第184話 「町が張った縄と、五つ目の約束」
――助けるという言葉だけでは、門は開かない――
下京へ続く通りに、太い縄が張られていた。
その向こうには、棒や鳶口を手にした町人たちが並んでいる。
共同輸送の荷車を待っていたはずの人々が、道を塞いでいた。
三好方の護衛が刀へ手を伸ばす。
「米を運んできた者に、刃を向けるつもりか!」
「抜くな」
三好長逸が制した。
幕府方の見届け役も前へ出ようとしたが、町人たちは縄を緩めない。
その中央に立っていたのは、墨屋宗白だった。
右頬の火傷痕と、墨に染まった指先。
下京の月行事として、焼け跡の町組をまとめてきた男である。
「その荷は、町へ入れられん」
「なぜや」
長逸が尋ねる。
「米も薪も、下京が求めていた物のはずや」
「三好と幕府、両方の旗を立てた荷を受け取れば、この町が軍勢の兵站になったと見られる」
宗白は、荷車の旗を指した。
「今日受け取った米が、明日には“敵を養った米”と呼ばれる。そうなれば、別の兵が町を焼きに来る」
茶太郎は言葉を失った。
荷を送る側では、二つの勢力が力を合わせた証しだった。
だが町から見れば、二つの軍勢が同時に入ってくる印にも見える。
「ぼくらは、助けに来たんだよ」
「助ける側が、助けられる側の戸口を勝手に開けたらあかん」
宗白の声は冷たかった。
しかし、その背後で震える町人たちを守るように立っている。
悪意ではない。
大火を生き延びた者たちが、ようやく取り戻した町の決定権を守っているのだ。
茶太郎は荷札を見た。
送り手。
受取手。
食べる者。
運ぶ者。
四つの印はそろっている。
「食べる人の印があるのに……」
「それは誰が押した?」
宗白に問われ、茶太郎は答えられなかった。
下京の人々が必要だろうと考え、幕府と三好が代わりに押した印だった。
必要とされることと、受け入れることは違う。
「町の人に、聞いてなかった」
茶太郎は荷車の前で頭を下げた。
「ごめんなさい」
長逸も刀から手を離し、宗白へ向き直る。
「町は、どうすれば受け入れる」
宗白は三つの条件を示した。
一つ。軍勢の旗は町境で下ろす。
一つ。護衛は刀を抜かず、荷車から一定の距離を取る。
一つ。米と薪は幕府や三好の蔵へ入れず、町組の立ち会いで共同炊事場へ納める。
幕府方の役人が反発した。
「それでは、我らが運んだ証しが残らぬ」
「証しが欲しいなら帳面に残す。旗を町中で振る必要はない」
長逸は即座に決めなかった。
三好長慶から預かった荷である。
自分の一存で旗を下ろせば、家中から弱腰と責められるかもしれない。
それでも、長逸は三好の旗へ手を伸ばした。
「下ろせ」
三好家臣が息を呑む。
「長逸様!」
「旗を守って荷を失う方が、よほど主家の恥や」
幕府方の見届け役も、しばらく迷った末に旗を巻いた。
武士たちは町境で刀の柄を紐で結び、容易に抜けないようにする。
影猫衆は屋根から見守るだけで、町の内へ先回りしなかった。
宗白が初めて縄を下げた。
荷車が、ゆっくりと町へ入る。
馬借の頭領が手綱を引き、京鈴が車輪の前から瓦礫を拾う。
米十俵と薪二十束は、欠けることなく共同炊事場へ届いた。
荷札には、宗白が新たな印を加えた。
四角の中に、二本の通りを描いた町組の印。
「五つ目だね」
茶太郎が言う。
「送る人、受け取る人、食べる人、運ぶ人……それから、迎える人」
「迎えぬと決める権利も含めてや」
宗白は釘を刺した。
その日の夕刻。
大鍋では、米、麦、大根、蕪、豆腐が一緒に煮えていた。
茶太郎は昆布と干し椎茸で出汁を引き、味噌は別の壺に用意する。
濃い味を好む者は足し、幼い子や病み上がりの者は薄いまま食べられる。
《水霊五縁の共鍋》。
町人、馬借、幕府方の役人、三好家臣が、同じ列へ並んだ。
最初は互いに距離を取っていたが、京鈴が幕府方の武士へ椀を渡し、馬借の頭領が三好家臣の分まで薪をくべると、列の境は少しずつ崩れた。
争いが消えたわけではない。
それでも、一つの鍋を誰が支えたのかは、皆の目に見えた。
食事の後、長慶が茶太郎へ一通の書状を渡した。
「共同輸送は続ける。ただし次からは、町組も出発前の話し合いへ入ってもらう」
書状には、三好家の台所へ来るよう記されていた。
「坪内石斎が、そなたの包丁を見たいそうだ」
「鶴と鯉の料理人……?」
「それだけではない。近く、幕府と三好の者が同じ膳につく。失敗すれば、今度は椀では済まぬ」
茶太郎は腰に差した、刃の潰された稽古包丁へ触れた。
まだ蕪一つ、同じ厚さに切りそろえられない。
それでも、次の台所は待ってくれない。
下京の鍋から、三好家の包丁場へ。
茶太郎の新しい修業が始まろうとしていた。




