤を混ぜることがあります。獣の嫌う草汁を塗ったのかもしれません。まず職人と薬草を知る者に調べてもらいましょう」


 霊が嫌ったのか。

 塗られた物の匂いを嫌ったのか。

 その両方なのか。

 今はまだ分からない。

 分からないものを、都合よく怪異のせいにはしなかった。


 親興は葛女へ、稲守の預かり役について尋ねた。


「この辺りで、家族連れを見なかったか」


「昨日の夜明け前、男一人と娘一人を見ました」


「どこで?」


「箕面へ向かう道です。男は左足を引きずり、娘は青い布を首へ巻いておりました。二人の後ろには、荷駄が三頭。知らぬ男が四人ついていた」


 預かり役の稲守源兵衛には、十二歳の娘がいる。

 左足には、古い荷車事故の傷があった。


「逃げたのではないのか」


 親興が問う。


「自由に歩いているようには見えませんでした」


 葛女は答えた。


「娘が一度、道端へ青い布の端を結びました。後ろの男が気づいて、すぐに外しています」


 助けを求める印だった可能性がある。

 弥七やしちが地図を開いた。


「箕面へ向かったとして、その先は?」


「山へ入る道と、池田へ戻る道。それから多田へ抜ける道に分かれます」


 稲守親子を連れた者たちは、どの道へ進んだのか。

 人の足だけで追えば、すでに一日遅れている。


「次の市へ知らせます」


 葛女は荷から、細い青緑の紐を取り出した。

 城下の外にある小さな堂へ行き、屋根の近くで三度、短い笛を鳴らす。

 しばらくすると、林の方から一羽の鳥が舞い降りた。


 灰緑の身体。

 翼には淡い青。

 宇治から文を運ぶシオと同じ、アオバトだった。


「この子も文を運べるの?」


 茶太郎が目を見張る。


「長い文は無理です」


 葛女は笑った。


「行き先の色と、急ぎかどうかを知らせるだけ。詳しい話は、文を受け取った人が次の旅人へ伝えます」


 葛女は小さな木片へ、二本の道と荷駄三頭の印を描いた。

 青緑の紐を脚へ結ぶ。

 アオバトは塩気のある小さな煎餅を一欠片だけ受け取ると、北西の空へ飛び立った。


青羽便あおばねびんです」


「青羽便……」


「鳥だけで遠くまで知らせるのではありません。鳥が次の人へ伝え、人がまた道を確かめる。歩き巫女、商人、山伏、馬借、寺の使い。皆でつなぎます」


 茶太郎は白紙の帳面へ、その名を書いた。


 情報も、一羽に全てを背負わせない。

 一人の使者が捕まっても、道が一つ途切れても、別の人が続きを運ぶ。

 水叟が教えた、蔵と道の分け方に似ていた。


 夕方までに、最初の返事が届いた。

 戻ってきたアオバトの脚には、赤茶色の紐が一本。

 葛女が色を確かめる。


「箕面の手前で、荷駄三頭を見た者がいます。ですが、親子は一緒ではなかった」


「途中で分けた?」


「そのようです。荷は多田へ。親子は山へ入った可能性があります」


 伊丹親興は家人たちへ命じた。


「兵を二手に分ける。だが、大人数で山へ踏み込むな。親子を人質にされる」


 荷を追う者。

 親子を探す者。

 城下に残り、種籾と蔵を守る者。

 それぞれの役目が決められた。


「ぼくは?」


 茶太郎が尋ねる。

 弥七は少し考えた。


「山へは連れて行かん。道も相手の数も分からへん」


 以前の茶太郎なら、一緒に行きたいと言ったかもしれない。


 だが白紙の帳面には、三つの欄がある。


 今すること。

 あとですること。

 ほかの人に頼むこと。


「分かった。ぼくは城下に残る」


 茶太郎は自分で書いた。


『稲守親子を探す——弥七さんと伊丹の人に頼む』


『戻った人の食事と、見つかった種籾を分ける場所を作る——今する』


 親興は、その文字を見て頷いた。


「行かぬと決めるにも、勇気が要るな」


 日が沈む前、城下の空へもう一羽のアオバトが現れた。

 今度の脚には、青い布の切れ端が結ばれている。

 稲守の娘が首へ巻いていたものと、同じ色だった。


 布の内側には、炭で短い線が五本。

 そして、その下に小さな文字が一つだけ書かれていた。


『洞』


 稲守親子は、箕面の山中にある洞へ連れて行かれた。

 だが五本の線は、助けを求める印だけではなかった。

 偽の木札にはなかった、本物の五鬼の刻みだった。


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『茶太郎がゆく』
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