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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第三章 ~五歳の茶太郎、伏見へ――南へ広がる水輪~
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第177話 「折れた一本と、交換できる樫の歯」

 伏見の水車が止まった翌朝。


 伊平いへいじいさんは、折れた歯車の歯を手に取り、光へ透かすように眺めていた。


「樫やな。よう乾いとるが、根元から見事に裂けた」


 水車小屋では、米搗きも粉挽きも止まっている。

 麹用の米を整えられなければ、水輪甘酒の仕込みにも影響が出る。

 水車番は、大きな歯車を見上げて溜息をついた。


「歯一本を替えるだけやのに、軸を抜いて輪を外さなあかん。元へ戻すまで十日はかかる」


 茶太郎は、輪と一体になっている歯を見つめた。


「一本ずつ、抜けるようにできないの?」


 伊平じいさんは笑った。


「できるで。寺の古い水車や唐臼には、歯だけを打ち替える仕組みもある。茶太郎が初めて思いついたものやない」


「そうなの?」


「昔の職人も、同じところで困ったんやろうな」


 大切なのは、誰が最初に考えたかではない。

 伏見の水車へ合わせ、実際に動く形へ直せるかだった。


 伊平じいさんは、甚八じんぱちと水車大工を呼んだ。

 茶太郎は刃物にも回転部にも近づかず、離れた机で小さな木の模型を回す役目を任された。

 最初の試作では、四角い穴へ樫の歯を差し、後ろから木槌で打ち込んだ。


「回すよ」


 茶太郎が模型の輪を回す。


 一周目は噛み合った。

 二周目で、一本の歯が少し浮いた。

 三周目――。

 歯が抜け、こたろの前へ転がる。


「飛んできた〜!」


 こたろは大喜びだが、実物なら大事故である。


「差しただけでは、振動で抜けるな」


 甚八が歯の根元へ小さなくさびを打った。


 二度目の試作。

 歯は抜けなくなった。

 ところが、濡れた布を当てて一晩置くと、木が水分を吸って膨らみ、抜こうとしても動かない。


「水車は、いつも水のそばにあるもんね」


 茶太郎が言う。

 交換できるはずの歯が、膨らんで固まれば意味がない。


 三度目。

 伊平じいさんは歯の根元を少し細く削り、奥へ行くほど締まる形にした。

 輪の横から短い木栓を差し、歯が前へ抜けないよう留める。

 木栓を外せば、傷んだ歯だけを後ろへ叩き出せる。


 白虎が模型を見つめた。


「力は歯の先ではなく、根元の角へ集まっている」


 白虎は歯を削れない。

 ただ、回した時に力が集まる場所を示す。

 甚八たちは、その角をわずかに丸め、急に割れないよう整えた。


 青龍は水路を確かめた。


「水門を全て開けば、修繕前より流れが強すぎる。最初は半分で試せ」


 霊獣たちが教えるのは、危険の位置と水の流れだけ。

 寸法を測り、木を削り、歯を据えるのは職人の仕事だった。


 新しい歯車が完成するまで、二日かかった。

 古い輪の傷んだ部分を補強し、十二本の歯を交換式へ改める。


 全てを一度に作り替えず、最も負担の大きい場所だけで試すことにした。

 予備の樫歯も三本用意する。


 《水輪替歯みずわかえばの樫歯車》


 水車番が水門を四分の一だけ開いた。

 羽根へ水が当たり、輪がゆっくりと動き出す。


 ぎしり。

 ぎしり。

 新しい歯が相手の歯車を押し、米搗きの杵が上下する。


 一刻後、木栓と歯の緩みを確かめる。

 異常はない。


 次に水門を半分まで開く。

 回転は少し速くなったが、歯は抜けなかった。

 水車番は白い米粉を手に取り、ようやく笑った。


「動いた……十日止まるはずが、二日で戻った」


「速さは前と同じや」


 伊平じいさんが釘を刺す。


「力が十倍になったわけでもない。壊れんわけでもない。ただ、次に一本折れても、水車全部を外さんでよくなった」


 茶太郎はその言葉を帳面へ書いた。

 ――強くしたのではない。直しやすくした。


 日野小夜ひの・さよは、水車の使用料から少しずつ銭を残す欄を作った。


「予備の歯を使ったら、新しい一本を買い足します」


「壊れてから銭を集めるんじゃないの?」


「壊れる前から、直すための銭を残すのです」


 予備の部品。

 修繕のための積立。

 歯を替えた日と、傷み具合の記録。

 道具を長く使うためには、職人の腕だけでなく、止まる前に備える仕組みが要る。


 再び挽かれた米粉で、志乃は小さな団子を作った。

 水輪甘酒を煮詰めた餡を薄く絡める。


 《水輪再転すいりんさいてんの米粉団子》


 最初の一皿は、水車番と大工たちへ。

 二皿目は、木屑を片づけた子どもたちへ配られた。


 蒼鷺のそうは、約束どおり鮎の塩焼きを受け取っている。


「団子より鮎やな」


「手伝ったの、偵察の時だけでしょ」


「空から応援してた」


 蒼の言い分に、久しぶりの笑いが水車小屋へ広がった。


 夕方、三好長逸みよし・ながやすが伏見へ到着した。

 三通の偽文は、幕府、三好、細川方で共有されたという。


「誰も軍を動かさなかった。黒三爪の狙いは外れた」


「捕まえられる?」


 茶太郎が尋ねる。


「ここから先は我らの仕事だ」


 長逸は小夜の集めた船賃札を受け取った。


「宿代、紙代、船賃、麹の前銭。どれほど姿を隠しても、これだけの銭を動かせば跡が残る」


 弥七、日置雪、影猫衆、水輪勘定方。

 さらに幕府と三好の調べ役が、銭の流れを追うことになった。


 茶太郎が危険な相手を追い続ける必要はない。


「茶太郎殿は、幕府台所の修行へ戻られよ」


 長逸は笑った。


「次に偽文が届いても、腹を空かせたまま話し合うのは御免だからな」


 茶太郎は少し迷ったが、頷いた。


 何でも自分で解決することが、成長ではない。

 託せる相手を信じ、自分が学ぶべき場所へ戻ることもまた、一歩だった。


 その夜、復旧した水車は一定の音を響かせていた。


 折れた一本の歯は、壊れない道具を生んだのではない。

 壊れても、皆で直しながら使い続けられる道具を生んだのである。

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『茶太郎がゆく』
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