第190話 「六角定頼の問いと、答えない料理人」
――知らないことを、誰かの望む答えに変えない――
茶太郎が招かれたのは、近江の大津にある六角方の館だった。
同行したのは弥七と日野小夜。
茶丸たち影猫衆は姿を隠し、屋根と庭から周囲を見張っている。
六角定頼は、上段から茶太郎を見下ろしていた。
「三艘の船を見つけたそうだな」
「見つけたのは、蒼と堅田のみんなです。ぼくは船に乗せてもらっただけです」
「近江の大鯰を従えているとも聞く」
「従えてないよ。うじまるのお父さんです」
定頼の家臣が眉をひそめたが、定頼自身はわずかに笑った。
「噂とは、話半分に聞くものらしい」
だが、次の問いから声が変わった。
「幕府と三好が、宇治から下京まで共同で荷を運び始めた。その道を考えたのは、そなたか」
「みんなで直しました。ぼくが考えたところもあるけど、馬借や町組の人が変えたところの方が多いです」
「その道を使い、三好は兵糧をどれほど京へ入れた?」
「知りません」
六角家臣が口を挟む。
「三好家の台所へ出入りしながら、知らぬはずがあるまい」
「台所で見る米は、食べる人の分です。兵が何人いるかを数えるために見たんじゃない」
「では、幕府の蔵にはどれほど米がある」
「それも言いません」
座敷の空気が張り詰めた。
「知らぬのではなく、言わぬのか」
定頼が尋ねる。
「はい。知っていることでも、勝手に話したら駄目なことがあります」
「三好をかばうか」
「幕府のことも話してません」
茶太郎は膝の上で拳を握った。
怖くないわけではない。
六角定頼は、京の争いへ大きな影響を持つ人物である。
機嫌を損ねれば、近江の船も道も通れなくなるかもしれない。
それでも、相手が喜びそうな答えを想像で作ることはできない。
「ぼくは、長慶さんが何を考えてるか全部は知らない。義晴さまの心も全部は分からない。分からないのに、きっとこうだって言ったら嘘になるよ」
定頼はしばらく黙り、今度は小夜へ視線を向けた。
「では、日野殿。共同輸送について、何なら示せる」
小夜は帳面を一冊差し出した。
「公開を約した記録のみ」
運んだ米と薪の総量。
事故の回数。
馬借へ支払った運び賃。
町組へ引き渡した量。
破損した荷の扱い。
そこに、兵の人数や各家の備蓄量は書かれていない。
「秘密を守るため、すべてを隠すのでもない。疑いを減らすため、見せられる記録は見せる。それが水輪勘定方の決まりです」
定頼は帳面をめくった。
「三好に都合の悪い事故も書かれておるな」
「幕府に都合の悪い遅れも書いてあります」
「誰のための帳面だ」
茶太郎が答えた。
「次に運ぶ人が、同じ失敗をしないための帳面です」
定頼は帳面を閉じた。
「六歳の童を問い詰めれば、何か漏らすと思うたが……料理人とは、存外に口が固い」
「怖くて、ちょっと漏れそうです」
一瞬の沈黙の後、定頼が声を上げて笑った。
張り詰めていた家臣たちも、咳払いをしながら視線をそらす。
「ならば問いは終わりだ。次は料理を見せよ」
館の台所には、堅田から届いた鮒と、近江で採れた蕪が用意されていた。
茶太郎は鮒を自分で捌かない。
六角家の包丁人に鮮度を確認してもらい、火の扱いも大人へ任せる。
塩を振った鮒を焼き、身を丁寧にほぐす。
骨が残っていないか二人で確かめ、柔らかく煮た蕪と麦飯へ少量だけ添えた。
熱い昆布出汁を注ぎ、香りづけに青柑子を一滴。
《水霊近江路の鮒湯漬け》。
定頼は一口食べ、椀の中を見た。
「鮒が主役かと思えば、量は少ないな」
「魚を増やしたら、蕪と出汁の味が消えるから」
「強いものを前へ出せばよいとは限らぬ、か」
「魚が偉くて、蕪が偉くないわけじゃないよ」
定頼の箸が止まる。
その言葉が料理だけを指していないことは、座敷の誰にも分かった。
「三好も、幕府も、六角も、同じ椀へ入れたいと?」
「無理に入れたら、味がけんかするよ」
「では、どうする」
「まず、同じ席で何を食べられるか聞く。料理はその後」
茶太郎は、近衛家の和歌会で学んだことを思い出していた。
同じ味を強いるのではない。
違うままでも、同じ席にいられる余白を作る。
定頼は家臣へ命じ、二通の書状を書かせた。
一通は足利義晴へ。
もう一通は三好長慶へ。
「宇治で会う。兵を連れず、公開できる議題だけを持ち寄る」
会場は森彦右衛門の茶屋。
宇治茶を前に、幕府、三好、六角が輸送路と京の治安について話す。
茶太郎は、その席の料理を任された。
だが、大津を出ようとした時、新たな使者が館へ駆け込んできた。
「細川晴元様より申し入れ! その会談、細川家を除いて進めることは認めぬとのこと!」
三者を一つの席へ集めるはずだった茶会は、四者の思惑がぶつかる評定へ変わった。
そして細川方が示した条件は、ただ一つ。
――三好長慶を、茶太郎の隣へ座らせるな。
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