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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
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第208話 「二つの命令書と、兵糧にしない米」

 ――数を隠さず、命を守るために伏せる――


 《下京預かり救恤蔵》の前で、二人の使者が向かい合っていた。


 一人は室町幕府の奉行人。

 もう一人は細川晴元方から来た三好長逸みよし・ながやす


 二人が持つ命令書には、よく似た文言が記されていた。


 下京。

 伏見。

 水月庵。

 各所に蓄えられた米、味噌、乾物、薪の総数と保管場所を提出せよ——。


「政所として、京周辺の備えを把握する必要がある」


 幕府の奉行人が言う。

 長逸も続ける。


「晴元様の軍勢も、この地を守る責を負う。兵が飢えれば、かえって町へ負担を掛けることになる」


 墨屋宗白すみや・そうはくは、救恤蔵の扉を背にした。


「つまり、いざとなれば、この米を兵糧へ回すおつもりか」


「必要があればな」


 奉行人は否定しなかった。

 蔵の前へ集まった町人たちがざわめく。


「やっぱり、お上へ数なんぞ教えるべきやない!」


「伏見の蔵を隠せ!」


「水月庵の帳面を燃やしたらええ!」


「燃やしたらだめ!」


 茶太郎の声が響いた。

 誰もが六歳の子を見た。


「帳面を消したら、ぼくらも何がどこにあるか分からなくなります。雨で米が濡れても、盗まれても、気づけません」


「では、全て差し出せと言うのか?」


 宗白が尋ねる。


「数は確かめてもらう。でも、何のために残している米かも、一緒に書いてもらいます」


 茶太郎は、水月庵で作った三つの備蓄帳を広げた。


 食べるための米。

 病人と幼児へ回す米。

 種籾。

 急な火災や水害に備える米。

 売買や交換へ回せる余り。


 同じ一俵でも、役目が違う。


 幕府の奉行人が眉を寄せた。


「米は米であろう」


「今日食べる米と、春に蒔く種籾を同じにしたら、来年の米がなくなります」


 長逸は帳面を覗き込んだ。


「茶太郎。救恤に必要な量は、誰が決める?」


 茶太郎は答えに詰まった。

 自分一人で決めれば、それもまた力の独占になる。


「町組と、炊事場と、医師と、実際に荷を運ぶ人で数えます。ぼく一人では決めません」


 宗白が頷く。


「下京に何人おるか。病人と幼子が何人か。一日に炊ける量はどれほどか。毎日、変わるからな」


 そこへ、お寅婆おとらばばが駆けてきた。


「話の途中ですまんけど、米を出しておくれ。焼け跡の仮小屋で、乳の出えへん母親が倒れた」


 救恤蔵の扉には、寺、商人、町組を示す三本の封がある。

 しかし寺の立会人は、まだ来ていない。


「三者が揃うまで、蔵は開けられぬ」


 奉行人が言う。


「待っとる間に、子が腹空かすわ」


 お寅婆が睨み返す。

 三つの封は、不正を防ぐために作った。

 だが、守りを固くしすぎたため、急いで助ける道まで塞いでいた。


「決まりを直そう」


 茶太郎は、蔵の横にある小箱を指した。


「病人や赤ちゃんへ急いで出す分だけ、別にします。小箱なら二人の立ち会いで開けられるようにする。その代わり、使った量と理由を、三冊全部へ後から書く」


「勝手に救急と称して持ち出す者が出たら?」


 長逸が問う。


「一人では開けられないようにします。あとで三者が確かめる。嘘があれば、次から立会人になれません」


 宗白が新しい青紐を取り出した。


 町組と炊事場。

 あるいは寺と町組。

 異なる立場の二人が揃えば、救急箱を開けられる。

 大蔵の三つの封は、そのまま残す。


 お寅婆は米を受け取ると、奉行人へ言った。


「これは兵を養う米やない。今から、母子を生かす米になる」


 奉行人は、返す言葉を失った。

 話し合いは夕刻まで続いた。

 最終的に、備蓄の総数は双方へ示すことになった。


 ただし、細かな保管場所は三つに分けて封書へ記し、一人の権力者が全てを知ることは避ける。


 救恤、種籾、病人用として印を付けた分は、兵糧として徴発しない。

 交換に回せる余剰が出た場合だけ、町組、寺、商人、荷運び人の合議で貸し出す。

 幕府方と晴元方は、その保証人になる。


「我らが保証するだと?」


 奉行人が不満を示す。

 宗白は冷静に返した。


「米数を知るなら、守る責も負うてもらう」


 長逸が先に、保証状へ名を書いた。


「三好方は認める。救恤米へ手を出した兵は、こちらで罰する」


 奉行人は長逸を睨んだ。


「三好だけが民を守る顔をするつもりか」


 そう言って、幕府の封判も押した。


 二つの勢力が仲良くなったわけではない。

 互いに相手だけが信用を得ることを嫌い、同じ保証状へ名を連ねたのだ。

 理由はどうであれ、救恤米を守る二つの盾ができた。


 茶太郎は、二人へ同じ椀の粥を差し出した。


 大蔵から出した米ではない。

 救急箱から母子へ届けた残りに、刻んだ蕪の葉と味噌を加えたものだ。


 長逸が一口すすり、奉行人も遅れて椀を取る。


「同じ鍋でも、我らの考えは同じにはならぬぞ」


「同じじゃなくていいです」


 茶太郎は答えた。


「でも、守る米まで取り合わないって約束は、一緒にできます」


 日が沈む頃、二通の命令書は一枚の保証状へ変わった。

 その直後、救恤蔵の外から甲高い声が上がった。


「塩が届かへん!」


 伏見から来た荷運び人が、空の塩樽を転がした。


「山崎へ向かう道で、荷が止められとる。米があっても、このままでは漬物も味噌の仕込みも続かん!」


 米蔵を守った次に止まったのは、命を支える塩の流れだった。


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『茶太郎がゆく』
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