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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
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第191話 「四者の茶会と、誰の隣にも座らない料理人」

 ――中立とは、誰からも離れることではない――


 宇治の朝霧が晴れ始める頃。


 森彦右衛門もり・ひこえもんの茶屋へ、四つの家から使者が到着した。


 幕府。

 細川。

 三好。

 六角。


 兵を率いてはならないという約束だったが、茶屋の外には、それぞれの護衛が距離を置いて控えている。

 細川晴元ほそかわ・はるもとは、座敷へ入るなり茶太郎を見た。


「三好長慶の隣へ座らせぬ、という条件は伝わっておるな」


「聞きました」


 茶太郎は答えた。


 三好長慶みよし・ながよしは何も言わず、定められた席へ座っている。

 十五歳の若さながら、その表情から感情は読み取れない。


「どこへ座る」


 六角定頼ろっかく・さだよりが面白そうに尋ねた。


「座りません。ぼくは台所にいます」


 晴元が眉を寄せる。


「逃げるのか」


「料理を出す人が、誰か一人の隣にずっといたら、ほかの人の椀が見えなくなるから」


 茶太郎は、細川の隣にも、三好の隣にも座らない。

 だが、どちらからも離れた場所へ逃げるわけではない。

 全員の膳が見える配膳口に立つ。

 それが料理人として選んだ位置だった。


「小僧を旗印に使うつもりはない」


 長慶が静かに言った。


「ならば、幕府と三好、双方の木札を持たせているのはなぜだ」


「学ぶためです」


 茶太郎は腰の二枚の札を示した。


 《出汁場見習》。


 《幕府御膳見習》。


「どっちが偉いか決める札じゃないよ。違う台所で、違うやり方を覚える札です」


 森彦右衛門が杖で床を一度叩いた。


「茶を飲む前から、童を取り合うでない。今日の主は、わしの茶と宇治の水や」


 その一言で、座敷にわずかな笑いが生まれた。


 茶会が始まる。

 彦右衛門が点てた薄茶を、幕府の使者、晴元、長慶、定頼が順に受け取る。

 同じ茶葉でも、茶碗の持ち方も、飲む速さも違う。


 茶太郎はその間に、台所で椀を仕上げた。

 昆布と干し椎茸の澄んだ出汁。

 柔らかく煮た宇治の蕪。

 崩れにくいよう水を切った豆腐。

 仕上げに、ごく少量の白味噌を溶く。


 豪華な魚も鳥も使わない。

 誰の力を誇る膳でもなく、話を続けるための一椀だった。


 《水霊四座すいれいしざの白味噌椀》。


 四つの椀は、同じ温度、同じ量で運ばれた。


 話し合いの争点は、すぐに明らかになった。

 共同輸送の荷札へ、誰の印を最上位に置くか。


 幕府の使者は、将軍家の印を求めた。

 晴元は、京の政を預かる細川家の印が必要だと主張する。

 六角定頼は、近江の船と道を使う以上、六角家の承認を外せないと言う。

 三好方の印を増やせば、三好が京の物流を握ると疑われる。


 どの家も、他家の印の下へ置かれることを拒んだ。


「また、誰が一番かで止まってる……」


 茶太郎が呟く。


 坪内石斎に教えられた、出汁場の守りを思い出す。

 白い紐と青い紐に、上下はない。

 役目が違うから、区別しているだけだ。


「印を重ねなければいいんじゃない?」


 晴元が茶太郎を見る。


「口を挟むなら、意味を申せ」


「上と下に並べるから、一番を決めないといけないんだよ。荷札の端に、それぞれ同じ大きさで押したら?」


「将軍家の印を、馬借や町組と同列に置けと言うか」


 幕府の使者の声が硬くなる。

 茶太郎はひるみながらも首を振った。


「身分が同じってことじゃないよ。荷物を確かめる時の役目が、どれも欠けたら困るってこと」


 身分の序列と、仕事の確認を分ける。

 礼法の席では、将軍家を上位とする。

 しかし荷札では、誰が送り、誰が運び、誰が受け取ったかを示すため、印を横へ並べる。


 長慶が最初に同意した。


「三好の印も、上へ置かなくてよい」


 晴元が鋭い目を向ける。


「欲がないふりか」


「一つの家が最上位の印を持てば、その家が荷を止めた時、すべてが止まります」


「そなたが、その一つの家になりたいのではないか」


「なれば、次に疑われるのは私です」


 長慶は逃げずに答えた。

 六角定頼が白味噌椀を置く。


「ならば、一家の蔵へ集めることも避けるべきだな」


 そこで小夜が、伏見の地図を広げた。


 宇治からの茶と米。

 近江からの魚や乾物。

 大坂・堺方面からの塩や品物。

 京へ向かう川船と陸路が交わる場所に、使われなくなった酒蔵がある。


「ここを共同の荷改め所と炊事場にする案があります」


 蔵は幕府、細川、三好、六角のどの家にも単独で属させない。

 町組、船頭、馬借、産地の者も帳面を確かめる。

 備蓄は飢饉や火災時の炊き出しに使い、兵糧へ回す時は全員の記録を残す。

 初めから大きく始めず、米十俵、味噌二桶、薪二十束だけで試す。


「失敗したら?」


 晴元が問う。


「閉じます」


 小夜は即答した。


「誰か一人が勝手に使った時も、止めます」


 長い沈黙の後、晴元は荷札の端へ細川家の印を押した。


「三月だけだ」


 幕府の使者、長慶、定頼も続く。


 和睦ではない。

 互いを信じ切ったわけでもない。

 それでも四者は、同じ試みが失敗するかどうかを見届けることになった。


 茶会が終わると、晴元が茶太郎を呼び止めた。


「細川の台所へも来い」


「行けません」


 即答に、座敷が静まる。


「三好と幕府へ通って、秘密基地の料理も作ってる。これ以上増やしたら、どこかで失敗します」


「この私の誘いを断るか」


「料理人を一人ください。その人に、ぼくが知っている出汁を伝えます」


 茶太郎がすべての台所へ通う必要はない。

 技を抱え込まず、それぞれの料理人が育てばよい。

 晴元は不機嫌そうに見えたが、やがて一人の若い庖丁人を差し出した。


「三月で覚えさせよ」


「ぼくも教える練習をします」


 こうして四者会談は終わった。


 翌日、茶太郎たちは伏見の古い酒蔵を訪れた。

 扉は壊れ、庭には草が伸びている。

 だが、中から子どもの声がした。


「入ってくるな!」


 六人ほどの孤児が、棒を手に蔵を守っていた。

 その中央には、茶太郎と同じくらいの少女が立っている。

 少女が抱えていたのは、食べ物ではない。

 布に包まれ、今もかすかに温かい一鉢の米麹だった。


「この麹は、うちらのや」


 少女は茶太郎を睨んだ。


「偉い人らの蔵にするなら、絶対に渡さへん」


 伏見共同台所の最初の相手は、大名でも商人でもなかった。

 行き場を失い、発酵の火だけを守ってきた子どもたちだった。

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『茶太郎がゆく』
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