↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
PR
230/318

第222話 「三つの茶札と、売れ残った一籠」

 ――本物であることと、選ばれることは同じではない――


 夜明け前、宇治の川辺へ筵が敷かれた。


 並べられたのは、七軒の茶農家が持ち寄った茶。


 灰屋宗玄はいや・そうげんが買い取りを申し出た刻限まで、あと半日しかない。


「ただ茶を並べるだけでは、偽物も一緒に並ぶ」


 宗次は、農家ごとに籠を分けさせた。


 茶太郎とかん太は、籠の前へ三枚一組の木札を置いていく。


 一枚目には、茶葉の印。


 誰が、どの畑で摘んだか。


 二枚目には、火と手の印。


 誰が蒸し、揉み、乾かしたか。


 三枚目には、舟か馬の印。


 誰が、どの道を通って運ぶか。


 名を書けない者には、それぞれ違う刻印を用意した。


 《宇治三手茶札》。


 立派な家印一つで本物を示すのではない。


 畑、加工、運搬。


 三つの仕事が繋がって、初めて一つの茶になる。


「札ごと偽られたら、どうする?」


 近江から来た商人が尋ねた。


「今日は、札を書いた人もここにいます」


 茶太郎は答えた。


「畑のことを聞きたかったら、作った人に聞いてください。火入れのことは、揉んだ人に。運ぶ道は、船頭さんに」


「毎回、全員を市へ連れてくるんか?」


「それは無理です。せやから今日は最初の確かめ方を一緒に決めたいんです」


 完成した仕組みを押しつけるのではない。


 使う商人や、運ぶ者にも不足を見つけてもらう。


 柳生で雨に溶けた荷札の失敗を、繰り返さないためだった。


 茶市の中央には、三つの釜が据えられた。


 使う水は同じ井戸から汲み、大人が一度沸かす。


 茶葉は同じ升で量る。


 湯を注いでから待つ間も、短い香を一本立ててそろえた。


「茶碗が違うたら、味も違うて感じる」


 伊平いへいが、同じ形の白い椀を並べる。


「派手な器で良う見せん。茶そのものを比べてもらう」


 ただし、偽茶や黴の疑いがある茶は使わない。


 味見して確かめることもしない。


 隔離したまま、後で大人たちが入手経路を調べる。


 最初に淹れられたのは、日当たりのよい畑の若い葉。


 爽やかな香りが立つ。


 次は、やや育った葉を丁寧に揉んだ茶。


 香りは穏やかだが、日々飲むには十分な味がある。


 三つ目は、形の不ぞろいな葉と茎を選別した茶だった。


「これも同じ値で売るんか?」


 商人が尋ねる。


 茶農家の一人が言葉に詰まった。


 自分の茶を低く扱われたくない。


 だが、すべてを極上だと言えば、偽物と変わらない。


 伊平が茶葉を一つまみ持ち上げる。


「これは悪い茶やない。せやけど、上の二つと同じ香りではない」


 宗次も頷いた。


「値を三つに分けよう」


 祝いの席や贈り物へ使う茶。


 日々の一服に使う茶。


 煮出して大勢で飲む、茎や大きな葉の茶。


 用途を分け、値も分ける。


 高い茶を安く見せない。


 手頃な茶を、極上と偽らない。


「安い茶を作った家は、恥ずかしいんか?」


 京鈴きょうすずが尋ねた。


「恥ずかしないよ」


 茶太郎が答える。


「高い茶しかなかったら、飲めへん人が増える。毎日飲める茶も要る」


 京鈴は一番手頃な茶をすすり、少し考えた。


「これ、うちでも飲めそう」


 その一言で、茶農家の強張っていた顔が緩んだ。


 取引が始まった。


 近江商人の一人は、上等な茶を二籠。


 別の商人は、日々の茶を五籠。


 山崎の宿は、大勢へ出すための茎茶を三籠買った。


 値を下げて全部を手放したわけではない。


 茶農家ごとに売り先が分かれたため、一軒の仲買が値を決めることもない。


 昼前、灰屋宗玄が姿を現した。


「見事な市ですな」


 穏やかな声だった。


 宗玄は三手茶札を一枚ずつ確かめ、三種の茶を同じ椀で飲み比べた。


「買い取りの申し出は、必要なかったようで」


「まだ、全部売れたわけやありません」


 茶太郎は、残った一籠を見た。


 雨の前に摘んだ葉を、火入れしすぎた茶。


 飲めない物ではない。


 だが香りが弱く、ほかの茶と比べると見劣りする。


 茶農家の老人が俯いている。


「本物やのに、売れへんかった……」


 茶太郎は、すぐに買い取るとは言わなかった。


 情けだけで買えば、次も同じ作り方が続く。


「どうして火を入れすぎたんですか?」


「薪が湿っとってな。火が弱いと思うて、途中で足した。そしたら急に強うなった」


 失敗には、理由がある。


 茶太郎は伊平とともに、残った葉を確かめた。


 黴や異臭はない。


 ただ、香りが飛んでいる。


「これを極上の茶として売るんは無理や」


 伊平は正直に言った。


「せやけど、濃う煮出して飯や菓子の香りに使うなら試せる」


「料理に逃がすんか」


 宗玄が口を挟む。


「逃がすんやないです」


 茶太郎は答えた。


「次に同じ失敗をせんよう記録して、それでも残ってる役目を探すんです」


 茶太郎は少量だけを買い、残りを無理に引き受けなかった。


 まず料理場で安全と使い方を確かめる。


 うまくいけば、その用途で改めて値を決める。


 茶農家の老人も頷いた。


「次は、薪の乾き具合も札へ残す」


 三手茶札に、新しい欄が一つ加わった。


 成功した印だけでなく、失敗した理由も残す欄だった。


 宗玄は、その様子を静かに見ていた。


「恐ろしい仕組みですな」


「どうして?」


「人が比べ方を覚えれば、私の品も同じように見られる」


 宗玄は笑っていた。


 だが、目は笑っていない。


「本物の価値を人が決めるなら、名家の印も、大商人の名も、それだけでは通じなくなる」


「それでええと思います」


「いつか、その考えがあなた自身の値打ちも量りますよ」


 宗玄は買い取りの証文を破らず、懐へ戻した。


 そして茶太郎の前へ、小さな灰色の茶入れを置く。


「市を見せてもろうた礼です」


「受け取れません」


「中身を見てから決めなさい」


 宗玄が去ったあと、弥七やしちが布越しに蓋を開けた。


 茶は入っていない。


 中にあったのは、焦げた紙片だった。


『下京焼亡ニ関スル内約』


 失われた一通の、末尾だけ。


 そこには、署名の一部が残っていた。


『灰屋——』


 かん太が息を呑む。


「宗玄が、欠け輪の親玉なんか?」


「まだ決めたらあかん」


 茶太郎は紙片を見つめた。


 灰屋の名は宗玄一人のものではない。


 父や先代、同族の誰かかもしれない。


 偽りの証拠を作る者が、わざと灰屋の名を残した可能性もある。


 宗玄は答えを置いていったのではない。


 疑いを一つ増やしていったのだ。


 茶丸が灰色の茶入れへ鼻を近づけ、低く鳴いた。


「……ニャ」


 茶の市は守れた。


 だが灰の月は、すでに宇治の内側まで昇っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
面白いと思っていただけたら、ぜひブックマークや評価(★)をお願いします!
『茶太郎がゆく』
style=
目次からブックマークをお願いします
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。