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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
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第211話 「水なき夜と、沈められた三つの箱」

 ――秘密を開く前に、それを守った理由を考える――


 老船頭が語った覚え歌は、短かった。


『葦が二つ、月を挟み、水なき夜に道が出る』


「水なき夜いうんは、川の水が消える夜か?」


 かん太が尋ねると、老船頭は首を横に振った。


「川の水は消えへん。月の引く頃、浅瀬が広うなる夜のことやろ」


 だが、それだけでは場所を絞れない。

 淀の水辺には、葦原がいくつも残っている。川筋も、戦や洪水で少しずつ形を変えていた。

 闇雲に水底を探れば危険である。


「潜るのはあかん」


 弥七やしちが先に釘を刺した。


「水の冷たさも、底の泥の深さも分からん。子どもは岸から離れるな」


「ぼく、まだ何も言ってへんよ」


「顔に書いとる」


 探索には老船頭のほか、淀の川筋を知る船頭二人と、佐吉が加わった。

 茶太郎とかん太は、弥七の目が届く岸辺で印を記録する。

 茶丸と白灯あかりは高い場所から人の動きを見張った。


 日が沈む頃、一行は古い葦原へ着いた。

 水面には細い月が映り、その左右から二つの葦の群れが伸びている。


「歌のとおりや……」


 老船頭が呟いた。

 だが、船頭の一人は首を傾げた。


「こんな形の葦原なら、ほかにもあるぞ」


「うん。歌だけで決めたらあかん」


 茶太郎は岸へ並ぶ石を見た。

 自然に転がったように見えるが、三つおきに平らな面が上を向いている。


 佐吉が泥を払い、一つを裏返した。

 石の底には、二本の葦と水の流れが刻まれていた。


 その瞬間、水面が小さく盛り上がった。


 黒い背中。

 長いひげ。

 宇治川の守り手、うじまるが水から顔を出す。


「うじまる!」


『おお、茶太郎。淀まで来たんか。水辺だけに、ずいぶん“みずいらず”な集まりやな』


「船頭さんが三人もいるから、水入らずやないよ」


『先に突っ込まれた! 流れが早いのう!』


 緊張していた船頭たちの顔が、わずかに緩んだ。


 うじまるは水中へ潜り、しばらくして別の場所から顔を出した。


『下に妙な流れが三つある。水が箱を避けて回っとる。けど、泥の中身までは分からんぞ』


 水霊にも、箱の位置を正確に掘り出すことはできない。


 船頭たちは長い竹竿を使い、岸から底の硬さを確かめた。


 一か所目。

 柔らかい泥。


 二か所目。

 石。


 三か所目で、竹竿の先から鈍い音が返った。


 船頭は岸へ印を付け、縄に結んだ鉤を慎重に沈めた。

 何度目かの試みで、鉤が何かに掛かる。


「引くぞ。いっせいにや」


 大人たちが縄を握った。

 泥が泡立ち、水面へ黒い箱の角が現れる。

 茶太郎も駆け寄りそうになったが、弥七に肩を押さえられた。


「岸が崩れる。下がれ」


 箱は船へ載せられ、それから陸へ運ばれた。

 油を染み込ませた布と木の皮が幾重にも巻かれている。外側は腐りかけていたが、鉄の帯はまだ形を残していた。


 一つ。

 二つ。

 そして三つ。


 歌が示していたのは、一つの宝箱ではなかった。

 三か所へ分けて沈められた、三つの箱だった。


「ここで開けるんか?」


 かん太が尋ねた。

 佐吉は首を横に振る。


「暗すぎる。それに、濡れた物を急に開けば、中の紙が崩れるかもしれん」


 茶太郎も、水輪宿紙の失敗を思い出した。


「乾かす前に広げたら、破れるかもしれへん」


 箱は水月庵へ運び、外側の泥だけを落とすことになった。

 だが、一行が戻ろうとしたとき、茶丸が葦原の奥へ向かって鳴いた。


「……ニャッ!」


 白灯も背を丸める。

 葦の向こうから、三艘の小舟が現れた。

 乗っている者たちは、顔を布で隠している。手には棹だけでなく、短い槍もあった。


「その箱を置いていけ」


 先頭の男が言った。


「川で拾った物は、川を押さえる者の物や」


 佐吉が刀へ手をかける。

 弥七は箱の前に立ったが、抜かなかった。


「どこの者や。名を言え」


「名など要らぬ。置いていけば、子どもには手を出さん」


 茶太郎の身体が強張る。

 その足元へ、茶丸が戻ってきた。


「……ニャ」


「戦ったらあかんって?」


 茶丸は答えず、上流を見た。

 うじまるも、水面からひげだけを出している。


『雨は降ってへん。せやけど、上の堰が動いた。もうすぐ流れが強うなるぞ』


 顔を隠した者たちは、上流の仲間に水を放たせたらしい。

 川を荒らして箱を奪い、事故に見せかけるつもりなのだ。


「箱を積んだまま船を出したら、ひっくり返る」


 老船頭が叫んだ。


「岸の高いところへ運べ!」


 弥七たちは、敵を追わなかった。

 三つすべてを守ることも諦めた。


 最も軽い箱を二人で運び、残る二つは縄で太い柳へ結び直す。

 茶太郎たちは、老船頭に導かれて高みに上がった。

 ほどなく、水位が上がり始めた。


 顔を隠した者たちの小舟も流れに押され、葦原の向こうへ退いていく。

 戦わずに済んだ。

 だが、柳へ結んだ二つの箱は、激しい流れの中で何度も岸へ打ちつけられた。


 水が引いたあと、一つは残っていた。

 もう一つは——縄だけを残して消えていた。

 水月庵へ持ち帰れたのは二箱。


 軽い方から出てきたのは、古い川筋と蔵の位置を記した帳面だった。

 残った重い箱には、錆びた鍵が掛かっている。


 水叟は二つの箱を見ると、静かに目を閉じた。


「三つ目は?」


「流されました」


 佐吉が膝をつく。


「申し訳ございません」


「謝るな。人を失わず、二つを戻した。それでよい」


 水叟は、錆びた鍵へ触れた。


「ただし、この箱はまだ開けてはならぬ」


「どうして?」


 茶太郎が尋ねる。


 水叟は答えず、箱の底を指した。

 そこには二本の葦ではなく——欠けた円を一本の線が横切る、偽の通行帳と同じ印が刻まれていた。


「これは、味方の箱ではない」


 川底から戻った三つの箱。


 一つは道を残し、一つは敵の印を抱え、もう一つは再び流れの中へ消えた。


 そして誰も知らなかった。

 失われた三つ目の箱が、その夜のうちに、別の岸で引き上げられていたことを。


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『茶太郎がゆく』
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