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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
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第193話 「断った注文と、教える側の初仕事」

 ――たくさん作る前に、同じ味を作れる人を増やす――


 伏見共同台所に届いた注文は、試作した甘酒の十倍を超えていた。


 幕府御膳所へ三桶。

 三好家へ三桶。

 六角方の大津の館へ二桶。

 下京町組へ二桶。


「これだけ売れれば、蔵の修繕費がすぐ出る」


 役人は大桶を用意させようとしたが、千代ちよがその前に立った。


「大きい桶では作らへん」


「また断るのか」


「同じ味になるか、まだ分からへん」


 茶太郎も隣でうなずいた。


「注文を受けてから失敗したら、もっと困るよ」


 そこで十桶を一度に作るのではなく、二桶ずつ、五回に分けることになった。

 同時に、茶太郎と千代だけが作れる状態も変える。

 二人が病気になれば、その日から甘酒は作れなくなるからだ。


 教わる大人として、伏見町組から一人の女が選ばれた。

 名は、おりつ

 かつて麹屋で働いていたが、大火の後は洗濯や飯炊きで生計を立てていた。


 お律は千代の顔を見て、しばらく動かなかった。


「その米のほぐし方……お母さんに習うたんか」


 千代の目が鋭くなる。


「知ってるん?」


「同じ市で麹を売ってた。生きてるとは知らんかった」


 お律は抱きしめようとしなかった。

 ただ、床へ両手をついて頭を下げた。


「今まで見つけられんで、すまん」


 千代は返事をしなかった。

 代わりに、麹の鉢を差し出す。


「触って。熱すぎへんか言うて」


 それが、千代なりの返事だった。


 細川家からも、若い台所人が一人送られてきた。

 茶太郎がすべての家へ通わず、各家の料理人が伏見で学ぶという約束によるものだ。


 最初の仕事は、甘酒を作ることではなかった。


 水を汲む。

 桶を洗う。

 布を煮て乾かす。

 蒸米の量を木札へ刻む。

 失敗した桶と成功した桶を、決して混ぜない。


「もっと秘伝らしいことを教えるのではないのか」


 若い台所人が不満を漏らす。

 千代は鼻を鳴らした。


「汚い布で包んだら、どんな秘伝も酸っぱなる」


 茶太郎も坪内石斎の言葉を思い出す。


「料理は、作り始める前から始まってるんだよ」


 数日後、最初の二桶を仕込んだ。


 一桶は茶太郎と千代。

 もう一桶は、お律と細川家の台所人が担当する。


 米、麹、白湯の量は同じ。

 包む藁も、置く場所も同じにした。


 翌朝。


 茶太郎たちの桶は、いつもの甘さになった。

 だが、もう一方は米粒が固く、甘味が弱い。


「水の量は同じや」


 六助ろくすけが木札を確かめる。

 お律が蒸米へ触れ、原因を見つけた。


「混ぜ方や。底の米まで麹が回ってへん」


 失敗した桶を、成功品へ混ぜて薄めることはしない。

 今回は身内の賄いとして、火を通して粥に使う。


 担当した二人は、次の仕込みで米を小分けにし、底から返す回数をそろえた。

 二度目は、二桶ともほぼ同じ甘さになった。


「ぼくらがいなくても、作れたね」


 茶太郎が喜ぶと、千代は首を振る。


「一回できただけや。三回続いたら、任せる」


 三回目。

 四回目。

 五回目。

 途中で一桶を捨てたが、六桶までなら味を大きく崩さず作れるようになった。


 注文は半分だけ受け、残りは次の仕込み日まで待ってもらう。

 急ぐ者には、ほかの麹屋を紹介した。

 伏見共同台所だけが仕事を独占しないためだった。


 売上は小夜の帳面で分けられた。

 米と薪の代金。

 桶や布の修繕費。

 大人の賃金。

 子どもたちの手伝い分。

 共同炊事に残す分。


 千代には麹を見る仕事。

 六助には材料札を数える仕事。

 小春こはるには組紐を結ぶ仕事。


 残る子どもたちにも、年齢と得意に合わせた軽い役目が与えられた。

 働かない時間まで、蔵に住む代金として差し引かれることはない。

 学ぶ時間と遊ぶ時間も、帳面には仕事と分けて記された。


 やがて《伏見水輪の甘酒》が、初めて四方へ出荷された。


 荷札には、作った桶、仕込んだ日、担当した者の結び印が付いている。

 幕府からも三好家からも、味はよいとの返事が届いた。

 千代は喜ぶ代わりに、次の桶の布を確かめていた。


「浮かれるんは、三十桶続いてからや」


「三十桶できたら?」


「百桶続いてから」


「ずっと浮かれられないね……」


 二人の会話に、蔵中が笑った。


 その日の夕方。

 初めての賃金が、子どもたちへ支払われた。

 六助は銭を握り、伏見の市へ草履を買いに行く。


 だが、すぐに戻ってきた。


「これ、銭やないって言われた」


 掌には、薄く欠けた銅銭が三枚。

 文字は潰れ、縁も不ぞろいだった。

 同じ働きをしたのに、千代の銭は使え、六助の銭は店で拒まれた。


 小夜が支払箱を調べると、良い銭と悪い銭が混ざっている。

 誰かが故意に混ぜたとは、まだ分からない。

 そもそも、同じ一文として渡された銭が、同じ価値ではなかった。


 甘酒の味をそろえた共同台所は、次に「銭の味」の違いと向き合うことになった。

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『茶太郎がゆく』
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