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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第三章 ~五歳の茶太郎、伏見へ――南へ広がる水輪~
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第180話 「若き三好長慶と、分けない一椀」

 ――料理は争いを消せない。それでも、話を始める席は作れる――


 近衛尚通このえ・ひさみちから届いた懐紙を手に、茶太郎は東山の小さな寺院を訪れた。


 表向きは連歌の集まり。

 だが、座敷には幕府方の奉公衆と、三好方の武士が離れて座っている。

 挨拶は交わしても、誰一人として笑わない。

 部屋の中央では、谷宗牧たに・そうぼくが連歌の短冊を整えていた。


「言葉をつなぐ前に、腹の内が切れていては続かぬ」


 宗牧は苦笑し、茶太郎を見た。


「そこで、そなたの椀を借りたい」


 奥の席に、ひときわ若い武士がいた。

 まだ十五歳ながら、周囲の大人たちが自然とその言葉を待っている。


 三好長慶みよし・ながよしだった。

 その傍らには、使番として茶太郎と親しくしてきた長逸ながやすが控えている。


「茶太郎、今日は味だけ見ていたらあかん」


 長逸が小声で告げた。


「誰が先に箸を取るか。誰が隣を見てから食べるか。それも見ておけ」


 茶太郎はうなずき、近衛家で作った《水霊三景の蕪椀》を用意した。


 昆布と干し椎茸の出汁。

 柔らかな蕪と豆腐。

 別添えの胡麻、青柑子、魚のほぐし身。


 同じ椀を受け取り、それぞれが好みの味を選べる料理である。

 しかし、配膳が始まっても誰も手を伸ばさなかった。


 幕府方の武士が魚を取れば、三好方に贅沢を誇ったと思われる。

 三好方が先に胡麻を取れば、幕府方への遠慮がないと受け取られる。

 食べ物を選ぶことさえ、立場を示す行為になっていた。


 茶太郎は困って、長慶を見た。


「好きなものを選んでいいのに……」


「好きなものだけを選べぬのが、武家の席なのだ」


 長慶の声は穏やかだった。


「一椀を同じにしても、人の疑いまでは同じにならぬ」


 茶太郎の胸が沈んだ。


 料理なら、皆を同じ席へ座らせられると思っていた。

 けれど料理は、積もった疑いを勝手に消してはくれない。


 そのとき、宗牧が一枚の短冊を置いた。


「では長慶殿。最初の句を」


 長慶は少し考え、筆を取る。


「分かれゆく 水もひとつの 川に出て」


 座敷が静まった。

 幕府方の奉公衆は、誰も続けようとしない。


 茶太郎には歌の作法は分からなかった。

 ただ、止まった空気が、冷めていく椀に似ていると感じた。


「冷めちゃう……」


 思わず漏らした声に、全員の視線が集まる。

 茶太郎は肩をすくめながら、それでも続けた。


「歌も料理も、待ちすぎたら冷めるよ。間違っても、次の人が直してくれるんじゃないの?」


 宗牧が目を細めた。

 やがて、幕府方の年若い奉公衆が筆を取る。


「岸は違えど 月を映して」


 見事な句かどうか、茶太郎には分からない。

 だが長慶は、わずかに笑った。


「ならば、椀も冷める前にいただこう」


 長慶が選んだのは青柑子だった。

 魚でも胡麻でもない。

 誰かへの配慮ではなく、自分の好みとして一滴を落とす。

 それを見た幕府方の奉公衆は胡麻を取り、隣の武士は魚を選んだ。


 ようやく、座敷に箸の音が生まれた。


 だが食事の途中、話は再び険しくなった。

 争点は、京へ運ばれる米と薪の道だった。


 幕府方は、三好方の兵が運搬を妨げていると言う。

 三好方は、幕府方の関所が荷を止めていると反論する。


「どちらが悪いの?」


 茶太郎が尋ねると、両方から答えが返った。


「向こうだ」


 声が重なり、再び沈黙が落ちる。


 茶太郎は空の椀を見つめた。

 同じ出汁でも、添えるものは違ってよかった。

 ならば道も、すべてを一方へ渡さなくてよいのではないか。


「米と薪を、同じ荷にしなければ?」


「どういう意味だ」


 長慶が身を乗り出す。


「米を運ぶ日と、薪を運ぶ日を分けるの。幕府の人と三好の人が、一人ずつ数える。どっちか一人だけで決めない」


 大人たちは顔を見合わせた。


 幼い案だ。

 見張りを二人置けば、かえって争うかもしれない。

 運ぶ日を公にすれば、盗賊に狙われる危険もある。


 長逸が口を開いた。


「日を分けるだけでは足らん。荷札と受取札を二つに割り、両方が持つ。荷が着いた時に合わせれば、ごまかしにくい」


 幕府方の奉公衆も続ける。


「初めは一度だけ。米十俵と薪二十束で試す。それ以上は結果を見てからだ」


 長慶はすぐには答えなかった。

 やがて、自分の椀を茶太郎の前へ置く。

 底には青柑子の種が一粒残っていた。


「争いが消えたわけではない」


「うん」


「だが、試す価値はある」


 長慶は幕府方へ向き直った。


「一度だけ、同じ荷を数えよう」


 それは和睦ではなかった。

 信頼でもない。

 ただ、次の話をするための小さな約束だった。


 茶太郎は空の椀を抱えながら、料理にできることの小ささを知った。

 そして同時に、小さいからこそ始められることがあるのだと知った。


 帰り際、長慶が茶太郎を呼び止めた。


「次の荷が無事に京へ届いたら、私はそなたに頼みたい料理がある」


「どんな料理?」


「兵と町人が、同じ鍋から食べられるものだ」


 寺の門外では、最初の米俵を載せる荷車が、すでに動き始めていた。

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『茶太郎がゆく』
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