第197話 「水霊駆け蜜と、捨てられた包み」
――足りないなら、残された役目を探せばいい――
翌朝、伏見の共同炊事場には、蒸した米と砕いた麦芽が並べられた。
茶太郎が作ろうとしているのは、蜂蜜だけの飴ではない。
穀物から作る水飴へ、高山友照の蜂蜜を少し加えた、使番のための携帯甘味だった。
友照は蜜壺へ赤い紐を巻いた。
「蜂蜜は、ここまでや。それより下は蜂が冬を越す分やから、使わへん」
「うん。甘さの土台は穀物で作ろう」
蒸した米と麦芽を混ぜ、布で包んで竈の近くへ置く。
火と熱い鍋を扱うのは、お律たち大人の役目だ。茶太郎たちは小石を移しながら時を計った。
やがて米から、淡い甘い香りが立った。
甘い汁を布で濾し、お律が弱火で煮詰める。最後に蜂蜜と、ほんの少しの塩を加えると、琥珀色の水飴が糸を引いた。
「できた!」
最初の水飴は細い竹筒へ詰めた。
ところが、試しに使番役を務めた弥七が炊事場の周囲を一巡すると、腰紐まで水飴でべたべたになっていた。
「茶太郎。甘い匂いを残しながら走るんは、隠密には向かへんな」
白灯が鼻を寄せる。
「にゃ……」
「舐めたらあかん」
弥七が竹筒を持ち上げると、子どもたちの間に笑いが起こった。
茶太郎は肩を落とした。
「失敗だ……」
「蜂蜜の失敗やない」
友照が言った。
「入れ物と柔らかさが合わへんかっただけや」
千代も漏れた跡を調べる。
「走るたびに揺れて、栓へ集まったんや。もう少し固うして、一回分ずつ包んだらええ」
問題は、包む物だった。
新しい紙は高い。笹の葉にも季節と採れる量がある。
炊事場の隅には、破れた米袋、擦り切れた麻布、使い終えた縄が積まれていた。
「これは、もう捨てる物や」
六助が破れた袋を持ち上げる。
「待て」
鍛冶職人の甚八が、その手を止めた。
「破れたからいうて、全部が同じごみやない」
甚八は山を四つに分けた。
洗えば使える麻布。
火口や釜敷きに回せる短い繊維。
結び直せる縄。
泥や油が染み込み、火へ近づけてはいけない物。
「溶かしたら元どおり、ちゅう都合のええ話はない。繊維は使うほど短うなる。せやけど、着物に戻らん布でも、包みや当て布にはなれる」
茶太郎は、洗って煮沸し、日に干してあった古い麻布を手に取った。
「同じ物に戻さなくても、別の役目を見つければいいんだね」
「せや。それが繕ういうことや」
二度目の水飴は少し固く煮詰め、冷ましてから小分けにした。炒った米粉をまぶし、清潔な古麻布を小さく切って包む。
直接飴へ触れる内側には、煮沸した笹の葉を使った。外側を古布で守ることで、笹の使用量を減らし、腰へ結んでも破れにくくした。
友照が蜂の印。
千代が水の印。
六助が一粒を表す丸印。
文字を読めない者にも、中身と量が伝わる。
料理名は——
《水霊駆け蜜》。
茶太郎は使い方にも決まりをつけた。
「これだけ食べて走り続けたらだめ。まず日陰で休む。白湯か、沸かして冷ました水と一緒に取る。具合が悪い人は、走らせない」
「速う走るための飴やないのか?」
「倒れずに、知らせを届けるための飴だよ」
短い試験では、包みの強さ、水への溶けやすさ、喉への残り方を確かめた。
一つ目は硬すぎた。
二つ目は笹の匂いが強かった。
三つ目で、口の中でも白湯の中でも、ゆっくりほどける硬さになった。
三好家と幕府方の使番が、同じ数の包みを受け取った。
「こちらが頼んだ品や。三好方へ先に回してもらいたい」
三好の使番が言うと、茶太郎は首を横に振った。
「知らせを届ける人なら、どちらにも必要です。片方だけが速くなったら、もう片方は疑います」
友照も蜜壺を抱いて続けた。
「兵を走らせる蜜やない。言葉を間に合わせる蜜や」
そのとき、アオバトのシオが梁へ舞い降りた。
「アオー……」
脚に結ばれていた文を、弥七が外す。
大和へ続く道で橋が折れ、柳生の里へ運ぶ薬が止まっているという知らせだった。
「薬を包む紙も、雨除けの布も足りへん」
使番が唇を噛む。
茶太郎は炊事場の隅を見た。
割れた木箱。
曲がった金具。
古い帳面。
欠けた器。
擦り切れた布。
昨日までなら、役目を終えた物にしか見えなかった。
けれど今は違う。
「甚八さん。これ、全部分けて調べたい」
「何を作るつもりや?」
「まだ分からない。でも、道を通すために使える物が残ってるかもしれない」
甚八は、刃こぼれした短刀で地面へ一本の線を引いた。
「ほな最初に覚えとけ。金物も布も灰も紙も、一緒くたにするな。混ぜてからでは、救えん物が増える」
茶太郎は線の手前へ、割れた金具を置いた。
千代は古紙を。
六助は縄を。
友照は使い終えた蜜の包みを置いた。
物にも、次の役目がある。
こうして伏見に、捨てる前に立ち止まるための場所——
《伏見水輪・繕い所》を作る計画が動き始めた。




