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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
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第209話 「止まった塩荷と、一度だけ払う通り札」

 ――ただにするのではなく、同じ働きへ二度払わない――


 山崎へ向かう街道で、十頭あまりの荷馬が足を止めていた。


 背に積まれているのは、白い塩の俵。

 下京の救恤蔵へ届くはずだった荷である。


「道は塞がってへんのに、なんで進まへんの?」


 茶太郎が尋ねると、塩荷を率いる馬借の頭が苦い顔をした。


「進まへんのやない。進めへんのや」


 男は腰から、五枚の小さな札を取り出した。


 河岸で払った荷揚げ銭。

 橋を守る者へ払った警固銭。

 傷んだ道を直すための普請銭。

 幕府方の荷改め。

 細川方を名乗る兵の通行料。


「一つずつなら払えん額やない。けど、同じ荷を止められるたびに払うたら、下京へ着く前に銭が尽きる」


 三好長逸みよし・ながやすが札を見比べた。


「最後の通行料は、晴元様が命じたものではない」


「せやろな。けど、道を塞いどる者は、あんたらの旗を掲げとる」


 馬借の頭は、塩俵を叩いた。


「偽物か本物か確かめるために、こっちは荷を腐らせるわけにはいかんのや」


 塩そのものは腐らない。

 だが、雨を吸えば固まり、俵は傷む。荷馬を止めている間にも、餌代と人足の食い扶持は増えていく。

 幕府の奉行人は険しい顔で言った。


「ならば、すべての関を廃して通せばよい」


「それも困る」


 声を上げたのは、橋番の老人だった。


「橋板を替える銭は誰が出す。夜盗を追う者の飯はどうする。ただで通せと言われたら、次の大雨で橋を閉じるしかない」


 茶太郎は五枚の札を地面へ並べた。

 全部をなくせば、道を守る者がいなくなる。

 全部を払えば、荷が動かなくなる。


「同じ銭に見えても、している仕事が違うんだね」


「違う仕事もある。名だけ変えた同じ仕事もある」


 弥七やしちが一枚を指した。


「この二つは、どっちも荷の中身を改めた印や。しかも半里も離れとらん」


 茶太郎は馬借の頭へ尋ねた。


「荷改めをされるたびに、俵を開けるの?」


「開けられる。縄を結び直すんも、こっちの仕事や」


「それなら、俵も弱くなる……」


 茶太郎はすぐに答えを出さなかった。


 荷揚げ人、橋番、道普請を担う村人、幕府の役人、長逸、そして馬借。

 それぞれに、自分が行っている働きを一つずつ話してもらった。


 千代が持たせてくれた帳面へ、かん太が内容と銭の額を書き込む。

 すると、二重になっている負担が見えてきた。


 荷の数を数える者が三か所。

 中身を確かめる者が二か所。

 道の警固を名目に銭を取る者が二組。

 その一方で、壊れかけた橋を直す者には、十分な銭が届いていなかった。


「銭が多すぎるんやない」


 かん太が帳面を見つめた。


「仕事をしてへんところにも流れて、ほんまに仕事をしとるところへ届いてへんのや」


 奉行人が茶太郎を見下ろした。


「では、どう分ける?」


「荷主が全部の相手と別々に話すから、止まるんだと思います」


 茶太郎は一枚の薄い木札を取り出した。

 片面に荷主、行き先、俵の数。

 裏面に、荷揚げ、荷改め、橋、警固という四つの印を刻む。


「最初の預かり所で、一度だけまとめて払う。仕事をした人は、自分の印を入れる。集めた銭は、あとで印の数と決めた取り分に合わせて分けます」


 橋番の老人が眉をひそめた。


「払うたと偽る者が出るぞ」


「だから、札だけやなくて帳面にも残す。荷主と預かり所と、最後に受け取る蔵の三か所で確かめる」


 長逸が続けた。


「幕府と晴元様の側でも、この札を共通の通行証として認める。一度改めた荷を、道中で勝手に開かせぬ」


「偽の兵が銭を求めたら?」


 弥七が問う。


 長逸は自分の脇差から飾り紐を外し、木札へ結んだ。


「この色と結び方を覚えさせる。これを無視して荷を止める者は、晴元様の名を盗む者として扱う」


 幕府の奉行人も、扇の骨へ使われていた細い竹片を一本抜いた。


「公方様の側からも印を添える。双方の印がある荷を止めた者は、名と所属を記録せよ」


 最初の《山崎合せ通り札》が出来上がった。

 ただし、試すのは三頭分だけ。

 残りの荷は、仕組みが本当に働くと分かるまで動かさない。


「全部いっぺんに変えへんのやな」


 馬借の頭が言った。


「失敗したら、塩が全部止まるから」


 茶太郎の答えに、男は初めて笑った。


「六つの子にしては、臆病や」


「臆病だから、三頭だけにするんだよ」


 三頭の荷馬は、山崎を出た。

 荷改めの場所で一度止められたが、双方の印を見た役人は俵を開かず、数だけを確かめた。


 橋では、橋番が板と鎹の状態を確認する間だけ待った。

 名目の分からない通行料を求める兵も現れたが、弥七が名を尋ねると、旗を残して逃げていった。


 夕刻、三頭は下京の救恤蔵へ到着した。

 墨屋宗白すみや・そうはくが俵の数と封を確認し、帳面へ最後の印を記す。


「通ったから成功、ではない」


 宗白は冷静に言った。


「橋番へ銭が届き、馬借へ約束した運賃が払い戻されて、初めて成功や」


「うん。最後まで確かめる」


 届いた塩は、すぐには配られなかった。


 傷みやすい食材を漬ける分。

 病人の食事へ使う分。

 炊き出しへ回す分。

 次の荷が遅れたときの備え。

 四つに分け、別々の木札を付ける。


 茶太郎は、その日の炊き出しに蕪と干し茸の汁を作った。

 塩を多く入れず、一つまみずつ加えて味を見る。

 味噌の香りと蕪の甘みが、わずかな塩でゆっくり引き立っていく。


 《水霊ひとつまみ汁》。


 椀を受け取った馬借の頭は、一口すすって目を丸くした。


「塩が少ないのに、薄うない」


「足りないからって、何でも減らせばいいわけじゃない。どこに使えば一番届くか、考えるんだ」


 茶丸が椀の横で鼻を鳴らした。


「……ニャ」


 その夜、山崎から一人の老船頭が救恤蔵を訪れた。

 男は《山崎合せ通り札》の裏を見つめている。

 そこには、試しに水叟が刻んだ二本の葦と流れの印があった。


「この印……まだ残っとったんか」


 老船頭は震える指で、印の溝をなぞった。


「昔、淀の流れを守った御方が使うておられた。荷を奪うためやない。戦が起きても、食い物を通すための印やった」


 宗白が問いかける。


「その御方の名は?」


 老船頭は周囲を見回し、声を落とした。


「死んだと聞かされた。せやけどな——」


 蔵の屋根で、白灯が鋭く鳴いた。


「にゃあっ!」


 暗がりの向こうで、話を聞いていた何者かが走り去る。

 弥七が追おうとしたが、茶丸は反対側の道を見据えた。


 逃げた足音は一つ。

 しかし、蔵を見張る気配は——もう一つ残っていた。


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『茶太郎がゆく』
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