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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
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第226話 「六歳の歩みと、白紙の帳面」

# 茶太郎六歳編

 ――できることが増えたからこそ、しないことも選ばなければならない――


 宇治の茶畑に、新しい芽が揃った。

 朝露をのせた若葉が、山の斜面を薄緑に染めている。


 六歳になった茶太郎は、以前より遠くまで歩けるようになった。

 帳面の短い文なら読める。

 数も、百を超えなければ間違えずに確かめられる。

 包丁を使わなくてもできる下ごしらえや、火から離れた場所で任せてもらえる仕事も増えた。


 だが、できることが増えれば、頼まれることも増える。


 下京から届いた文には、焼け跡の土地を確かめる話し合いへ来てほしいと書かれていた。

 伏見の繕い所からは、新しい荷札へ水輪の印を使ってよいか尋ねられた。


 柳生からは、回復した源助が粥の礼を伝えたいという文が届いた。

 山崎の町組は、油蔵で起きたことを子どもにも分かる言葉で書き残してほしいという。


 さらに、茶摘みを控えた家では、人手が足りない。


「全部やる」


 茶太郎は、白紙の帳面を開いた。

 欠け輪の騒動が終わったあと、下京の老人から受け取ったものだ。


 最初の頁へ、千代に手伝ってもらいながら頼まれ事を書き並べた。


 一、下京へ行く。

 二、伏見へ返事を書く。

 三、柳生へ粥を届ける。

 四、山崎の記録を作る。

 五、茶摘みを手伝う。

 六、摘み手の食事を作る。

 七、影猫衆の新しい連絡札を確かめる。

 八、繕い所の帳面を見る。


「これ、いつやるん?」


 かん太が尋ねた。


「今日から」


「今日だけで八つは無理やろ」


「少しずつやればできるよ」


 茶太郎はそう答えたが、朝のうちに困った。

 伏見への返書を書きながら、柳生へ送る荷を確かめる。

 その途中で、茶摘みに使う籠の数を尋ねられる。


 籠を数えていると、影猫衆の木札が一枚足りないと白灯あかりが知らせに来た。


「にゃあ」


「待って。今、数えてるから」


 返書へ戻ると、どこまで書いたのか分からなくなっていた。

 茶摘み籠は十五と記すはずが、五十一になっている。

 柳生へ送る米の包みには、行き先の木札を付け忘れた。

 さらに、摘み手へ配る干し飯の数も合わない。


「茶太郎」


 父の宗次が、帳面を指した。


「忙しいことと、仕事が進んでいることは同じやないぞ」


「でも、待ってる人がいるから」


「待っている者がおれば、全部お前がせなあかんのか?」


 茶太郎は答えられなかった。

 これまで、誰かが困っているときには動いてきた。


 粥を作った。

 荷を届けた。

 話を聞いた。

 失敗した仕組みを直すため、皆と一緒に考えた。


 だから、頼まれたことを断れば、その人を見捨てるような気がした。


 母の志乃が、間違えて付けた荷札を外した。


「下京の土地を決めたんは、茶太郎やった?」


「違うよ。町組と、立会人と、そこに住んでた人たち」


「山崎の火を消したんは?」


「町の大人と職人さんたち」


「ほな、柳生の源助を治したんは?」


「お医者さまが診て、水と食事と休むことを続けたから」


 志乃は頷いた。


「茶太郎は、きっかけを作ったんやと思う。でも、最後まで何もかも一人でやったわけやない」


 茶丸が帳面の上へ前足を置いた。


「……ニャッ」


 白紙の頁を、三つに分けるように爪を滑らせる。

 茶太郎は、その線を見つめた。


「三つに分けるの?」


 千代が墨をすりながら言った。


「今すること。あとですること。ほかの人に頼むこと。そう分けたらどうやろ」


「頼むのは、逃げることにならない?」


