第169話 「七日間の水輪甘酒と、五枚の白札」
御台所から与えられた七日のうち、最初の一日は失敗で終わった。
茶太郎は蒸した米へ米麹を混ぜ、鍋を火の近くへ置いた。
「これで、すぐ甘くなるはず……」
だが急いで温めすぎたため、麹の力が弱ってしまった。
数刻待っても、米はほとんど甘くならない。
「霊性を入れれば、戻せないかな」
茶太郎が手を伸ばすと、曲直瀬道三が止めた。
「死んだ働きを、霊力で生き返らせてはならぬ。それでは誰にも作り継げん」
茶丸も鍋をのぞき込む。
「……ニャッ(失敗は失敗だ)」
失敗した米は傷む前に十分加熱し、その日の賄い粥へ回された。
二日目。
今度は火から離しすぎた。
甘みが出るまで時間がかかり、夜には少し嫌な匂いが混じった。
茶太郎は舐めようとしたが、志乃が鍋を取り上げる。
「おかしい匂いのものは、売らない、飲まない、惜しまない」
その一鍋は処分された。
五枚の白札を持つ子どもたちは、不安そうに失敗を見ていた。
「あと五日しかない」
茶太郎が肩を落とすと、京鈴が言った。
「一人で全部やろうとするからや」
京鈴は薪の数を記し、レオは器を並べる。
ゆかりは組紐へ等間隔の結び目を作り、鍋へ入れる水と米の量を揃えた。
火を扱うのは志乃と幕府台所の料理人。
米を蒸す者、湯を沸かす者、器を洗う者を分ける。
日野小夜は、使った米、麹、薪、働いた人数を帳面へ書いた。
「おいしいだけでは商いになりません。もう一度作れる形へ整えなさい」
三日目。
沸かして冷ました水を使い、洗って乾かした甕へ米と麹を入れる。
甕は藁で包み、火へ近づけすぎない。
温かさは、同じ量の湯、同じ場所、同じ藁包みで揃えた。
時を計るため、短い線香を一本立てる。
茶太郎たちは何度も蓋を開けず、決めた刻にだけ中を確かめた。
やがて米の香りが、柔らかな甘みに変わっていく。
茶太郎が一匙舐めた。
「……甘い」
砂糖も蜂蜜も入れていない。
米麹の働きが、米のでんぷんを甘みに変えたのだ。
酒粕は使っていないため、酒気もない。
子どもや働く者も飲める、米と米麹だけの甘酒だった。
《水輪甘酒》
けれど、小夜はまだ頷かなかった。
「これを一杯売って、いくら残りますか」
茶太郎は答えられない。
小夜は帳面を三つに分けた。
材料と薪に使う分。
働いた者へ渡す分。
そして、白札の子どもたちの椀へ戻す分。
「どれか一つでも空にすれば、続きません」
四日目、三種類の水輪甘酒を試した。
最初は、米粒を少し残した基本の《水輪》。
次は、温かい白湯で薄め、働く者が飲みやすく値を抑えた《薄水輪》。
最後は、水分を少なくして甘みを濃くした《濃水輪》。
濃水輪は少量でも満足でき、茶会や公家の進物向けに高く売れる。
その利益で、薄水輪の値を低くできた。
「身分で中身を粗末にするのではありません」
小夜が言う。
「飲む場面と、払える値に合わせて形を変えるのです」
五日目。
下京の共同炊事場で試し売りが始まった。
墨屋宗白が材料の受け渡しを管理し、お寅婆が客をさばく。
「まず一口飲んでから決め。気に入らんかったら買わんでええ」
石運びを終えた職人が、薄水輪を飲んだ。
「腹へ重すぎん。仕事の合間には、これがええな」
乳飲み子を抱えた母親には、冷まし加減を確かめた水輪を渡す。
病を治す薬とは言わない。
食事の代わりになるとも言わない。
それでも、米の甘みと温かさは、疲れた身体へ静かに染み込んだ。
御台所も濃水輪を一口飲んだ。
「これを将軍家だけの品にすることはできますか」
茶太郎は少し迷ったあと、首を振った。
「たくさん作れなくなるし、町の人が飲めなくなるから……嫌です」
周囲の女房が息を呑む。
だが御台所は怒らなかった。
「それでよいでしょう。将軍家は買い支える側になります」
進物用の濃水輪には相応の代価を払い、その一部を町の薄水輪へ回すことが決まった。
六日目。
白札の子どもたちにも仕事が与えられた。
火や刃物には触れない。
洗い終えた木椀を日なたへ並べる。
水輪印を押した木札を組紐へ通す。
飲み終えた椀の数を、小石で数える。
一番年上の子は、売れた椀と戻った椀の数が合わないことへ気づいた。
「木椀が二つ、返ってない」
京鈴が通りを走り、持ち帰ろうとした職人から取り戻した。
「椀まで売ったんやないで!」
職人が慌てて返すと、子どもたちの間に初めて笑いが起きた。
その夜、一番小さな子が白札へ丸を一つ描いた。
まだ名ではない。
それでも、自分の札と他人の札を区別する、最初の印だった。
七日目。
小夜が勘定を改めた。
材料代と薪代を払える。
働いた大人と子どもへ、わずかだが手間賃を渡せる。
そして翌日も、五人分の椀を用意できる銭が残った。
「施しではなく、巡り始めました」
小夜は三つの欄を一本の丸で囲んだ。
使った銭が人を働かせ、売った一杯が次の一杯を支える。
それが、のちの《水輪勘定》の最初の形となった。
茶太郎は五人へ温かい水輪甘酒を渡した。
「七日が終わっても、明日の分があるよ」
一番小さな子は白札を胸へ抱き、初めて小さく頷いた。
だが、その日の夕暮れ。
白灯が、通りの端から一つの竹筒をくわえて戻ってきた。
水輪印によく似た印が押されている。
中身を嗅いだ志乃の顔色が変わった。
「酸っぱい。それに、器も洗ってない」
下京の別の辻で、偽物の水輪甘酒が売られ始めていた。
古い粥を水で延ばし、甘い水を混ぜただけの粗悪な品。
その売り手は、こう触れ回っているという。
「幕府の御台所も認めた、茶太郎の水輪甘酒や」と。
竹筒の底には、薄く削られた三本の爪痕があった。
黒三爪は米俵を奪うのではなく、今度は水輪甘酒の信用そのものを狙っていた。




