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茶太郎がゆく ~猫と霊を癒やす料理で、戦国の天下を巡る~  作者: 莵月
第三章 ~五歳の茶太郎、伏見へ――南へ広がる水輪~
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第176話 「伏見の三艘と、半黒羽の文使い」

 紙屋宗信かみや・そうしんの売買帳に残されていた、伏見の船宿を示す印。


 弥七やしちが調べると、その印は船宿《葦屋あしや》のものだと分かった。


 葦屋は宇治、京、淀、大山崎を行き交う船頭が泊まる宿である。


 米、油、茶、紙。


 多くの荷と噂が、一度はその前を通っていた。


「黒三爪は、偽文を船に乗せるつもりや」


 弥七の言葉を受け、茶太郎たちは伏見へ向かった。

 宗次そうじ日野小夜ひの・さよ日置雪へき・ゆきが同行する。

 茶太郎は捕り物へ加わらず、船宿の中で待つことを約束した。


 空からの偵察には、蒼鷺のそうがついた。

 蒼は雲へ紛れるように高く舞い、水路と船の動きを遠くから見分ける。

 アオバトのシオは、連絡を書いた細い紙片を脚へ結び、伏見と槙島を往復する役目を担った。


「終わったら、鮎の塩焼きな」


 蒼が念を押す。


「任務の前からご褒美を決めるの?」


「偵察には腹が要る」


 茶丸が呆れたように尻尾を振った。


 葦屋の主人は、半分を黒く染めた羽を見せられると、顔色を変えた。


「その羽を持つ男なら、昨夜泊まりました」


「荷は?」


「小さな文箱が二つ。今朝、別々の船へ載せました」


 一艘は上流へ向かい、幕府の役人へ。

 もう一艘は淀川を下り、三好方の取次へ。


 小夜はすぐに内容を察した。


 幕府へは「三好が伏見の船を差し押さえる」。

 三好へは「幕府が三好向けの荷を止める」。


 反対の命令を同時に届ければ、どちらも相手が先に裏切ったと思う。


「もう船は出たの?」


「半刻ほど前です」


 弥七と日置雪が、それぞれ追船へ乗り込む。

 蒼が空から二艘の位置を伝え、シオは槙島の長逸へ警告を運んだ。


 茶太郎は宿で待つしかない。

 五歳の足では、水上の追跡に加われない。

 焦る茶太郎の前へ、宿の女将が昼餉の包みを並べた。


「追う船頭衆の分も用意したのに、無駄になったわ」


 包みには、水輪甘酒を練り込んだ元気玉と塩漬けの蕪が入っている。


 茶太郎は包みを数えた。


「一つ、二つ……八つ?」


「三艘分や。二人ずつと、予備が二つ」


 茶太郎は顔を上げた。


「文箱を載せた船は、二艘じゃないの?」


 女将の手が止まる。


「そういや昨夜の男、船を三艘頼んどった。主人には二艘と言うたんか」


 帳場を調べると、船賃の札も三枚あった。

 一枚だけ、灰を塗って数字が消されている。


「三艘目がある!」


 茶太郎は外へ飛び出しかけ、宗次に襟を掴まれた。


「走らん。まず行き先を探すんや」


 船着き場に残る綱の跡を、茶丸と白灯あかりが嗅ぐ。

 三艘目は本流ではなく、水車小屋へ続く細い水路へ入っていた。

 そこから伏見の裏側を抜け、別の船着き場へ出ることができる。


 青龍の声が、水面から響いた。


「細流の水が、急に重くなっている」


 青龍に船を止める力はない。

 ただ、水がどこを通り、どこで詰まっているかを示す。


「水車の水門を、無理に開けた者がいる」


 宗次と水車番が走った。

 茶太郎は小夜とともに、離れた土手から見守る。

 細い水路では、一艘の小舟が水車の脇を抜けようとしていた。


 船頭に化けた男が、水量を増やすため水門の留め木を外している。

 勢いを増した水が、水車の羽根を激しく打った。

 木製の歯車が跳ねる。


「危ない!」


 水車番が叫ぶ。

 次の瞬間、歯車の一本が折れ、回転する輪の内側へ噛み込んだ。


 水車全体が大きく傾く。

 外れた木片が小舟へ飛んだ。


 白虎の低い声が響く。


「右の支柱が裂ける。人を退けよ」


 白虎は木を直せない。


 宗次たちは声を掛け合い、水車小屋の者を外へ逃がした。

 水車番が予備の留め木を差し込み、別の男たちが綱を引いて水門を閉じる。

 流れが弱まり、水車は軋みながら止まった。


 逃げようとした小舟は浅瀬へ乗り上げた。

 男は文箱を川へ投げようとしたが、日置雪から知らせを受けて回り込んだ伏見の船頭衆に取り押さえられた。


 文箱の中には、細川晴元ほそかわ・はるもとへ宛てた偽文が入っていた。


 ――幕府と三好が手を結び、細川方の船を伏見から排除する。


 三通の文は、それぞれ違う相手へ届けられ、三者を同時に争わせる仕掛けだった。


 夕刻。


 弥七と日置雪も、残る二つの文箱を持って戻った。

 偽文は一通も届かなかった。

 幕府、三好、細川方へは、三通を並べた写しが同時に送られる。


 誰か一人だけへ説明せず、全員が同じ偽物を見る形にした。

 捕らえた文使いは、黒三爪の中心人物ではなかった。

 半黒羽を渡され、箱の中を知らぬまま運ぶ雇われ人だった。


「三艘目の男は、どこにいる?」


「知らん。宿で指示を書いた紙を受け取っただけや」


 またしても黒三爪の本体には届かない。

 だが、小夜は三枚の船賃札を帳面へ貼った。


「偽文を送るにも、船賃と宿代が要ります。銭の流れは、どこかで必ず一つになります」


 事件は防げた。

 しかし、水車小屋では折れた歯が散らばり、軸が傾いていた。


 この水車は、米を搗き、粉を挽き、麹用の米を整えるために使われている。

 止まったままでは、水輪甘酒の仕込みにも影響が出る。


 水車番は、折れた一本の歯を拾った。


「直すには、輪ごと外さなあかん。十日は止まるぞ」


 茶太郎は壊れた歯車を見た。

 折れたのは一本だけ。

 なのに、一本を替えるため、全てを分解しなければならない。


「一本ずつ、抜いて替えられないの?」


 水車番と宗次が、同時に茶太郎を見る。

 伊平じいさんへ折れた歯を見せれば、何か分かるかもしれない。


 黒三爪が逃走に使って壊した水車は、思いがけず、伏見の仕事道具を作り直す新たなきっかけとなった。

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『茶太郎がゆく』
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