第187話 「北山の薪止めと、五歳最後の冬」
――町へ火を届けるために、山の火を奪わない――
北山からの薪荷を止めていたのは、軍勢ではなかった。
山道に丸太を積み、荷車を通れなくしていたのは、木樵や炭焼きの家族たちだった。
三好長逸が兵を離れた場所へ待たせ、茶太郎、弥七、馬借の頭領だけを伴って進む。
「京では、薪が足りんと聞いた」
長逸が呼びかける。
「せやから、山の分まで持っていくんか」
木樵の老爺が答えた。
その後ろでは、子どもたちが細い枝を拾っている。
炊事に使う薪ではない。家族が冬を越すための燃料だった。
共同輸送が始まり、京の商人は以前より多くの薪を求めた。
まだ木を切る前から安い銭を渡し、冬の分まで買い取った者もいる。
山の者には今すぐ必要な銭だった。
だが約束どおり出荷すれば、自分たちの竈に残す薪がなくなる。
「売ると決めたのは、そなたらではないか」
馬借の頭領が言う。
「腹を空かせた子を前に、来月の寒さまで考えられるか」
老爺の言葉に、誰も返せなかった。
茶太郎は軒下を見た。
束ねられた薪には、太い木も細い枝も混ざっている。
乾いていない木まで積まれ、表面には白い霜がついていた。
「これ、町へ持っていっても燃えにくいよ」
「数をそろえろと言われた。乾いとるかどうかまでは、誰も聞かんかった」
荷札に書かれているのは、薪の束数だけ。
乾き具合も、山に残す量も記されていない。
町へ多く送ることばかり考えた結果、山にも町にも良くない薪が流れようとしていた。
茶太郎は老爺へ尋ねた。
「ひと冬に、どれくらい要るの?」
「家ごとに違う。老人や赤子がおれば、火を絶やせん」
「じゃあ、先に山で使う分を取っておこう」
商人が声を上げる。
「それでは京へ届く分が減る!」
「減るよ」
茶太郎は迷わず答えた。
「ないものは、運べないから」
無理に数を作れば、生木を送り、山の者を凍えさせる。
それは供給を増やしたのではなく、損を後へ隠しただけだ。
長逸は老爺、商人、馬借の頭領を同じ切り株の周りへ座らせた。
山の家々が冬に使う分。
炭焼きや木工に必要な分。
京へ送れる分。
木樵たちは、実際の薪山を見せながら量を示した。
商人の帳面にあった数より、京へ回せる薪は三割ほど少ない。
その代わり、乾燥を終えた束だけを出荷する。
細かな木くずや折れ枝は、以前下京で試した方法を山へ伝え、炭粉と糊を混ぜた固形燃料へ加工することになった。
作るのは山の者たちだ。
茶太郎たちは作り方と最初の道具を渡すが、出来上がった物を無償では持ち出さない。
「山で作ったものは、山の人の品だよ」
茶太郎が言う。
「町へ運ぶなら、ちゃんと買うの」
老爺はようやく丸太を退けた。
「来年も木を切れるよう、若木の山には手を出さん。それも約定へ入れてくれ」
長逸がうなずく。
「送り手の印は、商人だけやない。木を切る者にも押してもらう」
その日、京へ向かった薪は予定より少なかった。
しかし、すべて乾いてよく燃えた。
濡れた薪を無理に焚く煙も減り、炊事場では少ない本数で湯を沸かせた。
山には家族が冬を越す分が残った。
共同輸送は、物を多く運ぶ仕組みから、翌年も運べるようにする仕組みへ変わり始めた。
それから季節は、足早に進んだ。
初雪の頃、茶太郎は三好家の出汁場へ週に二度通うようになった。
昆布を引く時を早まって、汁を薄くした。
椎茸を入れすぎ、香りを重くした。
火口を見つめすぎて、次の椀を温め忘れたこともある。
失敗するたび、坪内石斎は捨てずに記録させた。
やがて茶太郎は、二十四人分の共出汁を一人で作れるようになった。
もちろん、火と重い鍋は大人が扱う。
茶太郎が担うのは、水と材料の量、火から下ろす合図、味の確認だった。
下京への共同輸送も続いた。
最初のひと月で事故は二度。
荷札の不一致が一度。
運び賃を巡る争いも起きた。
そのたび、幕府、三好、町組、馬借、産地の代表が帳面を開き、決まりを直した。
完璧な仕組みにはならない。
それでも、問題が起きるたび刀を抜くことは減っていった。
冬の終わり。
茶太郎は稽古包丁で、蕪を二十四切れに切った。
厚み札と比べれば、まだ二枚だけ少し厚い。
「やり直します」
「いや、その二枚を見つけられたなら今日は終わりだ」
石斎は二枚を別の皿へ置いた。
「人へ出せるものと、出せぬものを自分で見分ける。それも腕のうちだ」
茶太郎は《出汁場見習》の木札を握った。
五歳の一年で、できることは増えた。
それ以上に、できないことの多さを知った。
包丁を握る力。
火を読む目。
人へ仕事を頼む言葉。
約束が破れた時に、怒るだけでなく直す方法。
まだ見えない未来も、一歩ずつ自分で描いていけばいい。
迷い続けることも、自分らしさの一部なのだから。
やがて宇治の茶畑に、春の霧が戻った。
茶太郎の六歳の誕生日を前に、南禅寺から一通の書状が届く。
差出人は、幕府御台所。
内容は、わずか一行だった。
――菊童丸様が、何も召し上がられなくなりました。
京の政と家族の迷いが、再び幼い食卓へ影を落としていた。




