↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
PR
227/318

第219話 「同じ顔の薬包と、飲ませない勇気」

 ――助けたいと焦るときほど、分からない物を使わない――


 妙覚寺界隈へ着いた茶太郎たちを待っていたのは、火でも刀でもなかった。

 同じ形をした、二つの薬包だった。


「どちらも、うちから出した正丸やと書いてある」


 曲直瀬道三まなせ・どうさんが、机の上の包みを睨んでいる。


 薄墨色の外紙。

 黒い三本線。

 腹を下した者へ渡すという印。


 包みを結ぶ麻紐まで、よく似ていた。


「片方は、伏見から届いた物。もう片方は、今朝、寺の門前へ置かれていた箱から出た物や」


 茶太郎が手を伸ばしかけると、道三が止めた。


「触れたらあかん。何が付いとるか分からへん」


 偽物と思われる薬包は、食事を作る場所から離した部屋へ移されていた。

 子どもは近づかない。

 道三と、薬草を扱い慣れた者だけが中身を確かめる。


 明智光秀あけち・みつひでは、受け取った日時と場所を帳面へ記した。


「門前の箱を見つけたのは?」


「掃除に出た小僧二人。ただし、開けたのは寺役や」


「箱に触れた者の名を、順に残しましょう。疑うためやなく、どこで入れ替わったか確かめるためです」


 松永久秀まつなが・ひさひでは、二つの外紙を裏返した。


「偽物の方が、紙がきれいやな」


「偽物なのに?」


 かん太が尋ねる。


「人は、汚い本物より、きれいな偽物を信じることがある」


 久秀は紐の結び目を指した。


「伏見から来た包みは、引けば一度でほどける。病人のそばで刃物を使わんでもええようにしてある。こっちは見た目だけ真似て、固う結んどる」


 外側は似せられても、なぜその形にしたのかまでは理解していない。


 道三が本物の正丸を一つ開く。

 黄檗や黄連を用いた、強い苦味のある丸薬。

 症状を確かめず、誰にでも飲ませる薬ではない。


 次に偽包みを開いた。

 中から出てきた丸薬は、色がわずかに薄い。

 表面には粗い粉が浮いている。


「同じ物ではない」


 道三は口へ入れなかった。


 少量を割り、色、匂い、崩れ方を確かめる。


「薬草らしい苦い匂いはする。せやけど、何をどれだけ混ぜたか分からん。効かへんだけならまだしも、身体を傷める物が入っとるかもしれん」


「全部捨てますか?」


 光秀が問う。


「いや。封じて残す。誰がどう作ったか調べる証になる」


 だが、問題は偽物だけではなかった。

 門前には、すでに薬を求める人が並んでいる。


 腹を下した者。

 熱のある者。

 傷の痛みに耐える者。

 偽物が混じった可能性を考えれば、正丸だけでなく、ほかの薬包も一度止めなければならない。


「今ある本物まで渡さへんのですか?」


 患者を連れた母親が声を荒らげた。


「子どもが苦しんどるんや!」


「本物と確かめられた物は使う」


 道三は静かに答えた。


「せやけど、印だけを信じて渡すことはできへん。まず、わしが一人ずつ診る」


「待ってる間に悪うなったら、どうするんや!」


 誰も、すぐには答えられなかった。


 助けたい。

 薬を渡したい。

 だが、焦って分からない物を飲ませれば、その行為が新しい害になる。


 茶太郎は、柳生で源助へ粥を作ったときのことを思い出した。

 正丸だけで助かったのではない。


 煮沸した水。

 食べられる量の粥。

 休息。

 土地の医師による経過の確認。


 そのすべてが必要だった。


「薬を確かめてる間、ぼくにできることはありますか?」


 茶太郎が道三へ尋ねる。


「水を一度沸かして冷ます。飲める者には少しずつ。吐いている者や意識の弱い者には、勝手に飲ませず呼びに来てくれ」


「食べ物は?」


「食べられるか、先に診る。皆へ同じ物を出したらあかん」


 茶太郎は寺の炊事場へ入った。

 料理で病を治すとは言わない。

 薬の代わりになるとも言わない。

 道三が食べてもよいと判断した者へ、米を多めの水で柔らかく煮た薄い粥を用意する。


 味はごく薄くする。


 《水霊待ち粥》。


 薬を待つ間、身体へ無理をさせないための料理だった。


「何も入ってへんみたいや」


 椀を受け取った少年が言う。


「今は、それでええんやって」


 茶太郎は答えた。


「元気になったら、もっと美味しいの作る」


 少年は一匙だけ食べ、疲れたように目を閉じた。

 茶丸が枕元から少し離れた場所へ座る。

 白灯あかりは薬棚へ近づかず、出入口を見張った。


 午後までに、保管されていた薬包の確認が終わった。

 本物には、材料を仕込んだ者と包んだ者、二つの印がある。

 偽物には、外側の久我家印しかない。


「一つの立派な印より、二つの地味な印の方が信用できる」


 光秀が帳面へ書き留める。


「誰か一人の権威やなく、二人の仕事が互いを確かめるからや」


 久秀は偽物の箱に入っていた品書きを見ていた。


「こっちの狙いは、毒で人を殺すことだけやないかもしれん」


「どういうことです?」


「偽物が出回れば、正丸そのものが信用されへんようになる。妙覚寺の薬を止めたところで、別の薬売りが倍の値を付ける」


 実際、門前ではすでに噂が流れていた。


『妙覚寺の薬は偽物』


『伏見の正丸を飲むと死ぬ』


 そして同じ辻で、見知らぬ薬売りが高値の丸薬を売り始めている。

 欠け輪は、薬を盗むだけではない。

 安く分けられる薬の信用を焼き、そのあとへ高値の商品を置こうとしていた。


 夕暮れ、日置雪へき・ゆきが門前の薬売りを追った。

 捕らえはしない。

 どこへ戻るかを遠くから確かめる。


 薬売りは二つの路地を抜け、空き寺へ入った。

 その裏口から出てきた荷車には、欠け輪の印が付いた箱が積まれている。

 行き先を示す木札には、こう刻まれていた。


『次は、井戸』


 光秀の顔色が変わった。


「薬を疑わせた次に、水まで疑わせるつもりか」


 料理も薬も、人の身体へ入る前には水を使う。

 井戸の信用が失われれば、下京の暮らしそのものが止まる。


 茶太郎は《水霊待ち粥》の鍋を見つめた。

 薬を飲ませない勇気の次に必要なのは——安心して飲める水を、町の手で守る仕組みだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
面白いと思っていただけたら、ぜひブックマークや評価(★)をお願いします!
『茶太郎がゆく』
style=
目次からブックマークをお願いします
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。