第198話 「伏見水輪・繕い所と、薄墨色の宿紙」
――元の白さへ戻らなくても、次の言葉を運べる――
伏見の共同炊事場の隣に、空き小屋が一つあった。
屋根は傾き、戸板も半分外れている。以前は酒樽を置く倉だったが、今は割れた木箱や古道具の置き場になっていた。
甚八が、傾いた柱を叩く。
「仕事場にするなら、まず建物から繕わなあかん」
大工が柱へ添え木を当て、甚八が古い鎹を打ち直す。
子どもたちは外へ品物を運び出し、地面に敷いた筵の上へ並べた。
金物。
古布と縄。
紙。
木片。
竈から出た灰。
茶太郎は木札へ、水輪の印を描いた。
その下に、千代が名前を書き入れる。
《伏見水輪・繕い所》。
「ここは、ごみ捨て場やない」
千代が六助と小春へ言った。
「次の役目があるか、調べる場所や」
六助は胸を張った。
「ほな俺、何でも拾ってくる!」
「何でも持ってきたらあかん」
甚八に止められた。
「正体の分からん粉、薬の残り、油にまみれた布、便所や病人部屋から出た物は別や。拾う前に大人へ知らせるんや」
影猫衆も、勝手に回収はしない。
白灯と虎吉は町を巡り、捨てられた物の場所を見つける。危険があれば鳴いて人を呼び、判断は町組と職人へ返す。
茶丸が小屋の入口へ座った。
「……ニャッ」
——見つけることと、触れてよいことは別だ。
最初に扱うのは古紙と決まった。
柳生の里へ送る薬に、包み紙と荷札が必要だったからだ。
集まった紙には、破れた帳面、書き損じた手紙、古い商い札が混ざっている。
千代が一枚を拾い、顔を曇らせた。
「人の名前が書いてある」
墨屋宗白が紙を受け取り、厳しい目で確かめた。
「古紙になったからいうて、書かれた秘密まで捨ててええわけやない」
代金、借り、家族の名、荷の行き先。
読まれれば困る記録もある。
そこで古紙は、持ち主か町組の立ち会いで確認することになった。残す帳面は返し、再生する紙は文字が読めなくなるまで水へ浸す。
千代が記録。
六助が紐や木片を取り除く。
小春が、油染みや異臭のある紙を大人へ知らせる。
茶太郎は、用途ごとの印を決めた。
赤い丸は再生不可。
青い波は荷札用。
緑の葉は薬包みの外側に使える、汚れの少ない紙。
「ぼく、字は全部読めへんけど、印なら分かる!」
六助が青い波の籠へ紙を入れた。
選別された古紙は細かく裂き、水へ浸した。
煮る作業と熱湯を扱うのは大人たちである。柔らかくなった紙を木槌で叩き、繊維をほぐす。
だが、最初の紙漉きは失敗した。
水を切ろうと持ち上げた途端、紙の真ん中に穴が開いたのだ。
「ああっ!」
六助が声を上げる。
茶太郎も、崩れた紙を見つめた。
「繊維が短すぎたのかな……」
紙漉き職人が指先で確かめた。
「古紙だけやと弱い。まだ長い繊維を少し混ぜよう」
使えなくなった麻縄のうち、汚れのない部分をほぐし、少量だけ加える。漉き簀を急に持ち上げず、水の中でゆっくり揺らして厚みを整えた。
二度目は端が薄くなった。
三度目で、ようやく一枚の紙になった。
真っ白ではない。
古い墨が混じり、淡い灰色をしている。
小春が首を傾げた。
「汚い紙……?」
宗白は乾いた一枚を光へかざした。
「違う。これは、前の言葉を潰して隠し、次の言葉を受ける色や」
茶太郎は水輪の印を押した。
「《水輪宿紙》にしよう。旅を終えた紙が、新しい言葉を泊める紙」
完成した宿紙は、薬へ直接触れさせなかった。
正丸は清潔な内包みで守り、その外側を宿紙で包む。荷札にも同じ紙を使い、薬の種類、数、届け先を記した。
新しい紙の使用量は、これまでの半分ほどで済んだ。
売り物にはしない。
まずは共同炊事場、診療所、使番の荷札に限って試すことになった。
大和へ向かう使番が、《水霊駆け蜜》と薬包みを背負う。
友照が蜜の包みを確かめ、千代が宿紙の荷札を二度読み上げた。
「柳生の里。正丸十二包。飲ませる前に、土地の医師へ見せること」
茶太郎は頷いた。
「薬だけで治そうとしないで。水、食事、休む場所も確かめてもらって」
使番は深く頭を下げ、南へ走り出した。
その日の夕刻、戻ってきたアオバトのシオが、新しい文を運んできた。
『薬は届いた。だが橋を直す鎹が足りない』
甚八は、繕い所に積まれた金物を見た。
折れた釘。
欠けた鍋。
曲がった農具。
正体の分からない白い金属。
「次は金物や」
そう言いながらも、甚八はすぐに炉へ入れなかった。
「せやけど、混ぜたまま溶かしたらあかん。中には毒になる鉛もある。まず、何の金か見分けるところからや」
茶太郎は薄墨色の宿紙へ、新しい課題を書き加えた。
物を救うには、急いで作り替える前に——その物が何であったのかを知る必要があった。




