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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
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第214話 「赤い帯の結び目と、帰るための粥」

 ――奪われた物より、先に連れ戻す命がある――


 古い船着き場に残されていた赤い帯は、商人の娘のものだった。


「お糸の帯や……」


 商人は、その場へ崩れ落ちた。

 娘のお糸は八歳。

 二日前、商い仲間を名乗る女に預けたという。


「借りた銭を返せへんなら、娘を奉公へ出せと言われた。せやけど、三日だけ言うことを聞けば、借りをなかったことにすると……」


「それで偽の書状を読んだんか」


 佐吉の声には怒りがあった。

 だが、向ける先は父親ではない。


「娘を渡してしもうたことを責めるんは、戻してからや」


 日置雪へき・ゆきが銀髪を頭巾の中へ隠し、赤い帯を調べた。

 碧い目が、結び目の裏側で止まる。


「これ、切られたんやない。自分でほどいて落とした跡や」


 帯の端には、強く引いたときにできる皺が残っている。


「お糸ちゃんが、目印を残したの?」


 茶太郎が尋ねる。


「たぶんな。連れていかれながら、帰る道を作ろうとしたんや」


 弥七やしちは探索を二つに分けた。


 佐吉と町組の夜番は、船着き場から陸へ続く足跡を調べる。

 雪は影猫衆とともに、舟が移った可能性のある水辺を探る。

 弥七自身は双方を繋ぎ、知らせを水月庵へ戻す。


「茶太郎とかん太は庵に残れ」


「でも——」


「今から探す場所には、武器を持った者がおるかもしれん」


 弥七は茶太郎の目を見て言った。


「待つんも、助けるための仕事や」


 茶太郎は唇を噛み、やがて頷いた。

 連れ戻されたお糸は、身体が冷えているかもしれない。

 空腹でも、急に多く食べれば腹を傷める。


 茶太郎は湯を沸かし、少量の米と麦を柔らかく煮始めた。

 塩はほんの一つまみ。

 干し茸の薄い出汁と、細かく刻んだ蕪を加える。


 《水霊帰り道粥》。


「まだ見つかってへんのに、作るん?」


 かん太が尋ねる。


「見つかってから作ったら、待たせることになるから」


 一方、白灯あかりは赤い帯が落ちていた場所から、濡れた足跡を追っていた。

 子どもの小さな足跡。

 大人の草履が二組。

 それらは途中で船板の跡へ重なり、水際で消えている。


 茶丸は舟を追わず、船着き場の柱を嗅いだ。


「……ニャッ」


 柱には、赤い糸が一本引っかかっていた。

 帯と同じ糸である。

 さらに少し下流の柳にも、赤い糸。

 その次は、岸へ上がる石の間。


「賢い子やな」


 雪が目を細める。


「帯を少しずつ解いて、道へ残したんや」


 糸は、川沿いの古い染物小屋へ続いていた。

 戸は閉ざされている。

 雪が耳を澄ませた。


 中から、かすかな擦れる音がする。

 泣き声ではない。

 縄を木の角へ当て、少しずつ切ろうとする音だった。


 だが、その音の手前に、大人の呼吸が二つある。

 雪は突入しなかった。

 屋根へ上がった白灯が裏口を見張り、茶丸は床下へ回る。


 雪は小さな石を遠くの板塀へ投げた。

 からん、と音が響く。


「見てこい」


 小屋の中で男が言った。

 一人が表へ出る。

 白灯が屋根から瓦の欠片を落とし、さらに離れた場所で音を立てた。

 男はそちらへ引かれていく。


 残る一人が戸口へ近づいた瞬間、待っていた弥七と佐吉が左右から腕を押さえた。

 雪は裏口から中へ入る。


 お糸は柱へ縛られていた。

 頬は汚れているが、意識はある。

 手首の縄は半分まで擦り切れていた。


「もう大丈夫や」


 雪が刃物で縄を切ろうとすると、お糸は首を振った。


「先に……あっち」


 小屋の奥には、もう一人、小さな男の子がいた。

 偽の関で働かされていた荷運び人の子だった。

 お糸は自分が逃げる前に、その子も助けようとしていたのだ。


 雪は二人を外へ運ばせた。

 捕らえた男たちへの取り調べは、幕府と町組の大人に任せる。


 影猫衆は追撃しない。

 二人の子どもが安全な場所へ戻るまで、そばを離れなかった。


 夜更け、水月庵の門が開いた。


「お糸!」


 商人が駆け寄ろうとする。

 だが、お糸は立ち止まり、雪の衣を握った。


 父を怖がっているのではない。

 安心した途端、足から力が抜けたのだ。

 商人は無理に抱き締めず、その場へ膝をついた。


「すまん……」


 お糸は何も答えなかった。

 ただ、ほどけかけた赤い帯を父の手へ置いた。


 茶太郎は、二人の前へ温かな粥を運んだ。


「まず少しだけ。ゆっくり食べて」


 お糸は一匙を口へ入れた。

 しばらく味を確かめてから、隣の男の子へ椀を押す。


「半分こ」


「もう一つあるよ」


 茶太郎が別の椀を見せると、お糸はようやく小さく笑った。


「なら、半分こせんでもええんやな」


 その言葉に、父親は顔を伏せた。

 これまで娘は、何でも誰かと分けなければ自分の分がなくなると思って生きてきたのだ。

 食後、お糸は小屋で聞いたことを話した。


「箱はなかった。でも、男の人が言うてた。『本物は桂の渡しへ送った。次は蔵やなく、人の名を焼く』って」


「人の名を焼く?」


 茶太郎が聞き返す。

 お糸は懐から、小さな木片を出した。

 縄を切ろうとしたとき、床下で拾ったものだった。


 片面には、欠けた円を横切る線。

 裏面には、六つの名が刻まれている。


 墨屋宗白。

 三好長逸。

 弥七。

 佐吉。

 日置雪。

 そして——茶太郎。


 蔵を奪えなかった敵は、次に蔵を支える者たちの名を狙い始めていた。


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『茶太郎がゆく』
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