第202話 「泥まみれの古布と、水叟の雨覆い」
――着物に戻れなくても、荷を守る布にはなれる――
柳生から持ち帰った古布を見て、千代は顔をしかめた。
「これ、ほんまに使えるん?」
《伏見水輪・繕い所》の庭には、泥を吸った雨覆いが広げられていた。
破れた麻布。
擦り切れた縄。
虫に食われた絹布。
油の染みた端切れ。
どれも、元の持ち主が捨てようとした物ばかりだ。
「全部は使えへん」
布を扱う職人のお律が、はっきりと言った。
「濡れて腐った布、病人が使ったままの布、何の油か分からん布は、他と分ける。洗う前から一緒にしたら、使える布まであかんようになる」
茶太郎たちは、古布を状態ごとに分けた。
まだ織り目が残る麻布は、継ぎ布へ。
細長く裂けた布は、結び紐へ。
短くなった繊維は、荷の隙間を埋める詰め物へ。
絹は麻と混ぜず、別の籠へ。
正体の分からない染みや、異臭のある布には、触れるなという斜め印を付けた。
六助が、泥の塊になった布を持ち上げようとする。
「これは洗えば——」
「素手で触ったらあかん」
千代が止めた。
大人が木鋏でつまみ、洗える物だけを水へ入れる。
煮沸と熱湯を扱うのも大人たちだ。洗った布はよくすすぎ、日と風へ当てて、芯まで乾かした。
白灯は干し場の下へ潜ろうとして、茶丸に首根っこを押さえられた。
「にゃっ」
「……ニャッ」
——乾くまでは仕事場へ入るな。
数日後、最初の雨覆い作りが始まった。
使える部分を四角く切り、破れた場所へ当てる。縫い目をそろえ、二枚の麻布を重ねた。
茶太郎は、完成した布へ柄杓で水を掛けた。
「いくよ」
ざあっ。
水は布の表面を流れたが、縫い目から細い筋になって裏へ染み出した。
六助が下へ置いた木箱を覗く。
「濡れた!」
「布を重ねただけでは、縫い穴から水が入るんやな」
千代が漏れた場所へ炭で印を付ける。
茶太郎は肩を落としかけたが、柳生宗厳の言葉を思い出した。
勝った型より、崩れた足を見る。
「縫い目を上から下まで一直線にしたのが悪かったのかも」
お律は布を屋根瓦のように重ね直した。
上の布が下の布へかぶさる向きにし、雨が縫い目へ直接当たりにくい形へ変える。
さらに、渋柿から取った柿渋を薄く塗った。
「一度塗っただけでは使えへん。塗って、乾かして、また塗る。急いだら中に湿りが残る」
友照が鼻を押さえた。
「変わった匂いやな……」
「乾けば少し落ち着くよ」
すぐに十枚作ることはできない。
一枚ずつ塗り、乾いた日を帳面へ書き、折り曲げても割れないか確かめた。
二度目の水掛けでは、縫い目から数滴が落ちた。
三度目には、水が表面を玉のように滑った。
完全に水を通さないわけではない。
長雨にさらせば染みる。
だが、短い雨から俵や薬箱を守るには十分だった。
《水輪繕い雨覆》。
茶太郎たちは、布の端へ水輪と用途を示す荷箱の印を付けた。
「着物として売ったらあかん」
千代が帳面へ書く。
「新品の布とも言うたらあかん。短い雨から荷を守る、繕い物や」
その日の夕刻、伊平じいさんが一人の寺男を連れてきた。
灰色の衣。
日に焼けた顔。
髪を落とした頭。
年は分かりにくいが、立ち姿には寺男らしくない静かな緊張があった。
「茶太郎、この人は水叟さんや」
伊平じいさんが紹介した。
「恵心院の奥にある水月庵で、寺の雑事をしとる」
水叟は完成した雨覆いを裏返し、縫い目と布の重なりを確かめた。
「古布を、新しい布と偽ってはいないのだな」
「はい。できることと、できないことを札に書きました」
「それがよい」
水叟の指には、太い刀を長く握った者のような硬い痕があった。
だが茶太郎は、それを鍬や薪割りでできたものだと思った。
水叟は雨覆いを二枚求めた。
「水月庵では、米と薬を一か所に置かぬようにしている。火が出ても、道が塞がれても、全てを失わぬためだ」
茶太郎は首を傾げた。
「分けたら、見張る場所が増えませんか?」
「増える。運ぶ手間も増える」
「じゃあ、どうして?」
「一つを守ることと、全てを一つに集めることは違うからだ」
水叟は代金を置き、古布の雨覆いを背負った。
伊平じいさんが茶太郎を見る。
「一度、水月庵へ来てみるか? 繕い所で作った物が、ほんまに山で役立つか確かめたらええ」
「行きたい」
茶太郎が答えると、水叟はほんのわずかに目を細めた。
「では、荷を一つ任せよう。ただし、山では料理より先に、帰り道を覚えてもらう」
その言葉の意味を、茶太郎はまだ知らなかった。
水叟がかつて、一つの城と、帰る場所の全てを失いかけた男であることも。




