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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第四章 ~六歳の茶太郎、伏見から畿内へ――人と道を結ぶ水輪~
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第189話 「近江の海の三艘と、沈みすぎた船」

 ――水の怪異に見えたものと、人が見落とした重さ――


 近江の海へ向かうには、陸路では間に合わない。


 茶太郎は秘密基地へ戻り、壁に掛けられた絵馬へ手を触れた。

 堅田で結んだ縁が、白い糸となって浮かび上がる。


「扉を開くよ」


 亜空間の縁扉を開けられるのは、茶太郎だけ。

 しかも、茶太郎自身が訪れ、土地と縁を結んだ場所にしか通じない。

 運べる人数や荷にも限りがあり、救援の船を通すことなどできなかった。


 茶太郎、茶丸、ナギ、うじまる、弥七やしちが扉を越える。

 次の瞬間、宇治の茶畑の匂いは消え、冷たい湖風が頬を打った。


 堅田の浜では、船頭や漁師の家族が集まっていた。


「三艘とも、昨夕には戻るはずやった」


 堅田衆の船頭が湖面を指す。


「魚を積んだ一番船。その護衛についた二艘。夜になっても灯が見えん」


 風は強くない。

 大きな波もない。

 それなのに、三艘がそろって消えている。


 うじまるが水へ顔をつけた。


「父ちゃん〜! 近江の海の流れ、ナマってないか〜!」


 湖底が低く震え、巨大な影が浮かび上がる。

 うじまるの親である、近江の海の主・大鯰だった。


「船を探すとは、ふねんの残らぬようにせんとな」


「父ちゃん、今はダジャレより流れ!」


「なまずい息子よ。流れは荒れておらぬ。ただし、北からの風が表の水だけを南へ押しておる」


 大鯰は船の場所を直接示せない。

 湖全体を見通す力もない。

 分かるのは、水底を伝わる振動と大きな流れだけだった。


 ナギも尾びれを揺らす。


「……三つ……おもい音……水の上じゃない……浅いところ……」


 水底へ沈んだ音ではない。

 浅瀬か、葦の中で船腹が擦れている。


 蒼鷺のそうが空へ舞い上がった。

 鋭い遠視で湖岸を探り、やがて東寄りの葦原へ向かって大きく旋回する。


「見つけた!」


 堅田衆の救援船が一斉に櫂を出した。

 茶太郎は大人に支えられ、中央の船へ乗る。


 湖面を進むうち、折れた櫂が一本、浮かんでいるのが見えた。

 その先の葦原に、三艘はいた。


 一番船が浅瀬へ乗り上げ、後ろの二艘が綱で引こうとして身動きを失っている。


 船頭たちは全員生きていた。

 だが一人は脚を挟まれ、二人は寒さで震えている。


「水と温かい布を先に!」


 弥七が指示を出す。

 茶太郎は救助の邪魔にならないよう船底へ座り、白湯の入った小さな竹筒を手渡した。


 堅田衆が荷を別の船へ移すと、乗り上げた船は少しずつ浮き上がった。


 そこで初めて、原因が見えた。

 魚籠だけではない。

 船底には、京へ売る塩、味噌、乾物まで積み込まれている。


「出る時より、荷が増えてる」


 船頭は目を伏せた。


「途中の浜で頼まれたんや。京は何でも足りん。少しくらいなら運べると思うた」


 荷を積むたび、船は水へ深く沈む。

 外から見ればまだ浮いていても、船底と浅瀬の間は狭くなる。

 表の水が風で流された時、重い一番船だけが葦原へ押し込まれたのだ。


「魚の船だけが消えたんやない」


 堅田衆の年長者が船腹を叩く。


「欲を積みすぎた船が動けなくなったんや」


 浜へ戻ると、茶太郎は三艘の船腹を見比べた。


 古い船には、それぞれ船頭が経験で刻んだ小さな傷がある。

 この傷より水が上へ来たら、積みすぎだという目安だった。

 しかし位置は船ごとに違い、若い船頭には意味が伝わっていない。


「新しい知恵やない」


 年長者は言った。


「昔から船頭は、水の線を見とった。教える形にしてへんかっただけや」


 そこで堅田衆は、空荷と通常の荷を積んだ時の沈み方を船ごとに確かめた。

 船大工も立ち会い、安全に余裕を持たせた位置へ白い印を引く。


 印が水へ沈む量の荷は、引き受けない。

 追加の荷を頼まれた時は、別便へ回す。


 判断するのは茶太郎でも霊でもない。

 船の造りと天候を知る、堅田の船頭たちだった。


 救出された魚の多くは弱っていた。

 すべて京へ運べる状態ではない。


 茶太郎は食べられる魚を選ぶ作業を大人へ頼み、傷みの兆しがある物は無理に使わないと決めた。

 残った魚は、その日のうちに浜で焼く。


 塩を振り、炭火で皮を香ばしく焼いた《水霊湖風すいれいこふうの焼き魚》。


 救助された船頭、堅田衆、家族たちが同じ火を囲んだ。

 茶丸も一口分をもらい、満足そうに尻尾を揺らす。


 近江の大鯰は水面から顔を出した。


「茶丸殿の水霊団子もよいが、湖の魚も、うおっと驚く味じゃな」


「父ちゃん、それ魚の前でも言うの?」


 うじまるの突っ込みに、浜へ笑いが広がった。


 日暮れ前、六角家の役人が堅田へ到着した。

 三艘の遭難を調べに来たという。

 役人は白い水位の印と、救助された船頭たちを見た後、茶太郎へ一通の招状を差し出した。


六角定頼ろっかく・さだより様が、そなたに会いたいと申されている」


 三好家と幕府、双方の台所へ出入りする六歳の料理人。

 その存在は、ついに近江を治める者の耳にも届いたのだった。

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『茶太郎がゆく』
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