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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
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第196話 「友照の蜂分かれと、水霊初蜜の蜂蜜湯」

 ――離れていくものに、新しい居場所を――


 伏見の共同炊事場へ、高山友照たかやま・ともてるが駆け込んできたのは、石井の御香水を神前へ返した翌朝だった。


 まだ七歳の友照は、息を切らしながら叫んだ。


「茶太郎、大変や! 蜂が逃げてまう!」


 摂津から運んできた巣箱の周りを、日本蜜蜂の群れが激しく飛び交っていた。


 ぶうん、ぶうん——。


 黒い雲のような蜂の群れに、六助と小春が炊事場の陰へ隠れる。

 白灯あかりも毛を逆立てた。


「にゃっ……!」


 友照は巣箱の入口へ布を詰めようとした。


「出られへんようにしたら——」


「塞いじゃだめ!」


 茶太郎の声に、友照の手が止まった。


「蜂は逃げるんじゃない。家族が増えたから、分かれて新しい家を探してるんだと思う」


「分かれて……?」


「うん。“蜂分かれ”だよ」


 茶太郎には、前世で知った養蜂の記憶があった。

 けれど、蜂を捕まえる技術も、巣箱を扱った経験もない。知っていることと、できることは違う。

 茶太郎は近くの養蜂に慣れた老人を呼び、子どもたちを巣箱から離れさせた。


「友照も、ここから見よう。刺されるかもしれないから、近づくのは大人に任せよう」


「……俺の蜂やのに」


「だからこそ、無理をしないで守るんだよ」


 やがて蜂の群れは、庭の低い枝へ集まり、大きな塊になった。

 老人は煙を乱用せず、蜂の動きが落ち着くのを待った。その間に、乾いた丸太をくり抜いた新しい巣箱を用意する。


 雨の当たらない場所。

 朝日が差し、昼には陰になる場所。

 風で揺れず、地面の湿りが上がりにくい台。

 内側には、古い蜜蝋の香りをわずかに移した。


 茶太郎が場所を確かめ、友照が最後の候補を選んだ。


「ここや。元の巣箱も見えるし、風も強うない」


 老人が枝ごと蜂の群れを受け止め、新しい巣箱へ静かに移す。

 誰も声を上げなかった。

 小さな命が、新しい家へ入っていく。


 その光景を見つめる友照の拳は、固く握られていた。


「……俺が嫌で、出ていったんやないんやな」


「うん。友照が育てたから、家族が増えたんだよ」


 友照は答えなかった。

 ただ、新しい巣箱の前へ小さな水皿を置いた。

 言葉ではなく、その所作が、離れていく蜂を新しい家族として認めていた。


 夕方、二つの巣箱には、それぞれ蜂が出入りしていた。

 友照が蜜を採ろうとすると、茶太郎は首を横に振った。


「新しい巣の蜜は残そう。これから巣を作って、冬を越すために必要だから」


「売らへんのか?」


「蜂が生きられなくなったら、来年の蜜もないよ」


 友照はしばらく考え、古い巣から採ってあった蜜壺を抱え直した。


「ほな、今日は一匙だけや。残りは蜂と、次の季節の分」


「うん。それがいい」


 茶太郎は沸かして少し冷ました白湯へ、蜂蜜を一匙だけ溶かした。

 甘い香りが、疲れた子どもたちを包む。


 料理名は——

 《水霊初蜜すいれいはつみつの蜂蜜湯》。


 六助が一口飲み、目を丸くした。


「甘い……けど、喉にべたべた残らへん」


 小春も両手で椀を包んだ。


「あったかい」


 友照は最後に口をつけた。


「蜂が作った味や」


「友照が守った味でもあるよ」


 今度こそ、友照は照れくさそうに笑った。

 そのとき、炊事場の外で馬が止まった。

 三好家の使番が、汗に濡れた姿で転がり込んでくる。


「水を……頼む。槙島から伏見まで走り通しや……」


 茶太郎はすぐに日陰へ案内し、白湯と蜂蜜湯を少しずつ飲ませた。

 使番は息を整えてから、蜜壺を見た。


「これを……道中へ持っていけへんか。暑い日の使いには助かる」


 友照は蜜壺を胸へ抱いた。


「蜂蜜を全部、使番へ渡すんはあかん。蜂の冬の分がなくなる」


 茶太郎も頷いた。


「蜂蜜だけでは数を作れないよ。でも、穀物の水飴に少し混ぜれば……」


「水飴?」


「走る人が、少しずつ白湯へ溶かせる形にできるかもしれない」


 使番の目に、期待が戻った。

 友照は二つの巣箱を見比べ、ゆっくりと蜜壺を差し出した。


「試す分だけや。蜂の暮らしを削らへん約束なら、俺も手伝う」


「約束する」


 茶太郎と友照は、蜜壺を挟んで指を重ねた。


 新しい家を得た蜂。

 役目を得ようとする甘い一匙。


 その小さな縁がやがて、戦場ではなく、人の言葉を一刻も早く届ける道を走り始めることを——二人はまだ知らなかった。

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『茶太郎がゆく』
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