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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
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第215話 「六つの悪名と、何も書かない椀」

 ――名を汚されたとき、最後に残るのは、その人が何をしたか――


 翌朝、下京の六つの辻に、六枚の高札が立てられていた。


『墨屋宗白、救恤米を横流しせり』


『三好長逸、偽の通行料を命じたり』


『甲賀者・弥七、荷を盗みて敵方へ売る』


『浪人・佐吉、旧主の名を用いて町衆を欺く』


『異形の女・日置雪、幼子をさらい忍びへ育つ』


 最後の一枚には、茶太郎の名があった。


『妖しの子・茶太郎、料理へ霊を混ぜ、人心を惑わす』


 どの高札にも、二本の葦と水の流れを刻んだ朱印が押されている。

 奪われた三つ目の箱から出た、本物の印だった。


 昼になる前には、噂が町中へ広がった。

 救恤蔵へ米を持ち込もうとしていた農家が、荷車を引き返した。

 橋番は《山崎合せ通り札》を受け取るのをためらう。

 炊き出しへ並んでいた母親が、子どもの手を引いて列を離れた。


「霊を食わされるらしいで」


「関わったら、幕府に捕まるかもしれん」


「久我家の残党が、町を乗っ取るつもりや」


 六つの悪名は、互いに繋がるよう作られていた。


 宗白が米を盗む。

 長逸が権威を貸す。

 弥七と雪が逆らう者を消す。

 佐吉が旧家の名で町を欺く。

 茶太郎が料理で人の心を操る。


 一つを信じれば、残る五つも本当らしく見えてしまう。


「高札を引き倒します」


 佐吉が刀を帯び直した。


「立てた者を捕らえれば、誰の命か吐かせられる」


「今倒したら、都合が悪いから消したと言われる」


 水叟が止める。


「ほな、好きに言わせるんですか」


「違う。札は残し、その横で我らの仕事も見せる」


 墨屋宗白は、高札の前へ机を出した。

 救恤蔵の帳面を開き、受け取った米と配った椀の数を、望む者へ見せ始める。


「疑う者から先に見たらええ。ただし、病人の名は伏せる。疑いを晴らすために、弱った者の暮らしまで晒すつもりはない」


 三好長逸は、自分の兵へ命じた。


「通り札のない荷から銭を取るな。すでに払った荷を止めた者は、味方であっても名を記録せよ」


「我らの威が落ちます」


「偽旗を見逃す方が、よほど威を落とす」


 弥七は噂を流した者を追わず、荷を引き返した農家のもとへ向かった。

 戻るよう命じるためではない。

 夜までに家へ帰れる道を確かめるためだった。


「俺を信用せんでもええ。せやけど、崩れた橋だけは避けて通れ」


 農家は返事をしなかった。

 それでも弥七が示した安全な道を選んだ。


 佐吉は刀を抜く代わりに、救恤蔵の傷んだ戸を直した。

 槌の扱いには慣れていない。

 釘を曲げ、甚八に叱られ、それでも夕方まで戸の前を離れなかった。


 日置雪へき・ゆきは、自分を怖がる子どもたちへ近づかなかった。

 ただ、崩れかけた家の下で木のきしみを聞いていた京鈴とともに、危険な家へ縄を張る。


 その直後、焼け残った梁が落ちた。

 誰も下敷きにはならなかった。


「銀髪の鬼やないん?」


 遠くから見ていた少年が尋ねる。

 雪は肩をすくめた。


「鬼やったら、もっと角が立派や」


 子どもたちの間から、小さな笑いが漏れた。


 そして茶太郎は、炊事場へ立った。

 だが、その日の鍋の前には誰も並ばない。

 茶丸と白灯あかりだけが、黙ってそばへ座っている。


「ぼくの料理、もう食べてもらえへんのかな」


「……ニャ」


 茶丸は慰めるようには鳴かなかった。


 鍋へ目を向け、前足で地面を一度叩く。

 作るのか。

 やめるのか。

 決めるのは茶太郎自身だと告げていた。


 茶太郎は火を見つめた。

 怖くないと言えば嘘になる。

 自分の料理を食べた者まで、悪く言われるかもしれない。

 それでも、腹を空かせた人がいなくなったわけではない。


「作る」


 茶太郎は蕪を刻んでもらい、麦と少量の米を鍋へ入れた。


 干し茸の出汁。

 一つまみの塩。

 特別な霊力を加えたとは言わない。

 病を治すとも、心を変えるとも言わない。

 ただ、腹を温めるための粥を炊いた。


 椀からは、水輪の印も茶太郎の名も外した。

 何も書かれていない、ただの椀だった。


 最初に現れたのは、京鈴だった。

 片方だけの赤い草履で炊事場へ来ると、高札と鍋を交互に見る。


「怖くないの?」


 茶太郎が尋ねる。

 京鈴は答えない。

 椀を一つ取り、粥をよそい、地面へ座った。


 一口。

 二口。

 ゆっくり食べ終えると、椀を洗い場へ置く。


 そして、まだ誰もいない列の先頭へ、焼けた鈴を置いた。

 ここから並べばいい。

 言葉にせず、そう示した。


 次に、お糸が男の子を連れてきた。

 その後ろへ、父親の商人が立つ。


 橋番。

 馬借。

 雨に濡れた米を分けた老僧。

 人々は高札を見上げながら、それでも一人ずつ列へ戻ってきた。


「言葉にできへん痛みも、料理なら誰かに届くことがあるんやな」


 お寅婆が呟いた。


「せやけど、料理だけに背負わせたらあかん。食べた者が、次の者へ場所を空けるんや」


 鍋が空になる頃、六枚の高札の横には、それぞれ新しい物が置かれていた。


 宗白の開かれた帳面。

 長逸が認めた通り札。

 弥七が描いた安全な帰路。

 佐吉が直した蔵の戸。

 雪が張った危険除けの縄。

 茶太郎の、何も書かれていない椀。


 誰も、高札を壊さなかった。

 だが、悪名だけを読む者は、次第に少なくなっていった。


 夕暮れ、シオが桂の渡しから戻る。

 脚の文には、舟の出入りを記した簡単な図があった。


『三つ目の箱は、桂を通過。

 舟は二手に分かれた。

 一艘は近江の海へ。

 もう一艘は堺へ下った』


 弥七が図を睨む。


「また、二つの道か」


 水叟は首を横に振った。


「箱は一つしかない。どちらかは囮や」


 茶太郎は空になった鍋と、二本に分かれた舟の線を見比べた。

 名を焼く策は退けた。


 だが次に問われるのは——見えない二つの道のうち、どちらを信じるかだった。


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『茶太郎がゆく』
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