第162話 「茶太郎のお休みと、みんなのふわ蒸し」
――自分が作らなくても、思いは料理に残る――
摂津と宇治を結ぶ小戸を閉じた瞬間、茶太郎の膝から力が抜けた。
「茶太郎!」
宗次が倒れる前に抱き止める。
「大丈夫……ちょっと眠いだけ……」
そう答えた茶太郎は、父の腕の中で眠ってしまった。
秘密基地では、ゆかり、レオ、ナギ、ウリハたちが帰りを待っていた。
楽しそうに駆け寄ってきた仲間たちも、眠ったままの茶太郎を見ると足を止める。
「……茶太郎……どうしたの……?」
「小戸を開いた後、急に力が抜けた」
宗次は茶太郎を布団へ寝かせた。
母・志乃が額へ手を当てる。
熱は高くない。
呼吸も乱れてはいない。
しかし顔色が悪く、呼びかけてもすぐ眠りへ戻ってしまう。
連絡を受けた曲直瀬道三が、脈と目の色を確かめた。
「大きな病の兆しはない。疲れじゃ」
「疲れ……?」
茶太郎が薄く目を開ける。
「ぼく、料理を作らないと……下京の人と、摂津の蜂と、鶏の卵も……」
「五歳の身体で、都、近江、奈良、摂津を巡ったのじゃ。疲れぬ方がおかしい」
道三は厳しい顔をした。
「今日は小戸を開くな。包丁も火も使うな。食べて、眠れ」
「でも、ぼくが休んだら……」
「世の中は、そなた一人が眠ったくらいでは止まらぬ」
茶太郎の目へ涙が浮かんだ。
「悪い人も、病気も止まってくれないよ……」
茶丸が布団へ上がり、茶太郎の胸へ前足を置いた。
『……だから……仲間がいる……』
希太も枕元へ座る。
「にゃ……」
いつもなら少し離れて見守る希太が、茶太郎の頬へ顔を寄せた。
ゆかりは茶太郎の指へ、細い組紐を巻く。
「茶太郎の糸、細くなってる。いっぱい使いすぎたんだよ」
「料理……作らないと……」
「今日は、わたしたちが作る」
ゆかりの言葉に、茶太郎は驚いた。
「でも、火も包丁も危ないよ」
「大人と一緒にやるよ」
志乃が袖をたくし上げる。
「茶太郎が作った木札も、ちゃんと残っているでしょう?」
秘密基地の棚には、八が書き残した料理札が並んでいた。
材料。
分量。
火へかける順番。
失敗した時の印。
《天鶏水霊のふわ蒸し》の札もある。
「……作れるかな」
「やってみなければ分からないわ」
調理を指揮するのは志乃。
包丁と火の扱いも、大人が担う。
レオが卵を器へ割り入れ、ゆかりが箸で静かに混ぜる。
ナギは出汁の流れを見つめた。
「……みず……ちょっと……おおい……」
ウリハは布を押さえ、卵液を濾す手伝いをする。
「キュイッ! ぼく、こぼさない!」
こたろは器を運ぼうとして、何もない場所で転んだ。
「わあっ!」
かん太が後ろから受け止める。
「こたろは座っとけ!」
「ぼくも役に立ちたい〜!」
「ほな、蒸し上がった数を数えろ。歩かんでできる仕事や」
「まかせて〜!」
最初の鍋は、火が強すぎた。
蒸し上がった卵には大きな穴が開き、表面も硬い。
「失敗……」
レオが肩を落とす。
布団から香りを感じた茶太郎は、起き上がろうとした。
「火を弱くして、蓋を少し――」
志乃が布団へ戻す。
「茶太郎は言わないの」
「でも、分かるから……」
「今日は、みんなに考えさせてあげなさい」
茶太郎は口を閉じた。
京鈴が、蒸し鍋のそばで耳を澄ませる。
「最初の鍋は、湯が怒ってるみたいな音やった」
ナギが鍋をのぞく。
「……つぎ……みず……やさしく……うごかす……」
ゆかりは失敗札へ、炎の印を二つ描いた。
「火が強すぎたって、八に教えてもらった印だよ」
二度目は、鍋を火から少し離した。
湯を激しく沸かさず、蓋の隙間から蒸気を逃がす。
京鈴が音を聞き、志乃が火を調整する。
蒸し上がった卵へ匙を入れると、柔らかな表面がふるりと揺れた。
「できた……!」
レオの顔が明るくなる。
志乃は生の部分が残っていないことを確かめ、最初の一椀を茶太郎のもとへ運んだ。
「今日の料理は、みんなで作ったのよ」
出汁の香りは少し弱い。
茶太郎が作ったものより、卵もわずかに硬かった。
それでも、失敗を越えて作られた温かい料理だった。
茶太郎は一口食べる。
「おいしい……」
「ほんと?」
レオが身を乗り出す。
「ぼくの味とは違う。でも、みんなの味がする」
ゆかりの糸が、柔らかな金色へ変わった。
料理の名は――
《水霊縁結のふわ蒸し》。
「茶太郎が作らなくても、料理できたね」
ゆかりが笑う。
「うん……」
茶太郎は少し寂しく感じた。
自分がいなくても料理が完成したからだ。
だが、それ以上に嬉しかった。
自分が覚えたことが木札に残り、仲間たちの手へ渡っている。
「料理人って、自分で全部作る人だと思ってた」
茶太郎は椀を見つめた。
「でも、みんなが作れるようにするのも、料理人の仕事なのかもしれない」
茶丸の尾が静かに揺れる。
『……ようやく……気づいたか……』
その日、茶太郎は二杯目を食べ、夕方まで眠った。
目を覚ました時には、頬へ少し色が戻っている。
枕元には、幕府から届いた一通の文が置かれていた。
足利義晴からの依頼だった。
『我が子・義藤、近頃食が細い。幼子が安心して口にできる一椀を願いたい』
茶太郎は文を読み、すぐに起き上がろうとした。
だが、ゆかりとレオと茶丸が同時に押し戻す。
「明日から」
「……きょうは……やすむ……!」
「ニャッ」
「……はい」
茶太郎は大人しく布団へ戻った。
誰かを支える料理を作るためには、自分の身体を守ることも覚えなければならない。
それが五歳の茶太郎に与えられた、新しい修行だった。