「頼まれた人が嫌やと言うたら、無理に押しつけたらあかん。でも、できる人に聞くところまでは逃げやない」


 茶太郎は、最初の頁を書き直した。


 今すること。

 ・茶摘み籠の数を正しく確かめる。

 ・摘み手の食事を用意する。

 ・伏見へ、返事が遅れると先に知らせる。


 あとですること。

 ・柳生へ届ける荷を、次の使番と一緒に確かめる。

 ・山崎の記録を、弥七の話を聞いてから作る。


 ほかの人に頼むこと。

 ・下京の話し合いには、千代が帳面の写しを持って行く。

 ・影猫衆の木札は、かん太と友照が数える。

 ・繕い所の帳面は、甚八と六助に先に見てもらう。


「ぼくが行かなくても、できることがあるんだ」


「お前がおらんと何も進まん仕組みにしたら、お前が倒れた日に全部止まる」


 宗次の言葉に、茶太郎は山崎の油蔵を思い出した。


 一つの鍵。

 一枚の原本。

 一人の強い商人。

 それだけに頼れば、失ったときに全てが止まる。


 人も同じだった。


 昼前、茶太郎は摘み手の食事作りに取りかかった。

 火の管理は志乃と大人たちが行う。

 茶太郎は洗ったふきの葉を数え、炊き上がった麦飯を包む仕事を受け持った。


 中には、味噌で和えた刻み菜を少し入れる。

 塩を強くしすぎず、汗をかいた者には湯とともに出す。

 干し飯だけでは喉を通りにくい年寄りのために、柔らかい麦粥も用意した。


 料理に名は付けなかった。


 今日は売り物でも、霊を鎮めるための特別な一椀でもない。

 茶畑で働く人が、午後も無事に動くための食事だった。


「三十二包み」


 茶太郎が数える。


「予備が三つ。柔らかい粥が五椀」


 かん太が帳面と照らし合わせた。


「今度は合うてる」


 友照は、茶摘み籠へ一枚ずつ木札を結んでいた。

 使った者の名を書く札ではない。

 壊れた籠や、縄の緩んだ籠を分けるための印だった。


「悪い籠を隠したら、摘んだ葉まで落としてまうからな」


 友照は、前よりも迷わずに仕事を選べるようになっていた。

 茶太郎は少し悔しく、同時に頼もしく思った。


 昼を過ぎた頃、一人の使者が宇治へ入った。

 旅装には泥が付き、草鞋の紐も片方が切れかけている。

 男は水を一口飲んでから、宗次へ文を差し出した。


「摂津の伊丹城から参った」


 弥七の目つきが変わった。


「伊丹氏の使いか」


伊丹親興いたみ・ちかおき様の名代より、宇治の水輪へお願いがある」


 文には、兵を貸してほしいとも、銭を送ってほしいとも書かれていなかった。

 伊丹周辺の村から集めた種籾が、城下の蔵へ届く前に減っている。

 襲われた跡はない。

 荷札も封も破られていない。


 それなのに、村で量った数と、蔵で受け取る数が合わない。


『盗人を決める前に、量る道具と、運ぶ道を確かめたい』


 その一文を、茶太郎は二度読んだ。

 以前なら、すぐに「行く」と答えていただろう。

 だが今は、白紙の帳面を開く。


 今すること。

 あとですること。

 ほかの人に頼むこと。


「今日の茶摘みが終わるまで、返事を待ってもらえますか」


 使者は意外そうな顔をした。


「急がぬのか?」


「急ぐから、先に確かめます。ぼくが行くべきか、誰と行くべきか、宇治に残す仕事は誰へ頼めるか」


 弥七が、わずかに笑った。


「六つになって、最初に覚えたんが断り方か」


「断ってないよ」


 茶太郎は帳面へ新しい一行を書き加えた。


『摂津の種籾——行く前に、量り方を聞く』


 まだ見えない未来を、自分だけで埋める必要はない。

 答えが見つからなくても、探しながら歩けばいい。


 六歳の茶太郎が最初に選んだのは、すぐに走り出すことではなかった。

 誰と歩くのかを決めるため、一度立ち止まることだった。


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『茶太郎がゆく』
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