第160話 「偽羽の仲買人と、摂津水霊の蜜結び飴」
――蜂蜜の値を、脅しではなく手仕事で決める――
新しい蜂の群れが巣箱へ入ってから、村の空気は少しずつ変わった。
友照は毎朝、少し離れた場所から巣箱を観察した。
蜂の出入り。
水場へ来る数。
雨と風。
花が咲いている方角。
以前なら、巣箱をすぐ開けて蜜の量を確かめたくなった。
だが今は、入口の様子だけを木札へ残している。
「今日は黄色い粉をつけた蜂が多い」
「花粉だね。子どもの蜂へ運んでるのかもしれない」
「なら、巣の中に子どもがおるんや!」
友照は嬉しそうに印を増やした。
その日の昼。
村の入口へ、三台の荷車が現れた。
「蜂蜜を受け取りに来たぞ!」
先頭に立つのは、派手な小袖を着た仲買人だった。
腰には高山家の鷹羽を刻んだ木札を下げている。
ただし、羽根は一枚しかない。
「約束どおり、今年の蜜をすべて出せ」
村人たちの顔に緊張が走る。
「今年は蜜を採らん。蜂に残すと決めたんや」
「ならば違約金を払え」
仲買人は一枚の証文を広げた。
「蜜を納められぬ時は、巣箱と山の採蜜場を我らへ譲る。ここに村役人の印もある」
村人たちがざわめく。
証文そのものは偽物ではなかった。
昨年の冬、食料を借りるため、村の一部が署名していたのだ。
長逸が証文を確認する。
「三好家の命令を装ったこととは別の問題だ。この借りまで、最初からなかったことにはできぬ」
「そんな……」
友照が拳を握る。
偽の命令は止められる。
しかし、村が実際に負った借りは残っている。
茶太郎は、すぐに答えを出せなかった。
「蜜を全部渡さずに、返せる物はないの?」
仲買人が鼻で笑う。
「蜂蜜以外に、何を出すというのだ」
友照は荷台から《水霊蜜蝋の結び布》を取り出した。
「これや」
「蝋を塗った古布ではないか」
「古布やない。乾物や茶葉を湿気から守る布や。何度も使える」
仲買人は興味を示さなかった。
だが同行していた別の商人が、結び布へ触れる。
「薬草や香木を包むには、使えるかもしれぬ」
宗次が乾燥させた経帯麺を包んだ物と、普通の麻布で包んだ物を見せた。
同じ日数を置いたが、蜜蝋布に包んだ麺の方が湿り気を受けにくい。
「万能ではありません。水分の多い食品や、長期保存には向きません」
宗次は欠点も隠さなかった。
「だが乾物を運ぶ間の包みとしてなら、役に立ちます」
別の商人たちが、結び布の値を相談し始める。
仲買人は顔を険しくした。
「勝手な商いをするな! 高山家の命に逆らうつもりか!」
「その印は、高山家のものやない」
友照は自分の懐から、本物の木札を取り出した。
二枚の鷹羽が並んでいる。
「高山家の印は二枚羽や。おまえのは偽物や!」
長逸も三好家の書状を広げる。
「三好家も、蜂蜜の強制徴発を命じていない。家名を騙った罪については、三者調査組へ引き渡す」
弥七と日置雪が、仲買人の退路を塞ぐ。
男は荷車へ戻ろうとしたが、荷の上から白灯が顔を出した。
「ニャア」
「な、なぜ猫が荷の中に!」
白灯が座っていた箱を開けると、村々から集めた蜂蜜壺が隠されていた。
壺には採った場所も、日付も書かれていない。
蓋の緩んだ物や、水が混じって発酵し始めた物もある。
「これは俺の品だ!」
「ならば帳面を見せよ」
長逸が求めると、仲買人は答えられなかった。
荷と証文は、村人だけで奪い返さなかった。
三好方、高山家、村役人の立会いで数と状態を確かめ、持ち主の分かる物から返すことになった。
茶太郎も蜂蜜壺を一つずつ鑑定した。
異臭のある物。
水が混じった物。
虫や煤が入った物。
それらは料理へ使わない。
「火を通せば大丈夫やないの?」
村人の一人が尋ねる。
「元の状態が分からない物を、無理に食べ物へ戻しちゃ駄目だよ」
近江で腐った魚を捨てた時と同じだった。
もったいないからといって、安全まで取り戻せるとは限らない。
密封され、採取元を確認できた蜂蜜だけが食用へ戻された。
だが、その量は多くない。
「蜂蜜だけでは、みんなへ分けられへんな」
友照が壺の底を見つめる。
「だから、水飴と合わせよう」
茶太郎は蒸した米と麦芽から作った水飴を用意した。
水飴は蜂蜜より手に入りやすい。
そこへ摂津の蜂蜜を少量だけ加え、弱い火でゆっくり練る。
煮詰めすぎれば焦げ、蜂蜜の香りも消える。
京鈴が鍋の音を聞き、火加減を伝える。
「まだ水っぽい。……今、音が重くなった」
朱雀の赤い羽も、鍋底の一点を示した。
『そこだけ熱が強い』
茶太郎は鍋を火から少し離し、全体を混ぜる。
最後にひとつまみの塩を加え、小さく丸めた。
《摂津水霊の蜜結び飴》。
水飴の穏やかな甘みに、蜂蜜の花の香りが残っている。
蜂蜜を大量に使わなくても、一粒で十分に感じられた。
友照は飴を口へ入れ、目を丸くした。
「蜂蜜が少ないのに、ちゃんと蜜の味がする!」
「全部を蜂蜜にしなくてもいいんだよ」
蜜結び飴と蜜蝋布を売った銭は、村の借りを返すために使われた。
一度ですべてを返せたわけではない。
それでも、蜂の巣を壊さずに返済を続ける道ができた。
友照は村人たちの前へ立つ。
「今年の蜜は蜂へ残す。来年、巣が増えて、蜂が冬を越せたら、余った分だけ採る」
「来年も採れんかったら?」
「また考える」
以前の友照なら、「絶対に成功する」と言い張っていたかもしれない。
今は、分からないことを分からないまま記録し、次の方法を探そうとしていた。
「失敗しても、蜂の家は全部壊さん。次を比べられるように残す」
茶太郎は笑った。
「それなら、きっと続けられるよ」
帰り際、友照は二枚羽の小さな木札を茶太郎へ渡した。
「高山家と、この村の本物の印や」
「もらっていいの?」
「いつか茶太郎が、たくさんの人へ料理を作る時、蜂蜜が必要になるかもしれへんやろ」
友照は胸を張った。
「その時は、偽物やない蜜を、ぼくが届ける」
茶太郎も、丸に三つの茶葉と水輪を刻んだ印を渡した。
「じゃあ、ぼくは蜂を元気にする料理を考える」
「蜂に団子を食わせるんか?」
「それはまだ分からない」
二人は顔を見合わせ、笑った。
村の巣箱から、蜂たちが花を目指して飛び立つ。
摂津で結ばれた幼い縁は、やがて多くの食卓へ、確かな甘みを届ける約束となった。




